今はまだ、見えない未来も

koharu tea

第1話

 初めてこの不思議な力に気づいたのは確か小学生の頃だっただろうか。ピアノのコンクールを明日に控えた友人がすっかり自分の演奏に自信をなくし、コンクールになんて参加したくないと私に話していた時だった。その時彼女に対してどんな言葉を掛けたのか正確には覚えていないが、励ましの言葉と共に自然と彼女の手を握った瞬間、ぼんやりとした映像が目の前に浮かび上がってきたことだけはよく覚えいている。コンクール用に親が用意したのであろう、淡いブルーのワンピースを着てステージ上で表彰される彼女。そんな姿がぼんやりと、でも確かに目の前に浮かび上がったのだ。

 それから幾度も同じ様な経験をし、高校生になった今、私は学校のちょっとした有名人となっていた。


「明日の放課後、A組の宮下君に告白しようと思ってるんだけど……早川さん、お願いします!」


 同じクラスの高橋美里はそう言うと、私の目の前に両手を差し出す。

 別に好きな人の名前は言わなくても未来は見えるのに、聞いてしまって良いのだろうか、と私は一瞬戸惑う。待ち合わせ場所に着いてすぐに依頼料として渡されたチョコレートバーが、制服のスカートのポケットの中でずしりと重みを増した気がした。


 私が持つこの不思議な力は手を握った対象者の行動を基準にして、その対象者の近い未来がどうなるかが分かるというもの。何かしらの行動を起こした場合とそうでなかった場合、両方の未来を覗くことも可能だ。ただし直接手を握った者の未来にフォーカスしているため、例えば恋愛に関する相談だったとしても、その相手に関する情報までは私には分からない。正確に言えば、相手の人影みたいなものは見えるものの、それは個人を特定できるものではない。それに加え、見える未来も一週間から十日程度先の未来に限ったものだし、自分が関係する未来に関してはほぼ見ることが出来ない。つまり未来のことが何でもかんでも分かるという訳ではなく、この力が自分へ与える恩恵はかなり少ないのだ。


 体育館近くにある物置の横。まだ部活動の終了時刻ではないため、この場所の人通りはほとんどない。時折聞こえる運動部の掛け声は程よい距離にいるからか、なんだかBGMのようで妙に心地よさを感じる。


「うん、わかった。見てみるね」


 私は高橋さんの手をとると、ゆっくりと目を瞑り意識を集中させる。年をとる毎に不思議な力は弱まっていくのか、小学生の頃は瞬発的に見えていた映像も今は多少意識を集中させることが必要になっていた。あと何年か経ったら何も見えなくなってしまうのか、そんなことは自分自身でも分からないが私にとってそれは大した問題ではなかった。いつの間にか力に目覚め、いつの間にか失ってしまうというのもそれはそれで不思議な力らしいのではないか、とどこか他人事の様に考えていたのだ。

 いつものように握った手に意識を集中させる。すると程なくしてぼんやりと映像が目の前に浮かび上がってきた。

 どことなくぎこちない距離感で、二人並んで校舎を後にする姿。もう少し意識を集中させ彼女の姿をとらえると、そこには彼女のはにかんだ笑顔が浮かんでいた。


 良かった。反射的に心の中で呟く。今まで何度も他人の未来を見る中で、当然ながら相談者の思うような未来が見えなかったことは幾度もある。その度に自分が見た未来をどうやって伝えたら良いのか、その正解は今もなお分からないままだった。幸い、残念な結果を伝えても皆取り乱したりすることはせず、感謝の言葉を述べてくれたが、自分の選んだ言葉が相手を余計に傷つけるものになっていないか、それを考えずにやり過ごすというのはきっとこの先も難しいだろう。

