第9話


「うちはプライドが高いて言うたよな。さっきのだんまりの意味は何やねん。お前は何遍なんべん教えても一生下手なままやけど、毎日のように家行って肩揉んだってんのにまさかその後で他の女と遊んどったとは言わんやろな」


 怖過ぎる。泣きそう。下手を打てば殺される。多分三回は確実に! キレたらキレたでポンコツ要素ゼロじゃねえか別人かよ!


 かと言ってこの先は絶対にミスるなよ俺。予定とはかなり違ったルートを踏んでいるが、これ以上の失敗は許されなければ、結末は最初から決まっている。


 掴まれていない手を、ゆっくりと鞄へ伸ばす。


 それをお手並み拝見と言うように眺める彼女に、鞄から取り出したものを差し出した。賑やかな包装紙でラッピングされたそれを、彼女は眉一つ動かさず一瞥するなり俺を見る。


「何なん?」


「プレゼントです」


 彼女の鋭い目が、不愉快そうに訝しんだ。


 たったそれだけの仕草で彼女の威圧感が天井が無いように上昇し、俺の恐怖も倍増する。


「クリスマスやったらっくに過ぎたけど」


「世間がどうじゃなくて個人的にです」


「何で?」


 行け!


「卒業式に他の奴らから貰う前に、彼氏として一番に引退祝いしときてえから」


 ぎょっとして肩を震わせた彼女の顔が、ダメージエフェクトみたいに突然真っ赤に染め上がった。


「なっ……。いやちょっと。学校おる間は内緒にするって約束やんか」


「いいだろ誰もいねえしもう卒業だし」


 彼女が動揺した隙に、手を解いて立ち上がる。


 そもそも周りに隠していようが俺の彼女である事は事実なので、彼女とは俺の中では部長でも須藤先輩でも無ければ“彼女”なのである。


 彼女は俺を見上げて、威圧感を保とうと必死に怒鳴る。


「まだ三月まで在学しとるわ! いやちょお待って! せやからさっきのだんまりの意味! 誤魔化そうとして渡してんやったら貰わんからな!」


「……あれは、お前が変に鋭かったから驚いて、すぐに答えられなかっただけだよ」


 注目させるように、プレゼントを持つ手を揺らした。


「この前こいつを買いに行く時にアドバイスが欲しくて、お前の女友達に付いて来て貰ったんだ。ほら、同じチェス部の森川先輩。さっきお前が痩せ過ぎだって言ったのは、買い物中に転びそうになったあの人を支えた時、お前の方が軽過かるすぎるって思ったからだよ。パンの一口も小せえし。ハムスターの方がよっぽど貪欲に食うぞ。今から森川先輩に、確認の電話してみるか?」


 ハッタリでは無いので構わない。


 親友かつ唯一俺達が付き合っている事を明かしている森川先輩の名前を出されて安心したのか、彼女は赤面したままだか少し落ち着く。


「…………。何うたん? それ」


「ポーランド産の木製チェスセット。森川先輩お勧めの、職人によるハンドメイドのアンティーク調」


 つまり部室にあるような、三千円も払えば買えるプラスチック製とは別格にいい品。即ち高額商品。と言っても一万三千円ぐらいだから、お小遣いを溜めればすぐ届く。三千円のチェスセットに慣れている俺達からすると、やっぱり高級品だが。


 彼女の脳内にも同じ式が成り立ったようで、驚きの余り声が上擦った。


「えっ、そないたっかいやつ……!」


「いいんだよお祝いなんだし。ずっとこういうの欲しいって言ってたんだろ?」


 森川先輩に教えて貰うまで知らなかったが、これを買いに行った骨董品店に頻繁に通っては眺めていたらしい。俺の前でその話をした事が無かったのは、買えない額では無いので喋ると俺が張り切って買うかもしれないと、遠慮していたんだろう。一歳しか変わらないくせに大人振りやがって。


