2章 9話 テニウス巻き

「ぷはぁ!!くぅ~うっめぇ~!!」


 白麦酒が喉を通り抜ける喜びを全身で感じながら、ラクピスは音を立てて木杯を机に置いた。そして、口周りに付いた泡も気にせず、上機嫌そうに薄切りの燻製肉を頬張っていた。

 トリワーズと別れてから、カナタはあてもなく歩くラクピスに着いてまわり、新市街の中心部を巡った。

 日が完全に落ちた後、腹をすかせた二人は街に漂う美味しそうな匂いに誘われるようにして、ふらりと酒場に立ち寄った。

 白麦酒と燻製肉を交互に口へと運ぶラクピスを見ながら、カナタは薄めた果実酒を舐めるようにして喉を潤していた。そして、意を決して、ご機嫌な様子のラクピスに恐る恐る話しかけた。


「あの…ラクピス様」


「ん?別に様は無くていいよ。ラクピスで」


 指先に付いた燻製肉の塩気を舌で舐めとりながら、ラクピスは素っ気なく答えた。

 初めて会った時の格式ばった感じではなく、幾分気楽そうな口調に変わっていた。

 見るからに高貴そうな生まれの彼女に、馴れ馴れしい呼びかけをしていいものだろうかと不安になった。


「じゃあ、ラクピスさん…

 トリワーズさんと別れてしまっても良かったんですか?

 苦労して探されていたみたいでしたけど」


「私にうろちょろされたら困るんだろうね。

 無事なことが分かれば、あとはヤーブがなんとかするんじゃないかな」


「ヤーブさん…」


 ヤーブという老人は、ある日、監査隊であるトリワーズの補佐としてカナタの村に現れた。

 彼の正体は監査隊に紛れてやってきた王都の役人であり、カナタが何かしらの使徒であると見抜き、利用しようと村に現れたのだった。

 最終的に、カナタの処遇はうやむやになったが、慣れ親しんだ村を出ることになった遠因となった人物であったため、カナタはヤーブに対して正直あまり良い印象を持っていなかった。

 しかし、片眼鏡の飄々とした老人の皺だらけの顔が、ラクピスの無茶ぶりで悩ましげに歪む顔を想像すると、カナタは少しだけ居た堪れない気持ちになった


「いやぁ、新市街の酒場で一度飲んでみたかったんだよね。

 レグナムルスで食事をするときは、たいていが息が詰まるような晩餐会ばっかだったから」


 ラクピスは美味しそうにしみじみと、向こう側が透けて見えそうなほど薄く切られた燻製肉を一枚ずつつまんではあむあむと咀嚼している。

 彼女の言葉を胸の内で反芻しながら、カナタは薄めた果実酒を口に含んだ。


(晩餐会って…やっぱり、この人はお貴族様か何かなんだな)


 カナタは「もしかしたらそうかなー?」とは思ってはいたが、勘が当たってもあんまり嬉しくなかった。

 村以外の社会を知らないカナタには、目の前の女性がどれほど偉いのか及びもつかない。

 しかし、粗相そそうで彼女の機嫌を損ねれば、自分のほそい首ぐらい容易にとんでしまうのだろう。


(怒らせないようにしないとな…)


「あれ、食べないの?

 私の奢りだから遠慮せず食べていいって」

 

