白の刺繍が入った本 二節 白百合
宮殿内は影が差し込んでおり、風の通り道がよい。ひんやりと首筋を撫でる風は猛暑の中のオアシスのようで非常に気分が良くなる。かんかんに照らされた大地からは熱射が反射しており建物内でも目を細めてしまう。
「おまえこの環境に慣れてんのかよ」
「え?生まれた時からずっとこうよ?熱いわねえ。お水飲む?」
「ん……」
銀製盃になみなみと注がれた水は透明で映り込んだ自分の顔を反射させている。
口をつければひやりと、喉元を冷やしていく。炎天下の中に揺らめく陽炎とは対照的に流動的な水はしっかりと体の熱を冷ましていってくれた。
「どうも……」
「はぁい。少しはよくなったかしら?」
「まぁ」
赤のメッシュが入った黒髪は丁寧に三つ編みされており、目元で切り揃えられた前髪は端正な顔立ちをきわだたせている。
まんまると大きい真紅の瞳はこちらをじっと興味深そうに見つめており、嫌でも目を合わせるほかない。
「なんだよ」
「不思議な格好ね、あなた」
「これか?ただの半袖パーカーだけど」
「ぱーかー?」
「そう」
初めて見る物体を興味深しげにながめては、手のひらで撫でたりつかんだり伸ばしたりしてくる。
こちらからしても、花冠を頭につけた人間など早々見かけないのでお互い不可思議なのだろう。エルツがその行動をとがめることはなかった。
「……にしても、俺の姿他の奴らには見えてないんだな」
「そうみたいね」
宮殿内を散策する中で何人もの従者とすれ違ってきた。それなのに、誰も異邦人といえるエルツに反応どころか見向きもしない。
ムムターズに会釈をすることはあっても、エルツの姿など無視をしているほどには反応がない。
彼女もそのことに異変を感じていながらも、支障がないならと自身の部屋へとエルツを招待したのだ。
「俺を皇妃様のお部屋にご招待とかしていいのか?俺首刎ねられない?」
「大丈夫よぉ。見えてないんだもの」
「はぁ……」
随分と大胆だな、という言葉を口にしようとするもなんとか心の中になんとかしまう。
何かするわけでもないので、エルツは出された椅子に腰かければ一息ついた。
ここまでくるのに、実に色々あったからだ。
妹に案内された古本屋へと行ってみれば、いかにも怪しげな店主に本を押し付けられしまった。押し付けられたと思ったら数百年前のインドに飛んでおり、当時の皇妃であるムムターズ・マハルと邂逅することになる。
現実は小説よりも奇なり。
「こんなことがあってたまるかよ……」
「あら、どうしたの?頭を抱えて」
「別に……」
顔を合わせないようにそっぽを向けば、彼女は顔を覗き込んでくる。
こちらの意図を探りたいのか、はたまたただのきまぐれなのか。
自由気ままない白百合の花は楽し気にエルツの様子を伺い続けていた。
しばらくすれば、花は口を開く。
「ねぇ、お話しない?」
「はぁ?」
「私のお話、聞いて欲しいなって」
「なんだよそれ……」
荒唐無稽にもほどがある。
突然であった少女の話を聞くほど、エルツの心は広くないし現状に適応しきれていない。
それでも花はお構いなしに口を開き続ける。
「あのね、あのね」
「あ~、もう。わかったわかった。話をきけばいいんだろおしゃべりさんめ。聞くって……」
観念したのか、それとも現状でやることが他に見当たらないからなのか青年は少女に向き直る。
満面の笑顔を咲かせれば、少女は自身の今までの話を話し始めたのだった。
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