エデンを抜け出して
ひゐ(宵々屋)
女神と天使がいる島
中学校内にある聖堂、女神像の前に
「女神さま、私のクラスメイトである、
そうして
少し、ずきりとした痛みがあったけれども。
「どうか二人を、正しき道に――」
* * *
草野レイナと冬川ユウジが「天使さま」に連れていかれて、三日後。二人は学校に帰って来た。かつてのように仲良く話している様子や、何かを隠している様子はもうない――恋をするのは間違っている。知らせを受けた天使さま達が、記憶を消したのだ。
「……誰かを好きだと思った気持ちを消されるのって、どんな気持ちなんだろう」
そもそも記憶を消されるのだから『どんな気持ち』もないかもしれない。
席でそう呟いてしまった間宮コバトは、はっと我に返って見回す。いまの言葉、聞かれていないかな。聞かれていたのなら、怪しまれてしまうかもしれない――。
幸い、誰にも聞かれていないらしかった。白い制服の皆は、教科書を手に、次の授業の場所である理科室へと向かっている。
「コバト! 理科室行かないの? 遅れたら先生に怒られるよ!」
「うわぁん! 置いてかないでよ!」
友人に声をかけられ、コバトは慌てて教科書とノートを引っ張り出し、立ち上がる。
そうして皆から遅れて、教室を出たところで。
「――好きなんです。言わなくちゃいけないくらい、好きなんです」
「シッ! 誰かに聞かれたらどうする!」
「でも……あなただって、本当は」
「――僕だって、君のことが好きだよ。でも聞かれたら」
女神さまに密告されてしまう。この島で、恋愛は許されない。
廊下の曲がり角の先から、かすかに声が響いてきていた。コバトがちらりと覗けば、見覚えのある男女の姿がある……あれはB組の生徒か。名前は確か――。
誰かが愛し合っていることに気付いたのなら、告げること。それは島にいる皆の義務だ。
――放課後、コバトは中学校内にある女神像へ向かう。小さな聖堂の中、白い石像はうっすらと笑みを浮かべて目を瞑っている。
「女神さま、B組の――」
さあ密告を。恋はしてはならないものだから。
それは気の迷い、過ちの道――と教えられている。
――でもどうして?
――正しいことをしているのに、胸が痛いのは何故?
「どうか二人を、正しき道に――」
声は女神さまに届き、やがて天使さまが二人を大聖堂に連れていくだろう。
全てを終えて、コバトが聖堂を出ようと、扉を開けた時だった。
「うわっ! って、コバトか。なんか顔色悪いぞ」
「……フウタ?」
押し開けた扉にぶつかりそうになったのは、コバトのクラスメイトである、
「フウタもまーた見つけちゃったの? だれだれ?」
「ああ、B組の奴らだよ、この二人、前に俺が密告して、一度正しい道に戻ったはずなんだけどさ。どうやらまた……ああ、名前は」
そうして告げられた名前を聞いて、コバトはぱちりと瞬きをした後、にやりと笑ったのだった。
「その二人、たったいま密告しちゃいました~!」
「先越されたってわけか……ていうか、顔色悪いと思ったけど、結構元気だな?」
「……フウタに会えたからね?」
二人で聖堂を離れ、そのまま学校を出た。帰路は途中まで同じだ。
互いに、あまり会わないように注意していたけれど、この下校は不自然ではないだろう。
「あっ……天使さまだ」
歩く中、天使さま数人を見かけた。白衣を着て、サングラスにも似た大きなゴーグルをぎらぎら輝かせている。話によると、あのゴーグルをつけているから、天使さま達はこの島の住人全員の情報がわかってしまうらしい。
そういえばこの前密告した草野レイナは、いつか天使さまになるのだと、勉強を頑張っていたっけ。ふとコバトは思い出す。天使さまになるには――大聖堂の一員になるには、勉強ができなくてはならない。
そして信仰心も強くなければいけなかったのに、レイナは恋をした。
まあ恋愛は邪悪なものであるが、人は「間違った道」を歩みやすいものだから、とも教えられた――。
――本当に?
――この気持ちは、本当に、間違い?
「隠れないと」
ぼんやり天使さまを眺めていると、不意にフウタに手を引っ張られ、物陰に連れ込まれた。
「一緒にいるところを見られたら……勘違いされる」
――勘違いか。
コバトの手は、フウタと繋がれたままだった。
フウタの手から、フウタの肌の温かさ、早くなっている鼓動を感じる。
思わず強く握れば、フウタも握り返してくれた。
……時々、思うことがある。
どうしてこの島で「この気持ち」は悪いものなのか、と。
――いつからそう思うようになったっけ。
――女神さまのために、いっぱい密告をして、ある日胸が痛くなってから?
恋心。抱いてはいけない気持ちであり、抱いている者がいれば、告げ口しなくてはいけない。
『――好きなんです。言わなくちゃいけないくらい、好きなんです』
思い出したのは、今日の廊下での盗み聞き。
逃げられないように、コバトはより、フウタの手を握った。
「……勘違いって、なんだろうね?」
我慢できなくて、唇が震えた。
ひどい悔しさに、背を押された。
そもそもフウタに「勘違い」と言わせたくなかった。
フウタだって、こちらに聞こえるくらい、鼓動を激しくさせているというのに。
「……あのさ、フウタ」
「だめ」
まだ何も言っていないのに、遮られた。
「絶対に、言っちゃいけない」
フウタの手から、フウタの激しくなる鼓動をより感じてしまう。
それでも彼は。
「誰にも言うな。俺にも……言うな。俺も誰にも言わない」
コバトにも、言えない。
そうして浮かべた、寂しそうな顔。初めて見たわけではない。そして初めて告げようとしたわけではない。
けれども思う。
――私達はこんなにも忠実に女神さまのために働いている。
――それなら、ちょっとは自分達のことを、大目に見たっていいじゃないか。
――恋愛の何が悪いのかも、教えてくれないくせに。
――本当に間違いなら、理由を教えてよ。
* * *
「女神さま、間宮コバトと長峰フウタは愛し合っています。二人は許されない恋をしています」
聖堂に声が響く。
「どうか二人を、正しき道に――」
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