胸臆の連理

 朝四時。自転車を懸命に漕ぎながら物思いに耽っていた。ライトで照らし、道を探る。砂利と草木で走行には向かない。その辺に放り投げてスマホの明かりを頼りに前に進んだ。

 傾斜がきつい。捨てられた裏山と噂されるこの辺は肝試しスポットとして人気を博している。猛烈な寒波も相まって本当に肝から冷やされる場所だ。

 何分も歩くと、バブル期に栄えたホテル街が姿を現した。辺境の街も盛り上がった時期があったと思うと感慨深い。

 茶色く変色した配管がむき出しになっている。


「この階段、やばいな」


 一歩一歩確実に、慎重に進む。思ったより頑丈だった。


「うわ、きれいだ」


 街が一望できる開けた屋上だった。朝日が地平線の彼方から昇る様子は息を飲むほど、美しい。遠くにショッピングセンターも見えた。僕たちの中学校、高校だって全部が箱詰めお菓子のように鎮座していた。

 最期にはふさわしい場所だ。

 早く向こう側に行こうと、屋上の端に立つ。


「未来は変えられる」


 僕は死のうとしていた。

 未来に行き着く過程を変えるという野望だけは貫き通してやる。あやはには不自由せず生きてほしい。


 今日という日に僕が死ぬと決まってから、何度もシュミレーションをしただろう。毎回その瞬間を迎えると、僕は吐いた。彩葉が僕を殺す。その未来を嫌でも思い出してしまった。

 せめて苦しんでいることを悟られたくなかった。だから勘の良い彩葉は嫌いだ。いつも僕の弱みを見つけては慰めてくれるそんな彩葉は大嫌いだ。


「そんなの無理だ」


 僕は彩葉のことが大好きだ。幼なじみとして、そして恋人同士になって欲しいって意味でも心から好きだ。どうせなら今日までに嫌われるべきだったけど、到底不可能な話だった。

