それは神様でもなく悪魔でもなく

koharu tea

第1話

「あぁもう何でだろう」


 見習い魔道士シェリーは誰もいない草原に寝転び力なく呟く。


 上級魔道士試験に落ちてしまった。上級魔道士試験は一年に一度行われるため、今回不合格となると次回の受験は一年後ということになる。


 上級魔道士として王国に仕えることはシェリーの十歳からの夢だ。その夢を持ったきっかけは、近所に住んでいたジゼルという八歳年上の魔道士が上級魔道士試験に合格したことだった。ジゼルは面倒見が良く、いつもシェリーを見かけると優しく声をかけてくれ、シェリーにとってジゼルはまさに初恋の人であった。

 シェリーが十歳になる頃、ジゼルは上級魔道士の試験に合格し、王国に仕えることになった。王国に仕える上級魔道士達は、皆王国の中心であるレゾーナという街で暮らすことになる。生涯そこで暮らすという訳ではないものの、少なくとも十年前後はそこで暮らすのが一般的だ。

 シェリーにとってジゼルがレゾーナへ越してしまうことは、当然ながらとても寂しいことであった。しかしその現実は上級魔道士になるという夢をシェリーに与えてくれ、今日に至るまでひたむきに突き進む糧となっていた。


 上級魔道士試験はいわゆる難関試験と呼ばれるものだ。一度の試験での合格者はわずか十人足らずだという。しかしその試験に合格することが、王国直轄の魔術集団の一員として王国に仕えるための必須条件なのである。

 自分が出来の悪い魔道士であることはわかっていた。それはシェリーがこの試験に四度落ちていることがはっきりと証明している。それでも座学に関しては必死の勉強が功を奏し、初めて試験を受けた時から合格点を切ったことは一度もない。しかし技術試験に関してはなかなか思うようにいかず、今回も技術試験の点数が原因で不合格となってしまっていた。


「諦めるつもりはないけど、何だかなぁ」


 ポロポロとシェリーの頬に涙が伝う。努力が足りないと言われれば、それまでだ。でも何もしなかった訳じゃない。頑張らなかった訳じゃない。でも現実は無情にも不合格の文字を突きつけてくる。


 元々諦めは悪い方だ。上級魔道士として王国に仕えることも、ジゼルとのこともシェリーはずっと全部叶えるつもりでいた。もしかすると、もうジゼルはシェリーのことなんて忘れているかもしれないが、それでも、いやそれならば、今の自分を見てもらえば良い。シェリーはそう思いながら過ごしてきた。


「去年試験に落ちたときだってさ、すぐまた勉強に取りかかれたじゃん。だから今回だって⋯⋯」


 言葉を全て言い切る前に、シェリーは唇を強く噛みしめる。

 今回だって頑張れるはず、泣いてる暇なんてないはずなのに。何度心が折れたって、ただひたすら前を見ていればいつかは必ず報われるといつも自分を鼓舞してきたのに。


 悲しみの渦に飲み込まれそうになりながらも、きっとまた自分が試験を受けるだろうことは、心のどこかでうっすらと分かっている。諦めの悪い自分の性格は、誰よりも自分がよく知っているのだ。けれども今回は、そう簡単には起き上がれそうにない。困難にぶつかってもひたすら進み続ける性格は、いつもとは違い、すぐに顔を出すつもりはないようだ。

 それを認めた途端、シェリーの頬をポロポロと伝っていた涙は大粒の涙に代わり、まるでダムが決壊したかの様にその涙は止まることはなかった。



 気づけばシェリーはそのまま寝てしまっていた。泣き疲れて眠るなど、幼少期以来だろう。ぼんやりとした頭で辺りを見渡せば、周りの景色はだいぶ暗くなっていた。

 この辺りの草原は夜になると急に気温が下がると言われている。

 あまり長居はできないな、シェリーはそう思ったものの、なんだか家に帰る気にもなれず再びその場に寝転ぶ。


 今ここで、神様でも悪魔でも良いから目の前に現れて、明確に、技術試験がうまくいかない理由を教えてくれたら良いのに。何が悪いのかちゃんとわかったら、またこの一年を必死に頑張ることが出来るのに。

