ユズモモ

浅野ハル

ユズモモ

 「私、桃子が好き」

 「私も柚のこと好きだよ」

 学校から帰るとき軽い感じで桃子に言ってみたら、桃子も私と同じように軽い感じで好きだと言ってくれた。お互いニコニコしながら「両思いだねえ」「そういうことになるねえ」なんて冗談っぽく言い合って、いつものように二人でぶらぶら歩いて、いつものようにコンビニでアイスを買って、公園のベンチに座って他愛もないお喋りをして、いつものように温かい時間を過ごした。桃子はチョコ系のアイスが好きで私はレモンとか柑橘系のアイスが好き。陽が落ちてきたからそろそろ帰ろっかと言ってバイバイした。桃子と別れて一人になると途端に周りの景色が色褪せてしまい、桃子がいない世界は本当につまらないなとつくづく感じてしまう。

 「ただいま」台所で晩御飯を作っている母に声をかける。

 「おかえり」母は振り向いて答えると、心配そうな顔をして、「ちょっと、柚。なんで泣いてんのよ」と言う。

 私は母に言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。

 「え、いや、コンタクトが、ちょっとずれて、痛くて」私はしどろもどろにそう言って、逃げるように洗面所に行きコンタクトを外して顔を洗った。目が少し充血していた。明日腫れていたら嫌だな。もう一度冷たい水で顔を洗いタオルに顔を埋めた。頭の中で桃子が言った「私も柚のことが好きだよ」という言葉を思い出す。その好きは友達としての好き。わかってる。


 「おはよう」

 「おはよ〜。なに柚、目パンパンだよ。夜ふかしでもしたの?」

 「ちょっとね。韓国ドラマ見始めたら止まらなくなって夜中に号泣よ」

 「今流行りのやつ?最後事故で亡くなった親友からの手紙が本当に泣けるんだよね〜。もうこの世にはいないけどお互いを思い合ってる感じが、もうね」

 桃子はそのシーンを思い出したのか少し目が潤んでいる。可愛い。

 「まだ最後まで見てないんだけど」私は怒った顔をつくって声を低くしてそう言うと、桃子は、

「え、ごめん!あ、あれ。柚が思ってるドラマと違うやつだったかも。日本のドラマ。そうそう」私は怒っているフリを続けたかったけど桃子があたふたして困っているのを見ていると、あははと笑い出してしまった。私が笑うと桃子も笑う。

 桃子は天然で、嘘がつけなくて、いや嘘が下手なだけだけど、素直で笑顔がとびきり可愛いくて、何より優しくて私はそんな桃子が好きだ。

 「本当にごめん。ネタバレなんて最低だよね。柚の楽しみを奪ってしまった。なんでもする。許して」

 桃子は私の左腕に抱きつきながら笑顔で謝る。私は左腕に温もりを感じながら、「じゃあ、日曜日なんか映画見に行こうよ」と誘う。

 「ごめん、日曜は野球部の試合見に行こうと思ってて…」

 「あ、そっか。行くって言ってたね。そうだった」

 「柚も行こうよ〜」

 桃子は少し前から、同じクラスで野球部の鈴木くんのことが気になっていて「ちょっとかっこよくない?」と私に聞いてくる。「私はタイプじゃないかな」と言うと桃子は「柚はアイドル系が好きだもんね」と言われる。

 「私も行くよ。終わったらカフェ行こ」

 「行く行く。柚ありがと〜」

 「いいよ。暇だし」

 「もうユズモモ最強だよね〜」桃子が笑顔で言う。

 「それダサいからやめてよ」私はそう言うけどやめてほしいなんて一ミリも思っていない。本当に最強なんだから。

 「やめないよ〜。私たちずっと仲良しでいようね」

 「うん。当たり前じゃん」私はこの当たり前を壊しちゃいけないと自分に言い聞かせる。


 駅前で待ち合わせして野球グラウンドまで歩いて行く。今朝見た天気予報ではにわか雨に注意と言っていたが気持ち良いくらいに快晴だ。桃子は落ち着いた色の花柄のワンピースを着ていて、いつもより大人っぽい。そのことを伝えると「新しく買ったんだ」と嬉しそうに言う。

 グラウンドに着くと野球部たちの元気な掛け声が聞こえてちょうど今から試合が始まるようだ。鈴木くんはベンチにいてまだ出番ではないらしい。私は野球には全く興味がなくてルールもなにもわからない。私たちはレフトスタンドに座った。

 「桃子って野球好きなの?」

 「そこそこかな。まあ鈴木くんの勇姿を見にきただけだよ」

 「鈴木くんのどこがいいのかね」

 「一生懸命なところ。部活もそうだけど、鈴木くん体育祭のときリレーでアンカーだったじゃん。ビリで結構離されていたのに最後まで全力で走って追いつきそうになったけど結局ダメで、その後すごく悔しがってたの見て、あぁこの人最後まで諦めてなかったんだなって」

