ヒメルコ -ドキドキ限界突破《クライマックス》-

人生

 馬鹿って言う方が馬鹿ってよくいうけど、それってつまりあれがって思う方があれなんだよねって話




 たとえば、悪だくみする人がいるとして。

 その人は自分の正体を隠している。普通の人々の中に紛れ込み、なんでもないような顔をして――そうしなければ計画が露見して、全てが失敗に終わってしまうから。水の泡になってしまうため。


 にもかかわらず、計画が順調に進展したとき――もうすぐこれまでの努力が実を結ぼうという瞬間――思わず、「にやり」とほくそ笑むことがあるだろう。


 思わず、笑みを漏らしてしまう――あるいは計画が台無しになるかもしれない、一瞬の気の緩み。緊張からの解放という、何よりの快感。その悦びを想像し――誰かに自分の正体を感づかれるかもしれないという、最大のリスクを冒す。


 破滅の微笑――だけど、それはとっても――




 ――ある夏の日のことです。


 少女は幼馴染みの男の子の部屋で、ベッドに飛び込んで、そして枕の下に隠されていたそれを見つけてしまいました。


 そう、エロ本です。



 江来えごろのぞみはその日、クラスメイトの男の子に声をかけられた。

 今日、うちに来てくれ――突然のお願いである。


 彼女を誘ったのは立脇たてわき内斗ないとという少年で、望とは幼馴染みのような関係なのだが――同じアパートに住んでいた彼の家族が引っ越し、二人が中学生になってからというもの、少しだけ疎遠になっていた。


 学年が上がり同じクラスになった現在も、男子と女子というそれぞれ異なるグループに属していることもあって会話する機会はほとんどなく――このまま、お互いのことを忘れて大人になっていくのだろう、なんて望が思っていた時期のことである。


 放課後に突然声をかけられ――いったん自分の家に戻って準備を整えてから、待ち合わせ、そして彼の家に向かった。


(なんだかデートみたい!)


 お家デートである。――いやちょっと待って? 初めてがそれ?


(いやいや……)


 今日のお呼ばれの目的は、内斗に勉強を教えることだ。

 なんでも、次のテストで良い点をとりたいから――たぶん本音は真面目に勉強に取り組んでいるところを親に見せたいから、なのだろうけども――とりあえず、断る理由も、特に予定もなかったから、望は家庭教師役を引き受けたのだ。

 望の本音はといえば、彼の新しい家に行ってみたかったというのが一つと、久々に幼馴染みの男の子と話せたことが純粋に嬉しかったというのが一番。


 うきうきわくわくしながら、一軒家に上がる。アパート暮らしには新鮮だが、一応望も他に女子の友達はいるので、お家にお呼ばれくらいしたことはある。しかし、それとこれとは別というかなんというか――


「二階、先に部屋行ってて」


「え、うん」


 言われるまま階段を上り――特に目印もないドアが二つ。どちらかが内斗の部屋で、もう一方がその姉の部屋だ。とりあえず右側のドアをノックしてみる。反応がないので、「失礼します」とつぶやきながらわずかに開いて中を覗く――うん、たぶんこっちだ。


 男の子っぽい雰囲気の部屋――カーテンが閉じていて――窓側にベッドがある! それを見て思わず、望は鞄も放り出して飛び込んだ。望の家は狭いアパートで、家では布団を敷いているものだから、ベッドというものに憧れのようなものがあって――おもちゃを見て目を輝かせる子どもとか、ご飯を前に尻尾をぶんぶんする子犬のような自分を自覚しつつ、どうせ誰も見てないし! という楽観からのダイブであった。


 スプリングの反動、その余韻を楽しみながら、シーツに顔をうずめる――枕の下から、さっきは見えなかった何かが飛び出していた。


「? 漫画?」


 手に取ってみれば、それは少年漫画のようだった。可愛い女の子が表紙――なんでこんなものがここに? どういうものだろうと、何気なく、興味本位でページをめくった。


「!?」


 裸の女の子のイラストがでかでかと。もう、なんというか、すっぽんぽんだった。


(エロ本! ……性の目覚め!)


 望はただちにそう認識した。


 いつの間にか、幼馴染みの男の子は「男」になっていたのだ――


「っ」


 廊下から足音が聞こえ、望は即座に漫画を枕下に戻し、床に置かれた背の低いテーブルの前に正座する。床に直なので足が痛くなってきたが、そんなことも気にならないくらい胸が苦しかった。


 どくんどくんと心臓が激しく脈打っている――ドアが開く。鞄を下げたままの肩でドアを押しながら、内斗が部屋に入ってくる。お盆の上にはガラスのコップと、並々と注がれたお茶っぽい飲み物。小皿にはクッキー。


「なんか、うちの親いなくてさー。母さん夜まで帰らないって――」


 何気ないつぶやき。だから自分でおやつを準備してきたので遅くなった――みたいなことを言いたいのだろうが、望の頭の中には「両親、不在。今、二人きり」という情報だけが残された。


(そ、それって……つまり? 何もしてもバレないとか――何かしようって言ってるの……!?)


