心のままに、今を生きるということは

 * * *


『コバト! 大丈夫か!』


 コバトのスマートフォンに、電話がかかって来たのは、夜のことだった。


「何よ急に……いま宿題やってるんだけど」


 切羽詰まったフウタの声に、妙だとは思うものの、宿題のプリントを睨み続ける。が。


『密告された』

「は?」

『密告されたんだ、俺達』


 コバトのペンが、ぴたりと止まる。

 悪い冗談たと、コバトは最初思った。自室、ふと振り返れば扉は閉じたままで、両親も普段通り過ごしているように思える。いつも通り、会話は一切聞こえない。


「密告って何? そもそも私達……」


 愛し合っていないし。


 なんて、嘘でも言いたくなくて、コバトは言葉を呑んだ。

 なんだか自分の気持ちを否定するみたいじゃないか。

 それが、邪悪なことだって?


「……フウタ、どこにいるの? 家?」

『家に天使さまが来たんだ! それで俺とお前を捕まえるって言ってて……だから逃げ出した』

「逃げ出したって……どこに行くつもりなの……?」


 天使さまに捕まったのなら、記憶を消される。

 この気持ちも消されてしまう。フウタを大切に思った気持ちも、いま彼を心配する気持ちだって。

 けれど、どこに逃げたらいい?


『……全部間違ってるって、ずっと思ってた』


 と、不意に。


『コバト、俺、お前のこと好きだわ。なんでこの気持ちが悪いものって言われるのか、わかんないくらいに』


 誰にも伝えてはいけない、言ってはいけないその心を。


『……俺は島を出る。聞いたことがあるんだ、海の向こうにも、人が住んでるって』

「――私も行く」


 コバトは立ち上がり、バッグに荷物を詰め込み始めた。何を持っていけばいいのかわからないものの、とにかく必要そうなものを。


「私も……フウタのこと、好きだから」


 この気持ちを消されたくない。

 口にすれば、急に顔が熱を持ち始めた。けれどそれは心地がいいもので、気付けばコバトは笑っていた。

 ところが、突然激しく叩かれた扉に、顔が青ざめる。


「コバト、鍵を開けなさい! 天使さまが来ているわよ!」

「道を間違えてしまったんだね、なに、大丈夫さ、間違いは誰にでもある」


 母親と父親の声だった。普段は全く仲良さそうにみえないのに、いまは一緒に扉を叩いている。

 コバトの部屋は二階にあった。けれど、窓を開ければすぐそこに塀があり、足を伸ばせば歩くことができた。


『港で待ってる』

「……もし私が捕まったら、フウタは一人で逃げて」

『お前は俺のこと忘れちゃうのに? それなら俺もいっそ……』

「私、フウタに忘れて欲しくない。この話だって」


 荷物を持ち、旅立ちの準備はできた。


『……絶対に来てくれよ』


 通話は途切れた。コバトは夜の闇を走った。



 * * *



 まさか、こうも逃げ出すとは思われていなかったのかもしれない。

 案外あっさり港について、コバトはフウタと再会した。


 再会して、面と向かって、再び「好き」という言葉を伝えようとしたけれども、痛いくらいの抱擁を受けたものだから、コバトもきつくフウタを抱きしめた。

 もう何もかも、気にしなくていい。


 フウタは小さなボートを用意していた。大きな海にはあまりにも小さな船だったが、希望を確かに乗せていた。


 ボートに乗った二人は、夜のうちに港を離れた。

 朝になって見回せば辺りは海だけで、故郷の島はどこにも見えず、いま自分達がどこにいるのか、わからなかった。

 しかし不安はなかった。二人一緒だから。


「進めば、そのうちどこかに着くさ」

「そうね! ところで私達のこと密告したの、一体誰だったんだろ、私達、結構気をつけてたと思ったのに」

「……実は本物の天使さまだったり?」

「何それ」

「本物の天使さまがさ、俺達をくっつけるために、わざと密告したとか!」


 それだったらいいな、とコバトは笑った。

 自分達は間違ったことなんてしていないし、愛は邪悪なものではない、という意味になるのだから。

 けれどもどうして、愛は邪悪と言われるのか――。


「……お母さんからだ」


 そう考えた時に、不意にコバトのスマートフォンが鳴り出した。迷った末に、コバトは出てみる。フウタにも聞こえるよう、スピーカーにする。


『やあ、コバトちゃん、フウタくん』


 聞いたことのない、男の声だったが、


「……天使さま?」

『そうだよ、コバトちゃん。いますぐ帰ってきなさい、海は危ないし……君達は、幸せになれないよ。相性がよくないもの』

「相性?」


 フウタが眉を顰める。


『そう。相性。君達は生物学的に、相性がよくない。だからね、幸せになれないんだ……十五歳になったら、私達が君達に運命の人を見つけてあげるよ。その人と一緒になることが、一番の幸せなんだよ』


 生物的に相性はよく。

 問題のない夫婦となれる。

 子供だって、優れた子を授かれる。


『君達だって、優秀な子だよ。人間だからこそ、道を間違えはするけど……とにかく、今の気持ちというのはね、勘違い、なんだよ。長くはもたないんだ。いずれ破綻する』


 勘違い、なんて。長くもたない、なんて。破綻する、なんて。

 間違いなくある「今」を、否定されたくなかった。

 コバトとフウタは見合う。通話はまだ続いている。


『不幸の道だよ、科学的にそう結果が出ている。私達のシステムでの出会いこそが、幸せへの道だよ』

「そうですか、よくわかりませんけど」


 答えたのはフウタだった。そしてコバトは、


「なんだかすごく、『今』や『心』を否定されてるみたいで、嫌な気分です」


 コバトが高くに掲げたスマートフォンは、太陽に輝いて、そのまま手元を離れた。

 青い海に沈んでいく。


 そして二人でまた見合い、何も間違いはないのだと、心の思うように生きているのだと笑い合う。


「フウタ、私、結構前から、フウタのこと、好きだった」


 笑い合う中で、向き合って。

 今度は電話越しなんかではない。


「俺も。コバトのこと、好きだったんだ」


 誰も聞いていない。誰かいたとしても、聞かれて問題ない。


 ――船の進む先に、島が見えて来た。

 フウタと手を繋ぎ、船から降りる。新しい大地を踏みしめた。


 もしも。

 もしも後悔したのなら、それでも構わない。

 今を選んだ。心のままに進んだ。だから。


【無味のエデンを抜け出して 終】

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エデンを抜け出して ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya

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