第8話
この状況の上手い躱し方を必死に考えている俺は、そちらに意識を持って行かれ気の利いた返事が浮かばない。
「面目が気になるんですね……」
「当たり前だろ私はプライドが高いんだ。私のはただ気紛れにやってる遊びだが、言えないような事はしてないぞ。君はどうなんだ」
しまった神経を逆撫でしてしまった。
「ああいや、俺的には、異性とする遊びとしたら爛れてるとも言えなくない感じかなって言いますか……」
すっかり眠気が飛んだ彼女はもう、俺と向かい合うように座り直して来る。
「何だそれは。はぐらかしとは心証を害するぞ。盤上のようにもっと潔く振る舞ったらどうだ。私の知っている君とは、そんな手を打つような奴じゃな」
「もう遅いから帰りましょう」
「はァ!?」
「これが最後のお願いですから」
目をひん剝いて怒鳴ったばかりの彼女は不満タラタラに、じっと俺を見る。
五秒はそのまま凝視されるが、堪えるように大きく嘆息された。
「……ああ、分かったよ。従うさ。私とは潔い女だ。どーせ家も近いんだからな! 最寄り駅も同じなんだ逃げられると思うなよ! 机に置きっ放しのパンはマズいから君にやる! さあそうと決まれば戸締りだ戸締り! 君はチェスを片付けてろ!」
甘い人で助かった。
胸を撫で下ろしそうになるのを何とか耐え、テーブルのチェスを片付ける。一方勢いよく立ち上がった彼女は、ブツブツ言いながら窓を施錠し始めた。
「……はあ全く呆れた奴だな、人に向かってあれだけ注文して来たくせに、自分が追及されたらその様とは……! 同期にはあれだけ大見得切って、次の部長は君しかいないって言ったのに……。……こらジロジロ見てるんじゃない終わったのか?」
「はい」
フルスピードでチェスを片付け、彼女が座っていた椅子も元に戻していた俺は、ゴミ呼ばわりされたお好み焼きパンをしまった鞄を提げて気をつけの姿勢で待っていた。片手には当然、彼女の鞄を提げている。
俺の用意周到さに少し機嫌を直してくれたようで、彼女は僅かに落ち着きを取り戻すと、最後の窓の施錠を終えて歩いて来た。
「そう。なら行こう」
俺から鞄を受け取ると、ドアへ歩き出す。その細い指がドアの取っ手へ伸びた瞬間、夕陽に艶っぽく輝く長髪を靡かせ、勢いよく向き直って来た。
後ろに続いていた俺は驚いて足を止め、身長差で上目遣いになった彼女は、ぴしりと人差し指を向けて睨んで来る。
「いいか。最後のお願いだと言った以上、もう君の言いなりにはならないからな。部室を出たらもういつも通りだ。かつ次の登校日が卒業式である以上、私がこの部屋から一歩でも出たら、部長という肩書も形骸化する。もうただの、三年生だ。他に部員もいない以上、もう部長振る必要も無い。一個下で副部長の君が相手なんて猶更だ。お互い二年間も見て来た同士、今更畏まる意味も無いだろう。分かったな。ドアは私が開ける。よし、行くぞ。せーのォ!」
彼女の細い指がドアの取っ手へ伸びた瞬間、視界が急激に回った。
腕を掴まれて引き
だが、口を結んで黙りこくった無表情は鉄より冷たく、細いシルバーフレームの眼鏡の奥の目は、刃物のような光を纏って射抜いて来る。まるで鷹。いやもう、まるで殺し屋のような静かな殺気を、全身から滲ませて。
……彼女の中学時代の部活経験は短期間のバスケ部と言ったが、原因は怪我による引退で、それにより荒れてしまった以降の彼女の中学生活は、不良としての蛮行で彩られている。高校受験を前に鎮静化したそうだが、彼女とは元ヤンなのだ。未だに容易に男を組み伏せられるぐらい、それはもう喧嘩しまくりでバリバリの。険しい顔になる時やたら目付きが悪くなるのは当時の名残だし、眼鏡はインドア派に見せる事で不良時代を隠す為の伊達に過ぎないし、もし怒らせるとこの通り、超怖い。
ゆっくりと眼鏡を外した彼女は、ドスのように腹に刺さる低音で言う。
「……とか、こればっかりは流されへんのよ」
素顔を晒した事により濃度を増した威圧感に、石でも飲まされたように息が詰まった。
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