 私はそっと手を離すと、不安そうな瞳でこちらを見つめる彼女に向き合った。


「二人で並んで帰ってる姿が見えたから、うまくいくと思うよ。もちろん絶対とは言えないけど、そんなに心配しなくてもきっと大丈夫」


 私の言葉を聞くやいなやパッと彼女の表情が明るくなる。まるで喜びが体から満ち溢れているようで、言葉を発さずとも彼女が今どんな感情なのか手に取るように伝わってきた。


「あー良かったぁ。ここのところずっと嫌な想像しか出来なくて不安だったんだよね。早川さん、本当にありがとう!」


 既に告白が成功したかのような勢いで彼女は私の手を握りブンブンと縦に振る。余程嬉しいのだろう。未来の結果に関して私は一切関与していないし、告白が成功するのは百パーセント本人の努力の結果であるのだが、こうして嬉しい顔を見られるのは私としても気分が良い。


 私は最後にもう一度、絶対とは言い切れないからねと釘を刺すと、体育館沿いの道を歩き校門へと向かうのだった。





 翌々日。

 別のクラスの女子からの依頼を終え、私は教室までの廊下を歩いていた。

 今日の依頼も告白の結果を見てほしいという内容だった。こちらも運良く成功するようで、私の足取りもどことなく軽い。

 一昨日の高橋さんもどうやら無事告白が成功したらしく、今朝教室に入った途端キラキラと瞳を輝かせて盛大なハグをしてくれた。

 恋する女の子は皆可愛いと言うけれど、本当にそうだなと心底思う。今日依頼を受けた女子もほとんど関わりのない子ではあったが、結果を聞いた後の嬉しそうな顔を見たら思わず応援せずにはいられないような、そんな気持ちに包まれた。

 自分は恋のこの字も見当たらないが、こんな形で青春を感じるのも案外悪くはないのかもしれない。


「あ、いたいた! 早川」


 背後から名字を呼ばれ振り向けば、馴染みのある男子生徒が立っていた。

 

 日比谷伊織。同じ小学校出身で、中学までは度々同じクラスになったこともあり、そこそこ長い付き合いになる。中学から始めた剣道でめきめきと実力を伸ばし、去年は個人で全国大会目前のところまで行ったという。その実力から今現在、日比谷は剣道部の部長を務めていた。


「どしたの? なんか用?」


「あのさ、今日放課後時間ある? お前のさ、ほら、あれ」


 珍しく歯切れが悪いなと思いつつも、言いたことの予想はついたので私は話を進めることにした。


「見てもいいけど、試合の結果とかだったらやめときなよー。なんか剣道って神聖な感じがするのに全くフェアじゃなくなるし」


 剣道部の試合がいつあるのかは分からないが、この時期は運動部の大会が多いことを思い出し、軽く断りを入れる。


「そうじゃなくて。……まあなんていうか、好きなやつのことだよ」


 意外な言葉に少し驚き日比谷の顔を見れば、照れているのかなんとも気まずそうな表情を浮かべていた。まあ確かに、女子に比べて男子がこういうものに頼るのは少々気恥ずかしい部分もあるのかもしれない。とは言え男子からの依頼というのは何も珍しいことではない。恋愛に関しての依頼に限って言えば、女子からの方が多いのは事実ではあるが。


「そういうことね、おっけ。私帰りに図書室で本借りていくつもりだから、図書室辺りに待ち合わせでいい?」


「分かった」


 日比谷が答えたのと同時に予鈴が鳴り、じゃあまた後でと私は足早に教室へと向かうのだった。




 いつものようにホームルームが終わり、部活へ向かう者、教室に居残る者、帰宅する者など生徒は各々動き始める。

 私は今日出された課題に必要な教科書だけカバンに詰めると、足早に教室を出た。

 日比谷の好きな子って誰なんだろう。そう言えば日比谷のそういう話を今まで耳にしたことがない。もちろん知らないだけかもしれないが、多分中学の頃も誰かと付き合ってるという噂はなかったはずだ。だけどそれよりも、日比谷が私に依頼をしてくること自体が驚きだった。日比谷はなんとなく、物事に対して真正面から向かっていくタイプというか、行動を起こす前に思い悩むようなタイプとは思えなかったからだ。まあもちろん、日比谷と己の人間性について熱く語り合ったことがある訳でもない故に、これもただの想像なのだけれど。

