白の刺繍が入った本 三節 野花

少女が話し始めた内容は自身の片割れ、現在の夫との馴れ初め話であった。


王宮にて開かれたバザールで二人は出会ったという。店番をしていた花の少女はシルクを通りがかる客人に売ったり、声をかけたりしていたのだ。

炎天下の元ではあったが、建造物に囲まれているからか街よりは風通しも良い。貴族階級などの爵位が高い者が参加することを許されたこのバザールでは高級品が行き交っていたのだ。


燦燦と太陽の光が照りつけ、陽炎が揺らめく王宮の中。

その日は年に数回のバザールが開かれていた。


宝石店、服飾店、家具店など目を引く露店が多く立ち並ぶ。


誰もかれも煌びやかな装飾をまとい、女性は身につけている宝石が太陽光に照らされプリズム光を放っている。


あちこちから客を呼び込む声が飛びかい、気温の高さに負けないほどに活気づいていた。


その露店の合間を歩く青年が一人。

白を基調とした布地を頭に巻き、長く伸びた絹は下部で縛られている。

太陽を霞ませたような色をした服の裾は暑さを伴った風に靡かれ、見る者の視線を奪っていく。


だが当の本人はそれを意にも介さずただバザールの間を通り過ぎていく。

立ち並ぶ物珍しい品々を視界の端で捉えながらも興味無さげに嘆息する。


そろそろ帰ろうか。

足を宮殿の内部の方向に向けた途端、背後から凛とした鈴の音が鳴るような声がかけられた。


「ごきげんよう、王子様」


「えっ」


突如声をかけられたことに驚き、青年は勢いよく振り返る。

そこには____


「こちらの絹の布地はいかが?ふふ、私のおすすめなんですよ」


輝くほどの美少女がそこにいた。真っ白なワンピースに頭には大きな花冠をかぶっている。

黒髪に入った赤の髪は彼女自身の気品のものだろうか、固い印象ではなく気高さすら感じられた。


「ぐっ……」


「あら?王子様、どうなさったの?」


突如の眩い存在を視界にいれ、感情も思考も限界に達したのか青年は胸を抑え込んだ。


不可解な行動に少女は頭についた花飾りを揺らしながらあざとく小首を傾げる。


だが少女はすぐに気にとめることをやめたのか、また花の如く可憐な笑顔を浮かべる。


「私、アルジュマンド・バーナー・ベーグムと申します。どうぞお見知りおきを。素敵な王子様」


白色のワンピースについた花は陽の光に照らされて爛々と輝いている。

ワンピースの両裾を掴み、人形のように愛らしい会釈をしてみせた。


「っ!!あ~……っと、その。お上手スね、ハハ……アルジュマンド、さん……」


白を輝かせる少女とは対照的に、青年は耳まで顔を赤く染め上げ目を必死に泳がせている。

拙い言葉の節々から青年の緊張が嫌でも伝わる。


青年の異様な態度を目にした少女は驚愕した。


「まぁ!お顔が赤くてよ、もしかして暑いのかしら……大丈夫ですぁ?」


斜め上の驚愕であった。


少女なりの心配と気配り、配慮なのだろう。

青年の手を取り、自身の手を重ねたのだ。


「わっ!?ぁ……その、大丈夫です、だから……ぇと、そちらも暑い中大変スね……」


今度は逆に青年の方が驚愕の声をあげた。

異性に手を取られていることにどぎまぎしているのをなんとか誤魔化そうとするも、たどたどしい口調は感情を露わにしているといえよう。


「ふふ、ありがとうございます。素敵な王子様」


だが青年の調子には気づくことなく少女は真紅の混じった黒髪を揺らして微笑む。

青年は相も変わらず、顔を真っ赤に染め上げていた。


太陽は舞台の照明のごとく、二人を照らす。

聖者の白冠。甘酸っぱい恋物語はここから始まったのである。


「どうだったかしら」


と、ここまで少女は語り終われば自信ありげな様子で片目をつむり、ウインクをする。


「おもんな」


しかし、少女の思惑とは裏腹にただただ馴れ初めを聞かされたエルツにとっては厄災だ。

近所の老婆の長い話を一方的に聞かされているのと同じ気分である。


「まあひどい!誰もが素敵な話だと言ってくれるのに!」


「それはお前が皇妃だからだろ、ムムターズ・マハル」


呆れた。

こんなことになるなら、妹についてきて胡散臭い古本屋に入らなければよかったと本日数度目のため息と後悔をする。


「じゃあ、そうね」


つまらないと一蹴されたことを気にも留めずに、少女はさらに思案する。

またくだらない話でも聞かされるのかと半ば怯え始めるも、エルツの願いに反して少女はパッと顔を上げた。


「あなたの!あなたの話を聞かせてちょうだい!」


「は?」


これもまた突拍子のないわがままだ。

お姫様のわがままに付き合わされるのはもう懲り懲りである。

確かに途方に暮れていたところを救ってくれたのは彼女だが、自分のことなど何も話すことはない。あったとしても初対面の人間に話したくもないのだ。

嫌悪感がじわりじわりと胸中を染め上げていく。

それでも少女は早く早くと急かすばかりでこちらのことを根掘り葉掘り聞こうとしてくる。


「仕方ない……」


青年は実に嫌だ嫌だと感じながらもこの場から逃れる方法ないと悟り、重い口を開けたのだった。

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古本屋『不思議堂』 いのり あめ @Manene32

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