 膝の上で握った手のなかに汗が滲む。額とか脇とか膝裏とか、そういうところも湿っぽくなっていく一方で、口のなかは渇いてくる。飲み込んだ唾が硬い。ごくり、と喉が鳴った。


 望はテーブルの上にお盆が置かれるなりすぐにコップに手を伸ばし、お茶っぽい冷たい飲み物をごくごくと飲み干した。


「おお……、何? そんなに喉渇いてたのかよ」


 謎の感嘆が少し引っかかったが、別に特に変なところもない、普通に美味しい飲み物だ。お茶のような渋みもあるが、苦すぎず、冷たくて飲みやすい。ただ、味は悪くないのだが、飲んだ感がしないという不思議な後味があって一気に飲み干してしまったのである。ふう、と一息。少しは冷静になれたか。


「おかわり持ってくるよ」


「え、あ、うん」


 内斗が部屋を出ていく――足音が遠ざかる。無意識に耳を澄ませていた望は、それからふと我に返って「どうしよう」と何度となくつぶやいた。


 これから、二人きりの密室で――お勉強会。なんだかその言葉も意味深だし、他人がこの話を聞けば、間違いなく「何かあった」と勘違いするのではないか?


 というかもう、何かあるんじゃないの?


「こ、心の準備が……」


 まずは、落ち着こう。鞄から筆記用具やノートを取り出す。内斗だって思春期の男の子。そういうことに興味を持っても不思議ではない。たぶん、枕の下が一番見つかりづらいというか、灯台下暗し的なものだったのだろう。別に枕の下にいれておけば初夢が見られるとか、そういうことじゃない。そもそも正月じゃない。


(何かの見間違いってことも)


 もう一度確認してみようとしたところで、ドアが開き、内斗が部屋に戻ってきた。行動する寸前だったこともあって、心拍数が異様に高まる。


「はい、おかわり。じゃ――何からやる?」


「な、何から――!?」


「簡単なものから確認していきたいんだけどさ――そうやってまずは自信をつけたい」


 これまでどんな風に話していたっけと頭のなかの混乱が収まらない望と違って、内斗はどこまでも自然だった。話しながら、まずは今日出された課題のプリントに取り掛かる――


「そういえば……なんで、スマホ没収されたの?」


 平常心を取り戻そうとするように、何気ない話題をふる。内斗がテスト対策に乗り出したその理由――親に、スマホを取り上げられたのだという。次のテストで良い点を取らなければ、返してもらえない。


「ゲームやっててさ――まあ、今思えば俺もどうかしてたんだけど、ずっとやってたもんだから」


「あぁ……」


 以前、彼が教室で友人たちとそのような話をしていたことを思い出す。徹夜してしまって、授業中に居眠りしていたりと――成績が下がるのも、それが親に怒られるのも、納得がいく。


「でもさぁ、今時ゲーム没収とか……スマホだぜ? 生きるための必須ツールを取り上げるとかどうかしてるって」


「まあ、仕方ないよね……」


 その後も彼が遊んでいるオンラインRPGの話をしながら、望は着実に落ち着きと、疎遠だったぶんの時間を取り戻し、内斗はプリントを前に難しい顔をしていくようになっていった。


「最悪なのがさ、俺、最近出来たフレンドと今度遊ぶ約束してたんだよなぁ。その直後にスマホとられたからさ、もうドタキャンなんだよ。連絡もできないし。イベントも終わるし」


「それは、災難だったね――」


「そのフレンド、女子なんだけど……いやぁ、絶対嫌われたよなぁ。俺、結構頼られてたんだぜ」


「へえ……」


 エロ本を枕の下に隠しているのにそんな自慢げな顔されても。


「なんだよ」


「え、別に?」


 にやにやしていたら、難しい顔をした内斗がプリントを手にこちら側に寄ってくる。「これよく分からないんだけど」という内斗を意識しないようにしながら、問題に意識を集中する。解き方を教えながら、気分を変えようとするように、


「でもさ……女の子とは限らないでしょ? ゲームなんだし、相手の顔も分からないんだし――」


 もう何度目とも知れないが、やたらと喉が渇くので茶色の液体がなみなみと注がれたコップに手を伸ばす。


「だって、『ヒメチャン』って名前だぜ、男がそんな名前つけ――ちょっ、わ!?」


 望は噴き出していた。飲みかけのお茶がテーブルの上に飛び散る。


「あご、ごめっ、」


 幸いにも教科書類への被害は少なく――代わりに、内斗のズボンがびしょ濡れになっていた。


(私はなんてことを!)