 そんなことを考えながら階段を上りきると、数メートル先の図書室の前で日比谷が壁にもたれかかっているのが見えた。

 二階の教室から四階の図書室までの道のりは長く、階段を二階分上るのは普段授業以外で運動をしない者にとっては案外キツい。今日の天気は穏やかな春日和といったところだが、今は爽やかな風を求めてしまう。


「おまたせ。あー疲れた」


 ワイシャツの胸元をパタパタとさせながら、私は日比谷の元へ駆け寄る。


「わざわざ時間とらせてごめん」


「いや、いいよ。今日は特に予定もないし。で、見てほしい内容は告白の結果とかそういう感じだよね?」


 その言葉に日比谷は無言で頷く。やはり気恥ずかしいのだろうか。まあそれもまた青春だよな、なんて考えながら私は更に問いただす。


「いつ頃告るの?」


「…明日、とか」


「じゃ、手貸して」


 なるべく気軽な雰囲気で声を掛けると、差し出した手のひらに重みが増す。私はその手を握り、ゆっくりと目を閉じ意識を集中させる。深い霧の中にいるようないつも通りの感覚。静かな空間でただじっと目の前に広がる霧が晴れていくのを待つ。もう少し。特に何かのサインがある訳ではないが、あと少しで映像が現れるというのが私には感覚として分かっている。


 あと少し。


 あと少し。


 あと少し……?



 あと少しで映像が見えてくるだろう、という私の予感に反して一向に目の前に広がる霧が晴れる気配がない。

 なぜ。昼休みに女子生徒の未来を見た時は、こんなことにはならなかった。

 急に力が失われてしまうのだろうか。いや、そうであればこの深い霧の中に入る感覚もないはず。つまり力が失われてしまったという線は薄い。

 ということは、普段通り未来を見る力を使っているにも関わらず、未来が見えないということ。まったく不可解な現象だ。


 だけど一つだけ、この一見不可解な現象が起こってしまう理由を私は知っている。

 でもその答えに素直に辿り着けるほど、私の心は機械的には出来ていない。いくら不思議な力があるとは言え、私だってただの高校生なのだ。

 邪念を振り払うようにもう一度集中力を高めてみるも、やはり結果は変わらず霧が晴れることはない。一体この状態からどうすれば良いのだろう。握ったままの手が妙に熱を帯びていく。

 何も見えないということはつまり、私に関係しているということなのだから。


 完全に予想外だ。

 青春っていいなあ、なんて離れた場所から見学していた私が、いきなりその渦中に引き込まれたところで一切為す術なんてない。とは言えどうにかしてこの場を切り抜けなければいけないのが今目の前にある現実だ。

 となれば、見えないものは見えないと、そう伝えるしか道はない。しかし日比谷はその言葉の意味を知っているのだろうか。

 未来が見えるなんて羨ましい、と言ってくる友人に自分のことはさっぱり見えないんだよ、と返したことは何度もあるが、果たしてその話が未来が見えるということと同じくらい皆に知れ渡っているかと言えば正直謎だ。どちらにせよ、いつまでも日比谷の手を握っている訳にもいかず、私は小さく息を吸うと意を決して口を開いた。


「……ごめん、よく分からないんだけど、見えないみたい。あと少しのところまでは行けるんだけど……調子、悪いのかも」


 出来るだけ冷静に、さも力がうまく発揮できないかのような口ぶりで私は言葉を並べる。


「……ん、そっか。それは、仕方ないよな」


 ありがとな、と困ったかのように笑うと私からの返事を待つこともせず、日比谷は図書室とは反対方向へと廊下を歩いていく。

 一人その場に残された私はただその背中をぼーっと眺めていた。

 私の力だって百発百中という訳ではない。でももしあの仮説があっているのならば、私の気持ちはどうなんだろう。そう問いただしてみても、はっきりとした答えは出てこない。だけど上手く言葉で表現することは出来ずとも、離れていく背中を追いかけてしまいたくなるような、ムズムズとした気持ちは確かに存在する。

 不意に生まれてしまったまだ誰も知ることのない小さな秘密は、この先どうなっていくのだろう。


 今はまだ、分からないけれど。

 不思議な力を使っても分からない自分の未来が、ほんの一瞬だけ色づく気配を感じた。










 

 


 


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