 そんな起こりもしない妄想をしながら、シェリーはあと五分だけ、と思い目を瞑る。


 すると突然、遠くの方から人がやってくる気配を感じた。シェリーは咄嗟に目を開ける。

 魔道士は人の気配に敏感だ。出来の悪いシェリーと言えど、気配を察知することくらいであれば、例え対象が肉眼に見えない距離にいたとしても可能だ。

 シェリーは目を凝らし辺りを見渡すが、人影らしきものは見当たらない。


 もしかして、本当に神様か悪魔でも舞い降りるのか。そんな妄想をしながらしばらく辺りを見渡していると、シェリーはふとあることに気づいた。

 今まで感じていた何者かの気配は、神様でも悪魔のものでもなく、シェリーの知っている人のものだということに。

 それに気づいた瞬間、シェリーは頭の中が真っ白になるのを感じたが、すぐに頭を切り替え、今自分はどうするべきなのかを考え始める。しかし大事な時ほど頭は正常には働いてくれない。どうするのが正解か、その答えは一向に導き出せないというのに、高鳴る鼓動だけはやけにはっきりと感じてしまう。シェリーは再度仕切り直すかのように思考を巡らせるも、結局はただその場で座っていることしか出来なかった。


「こんなところに一人でいたら、危ないですよ。この辺りは夜になると気温が下が⋯⋯あれ、もしかしてシェリー?」


 シェリーは俯いていた顔を上げる。


 そこに居たのはジゼルであった。


 あぁ、本当に。神様ってとことん意地悪だ。シェリーは心の中でそう呟く。

 あれだけ会いたいと思っていた、会いたくて会いたくて仕方がなかった。でもそのタイミングは今じゃないのだ。大好きな人との久しぶりの再会がこんなに泣きはらした顔でだなんて、あんまりじゃないか。


 黙っているとジゼルは泣いていたことに気がついたのか、心配そうな表情で呟いた。


「大丈夫?」


 聞きなれた柔らかい声だ。


 シェリーが黙って頷くと、ジゼルはシェリーの頭をぽんっと叩き、箒に跨る。


「後ろ、送ってくから」


 ここ、と言うようにジゼルは箒の後ろに手を置く。


 シェリーはすぐに断ろうと思ったが、泣いて腫れた顔は見られてしまったし、もうどうにでもなれと思い、断るのをやめた。

 ありがとう、と一言呟くと、シェリーは自分の箒を魔法で小さくし、ジゼルの箒の後ろに乗った。


「何であんなところにいたの? レゾーナにいるんじゃないの?」


 シェリーはジゼルに問いかける。こちらの顔を見られることがない分、話かけるのも幾分か楽な気持ちだった。


「任務で一ヶ月くらい前から草原を越えたところにある街にいて、今日がその任務の最終日だったからレゾーナに帰る途中だったんだよ」


「そっか」


 少しだけ、ジゼルがまたシェリーの住んでいる街に戻ってくるのではないかと期待したが、その期待はあっさりと裏切られてしまった。


 話に聞いていた通り、空気はぐっと冷たさを帯びてきた。こんな状況でなければもっと寒さを感じていたことだろう。


「今日ね、上級魔道士の試験に落ちたの」

 

 ポツリと発したその声は想像以上に弱々しく脆い。

 本来であれば、シェリーは自分のダメな部分を人に話すことはほとんどない。完璧主義などでは全くないが、自分のダメな部分や弱い部分は誰かに相談するよりも、出来るだけ自分の中で消化してしまう方がシェリーにとっては気が楽なのだ。

 しかし今はどうしてか、話を聞いて欲しいという気持ちに駆られていた。


「うん」


 短く返事をするジゼル。


「私、上級魔道士になって王国に仕えること、出来るかな」


 さっきあれだけ泣いたというのに、その言葉を放った瞬間、また涙が押し寄せてきそうになる。

 シェリーは唇を噛み締め、気を紛らわすため体に当たる冷たい風に集中した。


「シェリーは諦めるつもり、ないんでしょ?」


「⋯⋯うん」


「それなら大丈夫。どんなに時間がかかったって、ぶつかることをやめなければ、道は必ず続いてるよ」


 一筋の涙がシェリーの頬を伝う。


「⋯⋯うん」


 震えそうな声を必死にこらえ短く返事をすると、シェリーは大きく息を吸った。


 舞い降りたのは神様でも悪魔でもない。もらった言葉はあまりにも不確実で、何の保証もないものだけれど。


 それでも。


「⋯⋯また、頑張ろう、かな」

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