「えっと…」


 カナタは目の前に差し出された燻製肉の薄切りと、不思議そうな顔をするラクピスとを交互に見た。

 ほんとうに、食べて良いものかほんの一瞬迷った。

 しかし、食欲には勝てなかった。 


「…ではお言葉に甘えて」


 着の身着のままで城内から放り出されたカナタは、朝食からろくに食べていなかった。あまりの空腹に、目の前の薄切り肉が光輝いて見えるほどだった。


 一枚つまんで口の中に放り込むと、薄く切られているのに噛めば噛むほどに旨みが溶け出し、甘い脂身が口いっぱいに広がった。

 空腹も相まって、あまりのおいしさにカナタは静かに涙した。

 燻製肉にまぶしてある粗塩には、潰した香辛料が混ぜてあったようで、鼻に抜ける清々しい風味が、減りに減っていた食欲を刺激した。


「ぉほいしいでふ…」


「デレクハラネの種子を砕いたものが粗塩に混ぜてあるみたい。

 ニヴェス河の分流の先にある乾燥地帯の香辛料で、食欲不振によく効くのよ」


「なるほど…だからこんなにもお腹が」


 空腹を思い出したかのように、酒場の喧騒に負けじとカナタの腹がグルグルと鳴り始めた。

 恥ずかしそうに腹を鳴らすカナタを見ながら、ラクピスは愉快そうに声を上げて笑った。


「そろそろ料理が来るはずだから…っと早速来たよ!!」


 ラクピスが机の中央を空けると、給仕の腕いっぱいに乗せられた料理が、無造作にいくつも並べられた。


 赤茸アカダケと形を残した根菜のとろみがついた汁物。

 紅い身の大きな河魚の一夜干し。

 菜野菜と小魚の姿揚げを、香辛料と酢で軽く漬けたもの。

 匙でつつけば簡単にほぐれるほどに、しっかりと煮込まれた河牛かわうしの肩肉。

 そして、挽いた白麦を平たく薄焼きにしたものが、3つの液体といっしょに、二人の前にそれぞれ置かれた。

 

「これは、どうやって食べれば…?」


 カナタは去ろうとする給仕の男を呼び止めて尋ねた。

 

「アンタ、却魔祭の観光客かい?覚えときな。

 この白麦の薄焼きはテニウスといって、卓に並んだ料理を巻いて食べるんだ。

 そのときに、このコディというタレをいっしょに包んでみるといい。

 ホラ、お連れさんのようにしてな」


 ラクピスはいくつかの料理を手際よくテニウスにのせると、赤黒いコディを振りかけて巻いた。そして端からおもむろに齧り付いた。

 

「美味い美味い。だが、ここのコディは辛いな…」


「おうよ。うちのはカイエの種を潰して混ぜてるからな。

 ちっと辛いかもしれんが、これが酒と合うんだよ!」


 ラクピスは合点が行ったように、白麦酒の木杯を掴み取ると、のどを鳴らして流し込んだ。


「くぁっ~~!!商売上手だね!!もう一杯お代わりを!!」


 まいど!と陽気にそうに店員は奥に引っ込んでいった。

 美味しそうにテニウス巻きを食べるラクピスを見て、カナタも見よう見まねで料理を少しずつ取っては巻き取ってみた。


「いただきまぁす…」


 カナタが大口を開けたその瞬間、ふと自分が硬貨を持たないことに気付いた。

 しかし、ラクピスがおごりだと言っていたことを思い出し、少し悩んだがそのまま齧りかぶついた


 汁物に入っていた根菜は大ぶりなのに噛めば柔らかく、ほくほくとした食感が楽しめた。

 一緒に入れた一夜干しの河魚は塩が効いており、噛めば噛むほどにうまみがじんわりと身体に染み渡るようだった。

 そして、試しに入れてみた緑色のコディは、鼻を抜けるような酸味が効いていた。 

 優しい味でまとまっていたテニウス巻きに、緑色のコディがほどよい刺激を与え、カナタは夢中になってあっという間に一つ目のテニウス巻きを平らげてしまった。

 

「どう美味しい?」


「今朝から何も食べてなかったので、最高です…」


 満足げに二本目のテニウス巻きに取り掛かったカナタを見て、良かった良かったとラクピスは頷くと、自分は本日3本目のテニウス巻きに取り掛かっていた。


 料理を巻いては食べて、食べては飲んで、そしてまた巻いて。

 二人は夢中になって、しばらく無言のまま、レグナムルス初日の食事を楽しんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【1章完】 救世の使命は、忘却のカナタ ~記憶喪失だけど異世界救えって女神様が~ ネリ村 根利蔵 @ikasumi25

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