 もう怒っていなければ、すっかり隙だらけになって立ち尽くしている彼女に、中身がバレないよう、わざと安っぽいラッピングを頼んだチェスセットを振ってみせる。


「何か言う事は?」


「…………」


 これ以上無いってぐらい赤面した彼女は、すっかり弱ったのか、えらくゆっくりとチェスセットを受け取った。


「あ……。ありがとう……」


 視線は明後日の方向に逸らされているしまたボソボソと言われたが、喜んでいるのは間違い無いのでよしとしよう。


 折角のサプライズなんだから、最高にカッコつけて渡したいとベストタイミングを窺っている内におかしな方向へ転がってしまったが、予定通りに俺の勝ちだ。いや、自信なんてまるで無かった最後の試合で初勝利も飾れているので、予想以上に大満足である。その所為で脱線しまくってしまったと言えなくも無いが。


 文句無しの決着に、つい頬が緩んだ。


「おおきにじゃねえんだそこは」


 訛りをいじられるのが嫌な彼女は、チェスセットを大事そうに抱えながら背を向けるように身を捻じった。


「い、今時そこまでコテコテの人中々おらんよ」


 ふむ。確かにこいつの家に遊びに行った時でも聞いた事無いかも。自宅や、学校の人間と会う心配が無い遠くへ遊びに行った時でなら、バリバリ訛ってるんだが。一定以上感情的になるとこうやって、場所を問わずボロボロ出て来るものの。


 こいつの言う通り美味しくないのか、コンビニで大量に売れ残っていたお好み焼きパンを用意しておいたのも、校内にいる間でも訛らないだろうかと期待しての事だったのは黙っておく。バレたらいい加減に殴られるし、冗談もこの辺にしておこう。


 一つ謦咳けいがいして、いつも通り、ただの後輩としての仮面を被る。


「三年間お疲れ様でした。二年間俺の勝負に付き合ってくれて、ありがとうございます。楽しかったですよ」


 言いながらドアを開けて、廊下へ“部長”を促す。


 こんな遣り取りも、そろそろ終わりなのか。


 俺から告白して始まった、そろそろ一年半になるこの交際期間。部員達にだらしないと思われたくないと言われたので、森川先輩以外には内密にして過ごして来たが、俺としてはあくまで恋人なんていない一生徒として振る舞う彼女の様子が気が気じゃなかった。確かに交際関係を明かしてしまうと、この二年間の真剣勝負を邪推されてしまうので、それは避けたかったものの。


 恋と勝負は全くの別物だ。でなければ、盤外では心配なぐらい無邪気で従順な彼女が、二年間も勝たせてくれなかった理由が無い。分別が付かない甘やかしなんて要らないし、俺の彼女とはそんな事をするような馬鹿じゃない。抜けていたり危なっかしかったり、時折読めない所こそあれ、勝負となれば後輩が相手だろうと常に本気。全霊の応戦を礼儀とするその気高さに、俺は惚れたのだから。


 俺の振る舞いの変化に気付いた彼女も眼鏡をかけると、いつもの知的で凜然とした、ただの“部長”に戻って微笑む。


「そう。ありがとう。私も楽しかったよ」


 ドアをくぐる彼女を追う形で、部室の電気を消しながら廊下に出た。


 幸い顧問はまだ来ておらず、誰もいない。さっさとずらかろう。


「あ、忘れ物」


「えっ?」


 歩き出したばかりの足を阻むように切り出され、つい部長を見下ろして立ち止まる。


 鞄とチェスセットを一方の腕で抱えていた部長は、空いている手の人差し指と中指を自身の唇に当てると、続けて俺の唇に当てた。羽のように軽やかに離れていく二本の指を呆然と見送ると、部長は歯を見せてにかっと笑う。


「へへ。初勝利祝い。こんぐらいやったら学校ん中でもええわ。誰もおらんし!」


 言うと部長はご機嫌になって、鼻歌を歌いながら歩き出した。


 何が起きたのか漸く理解した俺は赤面せずにはいられなくなって立ち尽くし、小さくなっていく背中をただ眺める。


 何秒経ってからか、やっと動かせた頭に浮かぶ言葉はただこれだけ。


 俺の彼女、可愛過ぎ。


 ……やっぱり彼女とは読めないし、やっぱりこの勝負とは最初から、俺の負けかもしれない。

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クール系眼鏡先輩を言いなりにするが、無自覚あるいは悪意で反撃されるので拮抗中。 木元宗 @go-rudennbatto

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