 慌ててティッシュを数枚抜き取った、内斗のズボンに手を伸ばす――が。


 これはなんというか、いろいろとあれな――と、顔を赤くして硬直する望と違って、内斗はいっそ冷たいくらい平然としていて、「拭くものとってくる」と言いながら適当な着替えを手に取って、部屋を出て行った。


「…………」


 今の、どう思われただろう。変な名前に思わず噴き出した、という風に受けとられたか。だからちょっと不機嫌そうだったのかも。ティッシュをとっておきながら固まったのも何か誤解されたかもしれない。一応、内斗を拭くかテーブルを拭くかで悩んだというポーズはとれたか。

 しかしそれはそれとして、部屋のなかで服を脱ぐ展開にならなくて一安心――いやいや、それはそうなのだけども。


(……この状況……)


 ――もしかして、私のせい?


 なんだかとてつもない悪だくみをしているような後ろめたさが湧きあがる。


「はあ――」


 と、大きなため息とともに内斗が戻ってきた。服を替えてきただけでなく、なぜか新しいペットボトルを手にしている。見れば、テーブルの上のお茶のボトルは空になっていた。追加のおかわりか。


(まだ出るの、そのお茶……?)


 気まずくて口を開けず、渡されたタオルでテーブルの上の水たまりをふき取っていく。望がそうする横で、内斗は空になった望のコップに再びなみなみとお茶を注いでいた。


(い、入れすぎだよ……そんなにもう入らない――それにしても、やたらと飲ませようするような……? 気のせい? もしかして……)


 さっきから胸の動悸が治まらない。理由はまあ、いろいろあるのだけど。


(な、何か、あやしい成分が入ってたりして……)


 ごくり、と固い唾を飲み込む。喉の渇きと、自分が汗をかいていることを自覚した。


「な、なんだか……ちょっと、暑くなってきたね」


 と、口にしてからその台詞がとても意味深であることに気付いてあたふたする。恐る恐る彼の様子を窺えば、


「……じゃあ、このお茶かけてやろうか?」


 めちゃくちゃ根に持っているようだ! 変な気分が一気に覚める。やはり私は頭を冷やすべきだ!


「う、ごめん……」


「別にいいけどさぁ――」


 言いながら、内斗はベッド際に向かう。窓を開けるのか――そうすれば、少なくともこの密室から解放される。空気も変わるだろう。気分的な問題だが――と思えば、枕元に置かれていたリモコンを手に取り、彼はなんと、冷房の電源を入れたのである。


「そのお茶さぁ、」


 と、冷房を見上げ、リモコンで温度調節しながら、


「うちの親が安かったからって大量に買ってきてさ、消費が追い付いてないんだよなぁ。安いってことはまあ期限近いってわけで、そんなに美味くもないし」


 再びコップに手を伸ばす。そうやってお茶を飲む動作を相槌の代わりにする。


「でも望が好きなら箱ごとあげるけど。まだ二箱あるから」


「いや、それはさすがに……」


 だからやたらと注いでくるのか。少しでも消化したいという、昔から変わらないもったいない精神である。それは日本人の美徳だが、飲んだからといってすぐに体内に吸収されるものではない。飲みすぎれば余分な水分は排出されるものである。


(う、なんだか……体が冷えて……)


 下腹部に圧迫感を覚える。どうしよう、と腰を浮かしかけて、足の痺れに顔をしかめる。ずっと正座していたせいだ。ぶるっと背筋に走る悪寒。


「さっきのさぁ……話なんだけど」


「な、なに?」


 さっきのってなんだっけ、と思考停止。全身が緊張する望に、


「やっぱりヒメチャンって名前は女子っぽくないか? 男はつけないって、そんな恥ずかしいの」


「う」


「でも、もし、あの子が男だったら――いや、男じゃなくても、俺……うっわぁ……」


 初心者女子にゲームについて得意げに先輩面して教えていたことが黒歴史に変わっていく様子を望は眺めていた。人には言えない恥ずかしいあれこれがどんどん脳裏に溢れているのだろう。思わず口走ってしまうくらいに。

 共感性羞恥というやつかもしれない。望もなんだか胸が熱くなってくるのを感じていた。恥ずかしがっている人を見ていると、自分まで恥ずかしくなってくる――その一方で、心にこみあげてくるものがある。


(そうだよね、学校ではつんつんしてても、実は女の子と遊びたいお年頃だよね。ゲームのなかではカッコつけながら、スマホの前ではきっとでれでれしてたんだよね……)


 下心があっても仕方ない。もしかするとそのゲームのなかのお姫様のために勉強も頑張ろうなんて、柄にもないことを思ったのかも。今ごろその決意も揺らいでいるのだろうか。


 そんな時に、もしも――もしも、と考えて、ぶるっと全身に走る震え。なんともいえない感覚に頭の奥が痺れて来る。


(言っちゃったら……どうなるのかな)


 もしも――その恥ずかしい秘密の全てを、知っていることを――


(私が『その子』だって言ったら――)


 どんな顔をするだろう――そして、それからどんなことになるだろう。

 二人っきりの、この状況で――えっちな本を隠している男の子は、どんな反応を見せるだろう。


 想像するとどんどん堪らなくなってくる。その顔を見たいと――我慢できない。


 口元が緩む。緊張が解ける――頭のなかにじんわりと熱が広がっていく。


(もう、言っちゃいそう――)



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