 昨日別人格のアヤハと話して、ようやく踏ん切りがついた。

 邪魔なのは僕の存在だ。

 トラ助も、優美子先生も、彩葉も、アヤハも、不幸に陥れてしまった。

 足は空中に向かった。

 そのまま宙に浮く、はずだった。

 後ろから考えられない馬力で腕を引かれた。

 そこには鬼の形相のあやはが息を荒くして立ち尽くしている。


「……日の出を見に来たんだ」


 さすがに苦しい言い訳だ。


「紘の考えていることくらいわかってたから。だから私もここに居る」


 やけに軽装だ。彩葉もそういうことなのだろう。


「そっか。お互いフランク過ぎたよなーこの三日間」


 巨大な換気扇を背もたれに深くため息をついた。息があまりにも白い。一月の早朝なんて呂律もうまく回らないはずだ。

 突然パチンと乾いた音が鳴った。隣から伸びてきた彩葉の平手だった。


「痛い? でも落ちたらもっと痛いよ」


 僕も軽くペチンと返す。


「彩葉もなんで来たんだ」

「紘の姿が見えちゃったら止めるしかないんだよ」


 可笑しく言っていても目は全然笑っていない。


「ずっと言わなかったけど、私一つの人格に戻るかもしれないんだ」

「……ほんとか」

「うん。だからとっても怖くなっちゃった」


 喜ばしい話のはずだ。でも彩葉は震えていた。


「もしかしたら、私が居なくなるのかなぁって」


 ひとつの人格に戻る、その想像は難しい。


「それに、あの子と一緒になって紘のこと嫌いになっちゃやだもん」


 首を横に振った。恐怖が滲む彩葉の瞳。そろそろすべてに決着がついてしまうことを悟ったように、焦点はうまく定まっていなかった。


「ねぇ、キスさせて」


 その言葉に僕はこくりと頷いた。

 両手を絡ませて見つめ合う。キスってこんなに緊張するのか。寒さでかじかむどころか手汗が出てきた。その距離はだんだんと近づいていく。


「嘘でしょ……」


 彩葉つぶやきが耳に入ったとき、唇同士は重なり合った。

 彩葉の身体が瞬時に脱力した。そのせいでバランスを崩し僕は覆いかぶさるように倒れ込んでしまった。辺りを無音が支配する。風の音すらまともに聞こえない。


「近寄よるなぁ!」


 その直後、けたたましい悲鳴が轟いた。

 全力の蹴りがみぞおちに直撃する。うめき声をあげて、天地が逆さになった。


「お前が……っ! お前が!」


 さっきとは逆の体勢になっていた。馬乗りにされて、僕の首にはアヤハの手が添えられていた。

 段々強く力が込められていく。


「あれほど話をして、ワタシの心をよくもまだ切り刻めるな。許さない……!」


「もう、弁解なんてできない……」


 遠くなる意識の中で、僕はアヤハに言葉をかけられなかった。

 『殺してやる、殺してやる』

 何度そう聞こえたか。苦しいけど抵抗一つしなかった。


「殺して……やる」


 急にゲホゲホと咳き込んだ。同時に遠かった意識も帰還した。


 アヤハの手が止まったのだ。 


「なんでだよ、どうして出来ないんだ」


 プルプルと震えた手が行き場を失っていた。大粒の涙が滴ってきた。


「身体がひとりでに拒否している」


 きっと僕は大きな勘違いをしてきた。


「……その身体の持ち主は二人いる」


 二重人格はそれぞれまったく違う。彩葉に対して、もうひとりのアヤハに対して、別の人間に向き合うように接してきた。


「すっごく対照的だけど、二人はひとりの身体で息をしている。結局あやはという人間はひとりだ。君だってあやはだし、あの子もあやはだ」


 お互い違う価値観で生きていても身を共有している限り根幹は一つなのだ。

 彩葉はあやはだしアヤハはあやはだ。

 あやはには厄介事を生む僕を嫌う、感情。

 そして僕のことを好きでいてくれる、感情。大きく相反する二つがひしめいている。


「お前を殺してもしょうがないって、頭ではわかってる」


「気は晴れるかも」


「この蟠りは一生物だ。傷つけられた心はそう簡単に癒えない」

 

 アヤハの目がまた鋭く光った。

 するとすぐに俯いた。


「紘! ずっと一緒に居てほしい。私を止めて。そして紘も早まらないで」


「ワタシは私の身代わり何かじゃねぇ。なんでワタシだけがこんな苦しい思いしなくちゃいけねぇんだ」


 入れ替わりを繰り返す。一人の人間で会話が成立している。その様子は寿命寸前の蛍光灯のようだ。


「たしかにそう、私が悪かったの。私が余計なことしなければ……」


「ワタシが苦しくても笑ってられる私をどうやって殺そうか悩んだ。いいじゃねぇか、自殺。英断だよ、もうひとりの私」


「怖いの。やっぱり、飛び降りなんて出来ない」


「どう、なってんだ」


 数秒おきに言うことがバラバラになっている。それに表情もふたり、それぞれだ。


「なら、ワタシがしてやろうか」


 強気ながら、ずっと身体の震えを抑えている。

 表情も安定してきた。そこにはふたりが共存しているように思えた。自分が自分でないみたいに困惑する。それは紛れもなく二重人格が終わった。そんな気がした。


「この憎しみも愛情にも寄り添って支えてほしい」


 あやはというひとりの統合された人格が本音を漏らした。救いを、求める声だった。 


「それがわたしたちの答え」


 ちらちらと粉雪が舞っていた。

 いままで視てきた未来たちは全部夢だったのだろうか。あの特殊な感覚も妄想だったのだろうか。僕はデタラメにあやはをずっと巻き込んでいたのかもしれない。

 あれ以来、未来を視ることはなくなった。

 そしてあやはの二重人格も完全に消滅した。二人を足して二で割ったような、両方が今のあやはだった。

 僕の罪は償い切れないほど大きい。

 一日一日を積み重ねて返済する。それしか僕に出来ることはない。そう思って前を向いた。

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胸臆の連理 猫月笑 @keraneko_sho

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