第31話 夏祭り
川の方角へ走りだしてすぐに立ち止まる。地図アプリを確かめて駅に取って返し、一番近くのタクシーに駆け寄った。
「花火大会、昨日の」
体をねじ入れるようにして乗り込む。
「あ?」
「花火大会の会場分かりますか」
「ああ、はい。そこまで?」
「はい」
「はいはい」
「どれくらいかかりますか」
「まあねえ」
運転手がゆるゆるとハンドルを回し、提灯の飾られたロータリーを抜ける。
「今の時間混んでないから、二十分あれば着くと思いますよ」
少ない往来を一人ずつ確かめながら、汗ばんだ親指の腹でスマホをなでてはやめる。駅前のにぎやかさが一瞬で流れ去り、後は百日紅の並木に沿って畑と民家と個人経営の店が繰り返された。やがて坂をのぼった先で視界が開けた。なだらかな土手と川(かわ)面(も)が広がる。
「渡ってちょっと行ったとこですよ」
運転手が言った。恒樹は座席から背中を離し、近づいてくる対岸に目をこらした。河川敷は公園や遊歩道として整備されているようだった。土手の上に視線を移すと、遊歩道への階段の入口に何組かの親子が立ち、そろって同じ方を見下ろしていた。
「あの左の階段のところで待っててもらえますか」
「はいはい」
タクシーが掲示板の前で停まり、転がり出るように降りた。掲示板には地区の夏祭りのお知らせだけが貼り出されていた。蝉時雨に紛れて母親の甲高い声がする。
「ばかな人がバーベキューでもしたんじゃないの」
親子たちの背後を回って階段の先を見やる。日をさえぎるものの何一つない遊歩道に、影よりも濃く、しかし輪郭の曖昧な焦げた跡があった。コンロの跡にしては大きい気がしたが、バーベキューをしたのはサークルの合宿が最後だから、感覚があてにならない。
階段の途中でスマホが唸る。焦げた跡の前で開いたチャットには画像が届いていた。白と紺色のトートバッグ、そして折れ曲がった丸うちわが、それぞれ床とも机ともつかない灰色を背景に写っている。
〈見覚えは?〉
〈九洞さんのです〉
送信するのと入れ替わりにURLが届く。リンク先は地方新聞社のサイトで、ロゴと見出しが黒々と目に入った。
〈河川敷に焼死体…散歩中の女性が発見
十八日午前四時四十分ごろ、――市――川の河川敷で、散歩中の女性から「遊歩道に焼死体のようなものがある」と一一〇番があった。遺体の年齢や性別は不明。――署は身元の確認を急いでいる。〉
風が蝉の声を巻き込んで北へ抜ける。恒樹は心の中で「なるほど」とつぶやいた。なるほど、そういうことか。メッセージの通知がひらめいて消える。確認しないままスマホを下ろした。仰いだ空は淡い青で、薄雲がかかっているのかいないのか判然としない。ただ、この星で一番彼を知っているのは自分なのだろうと思った。
終
キューのエレジー 藤枝志野 @shino_fjed
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