たとえ、裏切ったとしても

ユダも又神を信じる使徒です。
裏切った面が強調されやすいですが、聖書にはこうも書かれています。
『誰が神の相談役になれようか』
自分達人間は自分の考えで語ります。しかし、それらは神にお見通しであり、人類が思い付かない答えが神の側にはあります。
たとえ、ユダが死すべき運命にあったとしても地獄に墜ちたかを決めるのは使徒達ではなく神の手に委ねられています。
そう言うと聖ペテロの天国の鍵はどうなるの? と言った永遠の神学論争が始まります。
しかし、だからこそ人は言うのです。
「神の御心は読めない」と。
一人一人が異なる神の鏡を持ちます。それらは全て正解かも知れません。人類が未熟なだけで誰もが納得する世界の不条理を解き明かす答えは神の側にはあるかも知れません。
この手の答えはつまるところ各人と神の対話の中にしかないのでしょう。永遠に問い続け、永遠に答えを頂く。ある日、何気なく答えを発見することも多々です。