 「それは足が速くて自信があるからだよ」

 「まあそうかもしれないけど、なんかかっこいいじゃん」

 私は少し不機嫌になって黙ってしまう。試合は特に見せ場もなく淡々と進み、鈴木くんの打順が回ってきた。

 「あ、鈴木くん。頑張れー!」桃子は大きな声で応援する。私も「頑張れー」と小さな声で言うけど内心では空振りしろーと叫んでいる。

 一球目は空振り。二球目はバットに当たったけど何故か走らずに仕切り直し。桃子に聞いたらファールをしたらしい。三球目はバットを降らなかった。そして四球目。鈴木くんは豪快にフルスイングをしてカキンと気持ちの良い音がするとボールはみるみるうちにスタンドの方へ飛んでいく。その光景を他人事のように私は見ていたが、桃子は「すごいすごい」と興奮して飛び跳ねていた。

 鈴木くんはガッツポーズをしながらゆっくりとグランドを走る。三塁あたりまでくると私たちに気付いたのか目が合ったような気がした。私は嫌な顔をしていたかもしれない。

 鈴木くんがホームに着くと同時に突然大きな雷鳴が鳴り響いた。桃子はきゃあっと悲鳴を洩らして私にしがみついてきた。空を見上げると頬に雨粒が落ちてきた。あっという間に大雨になり、私たちは急いで屋内に避難した。

 「さっきまで晴れていたのに、急だね」

 「試合中止かな〜。鈴木くんホームラン打ってこれからだってときに。はあ〜かっこよかったな〜」

 桃子はタオルで髪を拭きながら鈴木くんのさっきのホームランについて語っている。私はだんだんとイライラしてきて耐えられなくなる。

 「私、帰るわ」

 「え、まだ雨降ってるよ。傘持ってないでしょ。もう少し雨宿りすれば…」

 「ちょっと、用事思い出して、ごめんまたね」私は桃子の顔を見ずに歩き始める。後ろから「ちょっと柚…」と桃子が言うのが聞こえたが無視してしまう。外に出て大雨の中、私は無我夢中で走り出す。服も靴もびしょ濡れで最悪な気分。私は野球なんて興味ないし鈴木くんもかっこいいなんて思えない。桃子の喜ぶ姿が見たかったけど、私以外にその姿を見せたくなかった。自分勝手。私はいつも人に期待して勝手に裏切られて、勝手に嫌いになって、どんどん一人になって。それで教室で一人だったのに。傷付くくらいなら一人でいたかったのに。桃子は手を差し伸べてくれてそこから連れ出してくれて毎日が楽しくなってずっと一緒にいたいって思って。でも、また私が勝手に嫌いに。違う。勝手に好きになって。

 何も考えず闇雲に走っていた。気付いたら学校帰りにいつも寄る公園に来ていた。雨は小雨になっていた。屋根のあるベンチで少し休もうと思った。腰を下ろすとかかとの当たりに痛みを感じた。靴擦れをして血が出ていた。痛みに気付かなかった。出血をハンカチで抑えていると、足音が近付いてきた。顔を上げると桃子が立っていた。

 「言いたいことあるなら言ってよ」桃子はびしょ濡れの格好で言う。

 「別に。ちょっと用事があったから」私は顔を背けてぼそりと言う。

 「嘘。私何かした?」

 桃子はしばらく私が何か言うのを待っていた。時間だけが過ぎる。桃子はそっと私の隣に座ると、タオルで私の髪を拭いてくれた。優しい香りがした。私はいつの間にか泣いていた。涙が止まらなかった。桃子は何も言わず髪を拭いてくれた。

 「私、桃子のことが好き。恋愛として好き」

  桃子は驚いた顔をしていた。

 「別に付き合ってほしいとかじゃない。鈴木くんのことが好きなのも知ってるから。ただ伝えたくなって」

 私は鼻をすすりながら弱々しく言う。

 「ごめん。聞きたくなかったよね。本当は言うつもりじゃなかった。ごめん。今までありがと。じゃあね」私は立ち上がってその場を去ろうとする。もう明日からいつものように一緒に学校から帰ることもアイスを買って食べることも、普通に話すことすらできなくなるかもしれない。一歩踏み出すたびに靴擦れの痛みを感じる。

 「私、別に鈴木くんのこと好きじゃないよ」桃子はぽつりとそう言う。

 「かっこいいとは思うけど、こういう人になりたいみたいな憧れの感じで、恋愛的じゃないと思う。あと、なんで謝るの?好きって言ってくれて嬉しいよ。でもそういう風に考えたことなかったから」桃子はゆっくりと一言一言大切に考えて話す。

 「だから、ちゃんと考える。それでもやっぱり傷付けるかもしれないけど、でも柚ともう話せなくなるなんて嫌だよ。勝手に自分だけで決めないでよ」

 私は自分勝手。でも桃子は私の自分勝手を許してくれない。

 「ユズモモでしょ。私たち」桃子は可愛い笑顔でそう言う。

 私は涙が止められず、ひどい顔をしているだろう。

 「だからダサいよそれ」私は涙を拭いながら言う。

 桃子は無邪気に私の隣に来て「帰ろっか」と言う。

 「ねえ桃子、絆創膏持ってない?」

 「あるよ。可愛いやつ」

 「靴擦れしちゃって」

 「痛そ〜」

 「はい」

 「ありがと」


 雨は止んでいた。雲が晴れて日差しが降り注ぐ。虹が出るかなと期待する。

 ユズモモ。最強じゃないかもしれないけど。私たちはこれからもユズモモなんだ。

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