エピローグ


 会戦だと意気込んだはいいものの……戦い自体はあっけなく終了した。


 トッドが狙っていた通りにことは運び、トティラの氏族は内乱と奇襲してきた強化歩兵中隊によりてんてこまい。

 全面からトッド達が攻め立てたおかげで、大した抵抗もなくあっさりと組み伏せることができたからだ。


 トッドにはひどく意外だったことがある。


 降伏の際の言葉が、彼のゲームの知識であるトティラ像とは全く異なっていたのだ。


「己の首を差し出すからこれ以上殺すな、か……」

「将としては間違っていないでしょうな。もっとも、諦めるのが早すぎる気もしますが」

「そう、そこなんだよね」


 トッドにとってトティラとは、残虐にして卑劣なる蛮族の王だった。


 彼の力により王国はその力を大いに減じ、王族は皆殺されてしまうバッドエンド。


 その際、殺されるエドワードに対しトティラが放った言葉はこうだ。


『世界よ、山の民を、そして我を恐れよ! 我こそ族王トティラなり!』


 基本『アウグストゥス ~至尊の玉座~』において進行はリィンスガヤ王国視点でしか描かれることはない。


 そのため彼は恐怖を与え血を求めて戦い続けた狂気の王という描写しかなされてはいなかった。


 それがこれだけ即時に降伏する今のトティラとは重ならないのだ。


 ここ最近、密かにトッドの頭を悩ませていることがある。


 ――この世界は実は、ゲームに似ているだけで実は全く別の世界なのではなのか。

 そんな仮説が、頭から離れないのだ。


 彼の知っている通りに進むことがほとんどだが、全く想定していなかったような出来事も度々起こっている。


 エドワードの育ち方、レンゲやガールーのようなゲームに存在しない人物達、そしてトティラの違和感。


 トッドが策を巡らし、皆の行動を変えてきたからという理由だけでは説明できないようなイレギュラーが、いくつも存在しているような気がするのだ。


 一応理論立てればある程度推測はできるが、それでもゲームに描かれていた部分の話になってしまう。


 無論トッドは転生する際に、神に会って全ての説明を聞いたわけでもないし、考えたからといって答えがポンと出てくるような問題でもない。


(けどそれなら、トティラという人物は血に酔い恐怖を植え付けようとする狂王ではなく……いや、もしかするとこのあと起きる何かの悲劇が、彼を変えてしまうという可能性もあるか)


 ということは今自分と戦ったトティラは、自分が想定しているような極悪非道ではないということに……トッドの思考は、そこで中断される。


「失礼致します、約束通りトティラを捕縛し連れて参りました」

「よし、通していいよ」


 トッドは現在、シーラ山にあった平原の建築様式で建てられた家屋を、接収して使わせてもらっている。


 後ろには甲冑を着込んだライエンバッハが控えているため、今は気を抜いてシラヌイは脱いでいる。

 一応念のために、強化兵装だけは着けていた。


 しばらくして中へ入ってきたのは、一人の兵士と、縄で手を縛られた男だった。


 男はがっしりとした身体をしていて、貫頭衣から見えている全身には至る所に傷痕が残っている。


 それは横に居るライエンバッハに勝るとも劣らぬ、強靱な肉体を持つ戦士であった。


 これがトティラ……とトッドが驚いていると、連れてこられたトティラもまた目を丸くしていた。


 どうやら彼も、シラヌイを脱いだ人物の正体が、トッドのような年端もいかぬ少年だったとは想定していなかったらしい。


 彼がシラヌイを脱ぐのは信頼できる人物が近くにいて安心ができるときだけなので、トッドを直に見た人物というのは意外に少ない。


 トティラの様子から考えると、どうやら見た者達と、トッドのことをあまり表だって口に出してはいないようだ。


「……驚いた、まさかあの悪鬼が子供だったとは」

「子供に負けた気分はどうだい?」

「最悪だよ、俺の子よりも年下に負けたと思うとな」


 トティラは後ろに回した手を麻縄でグルグル巻きにされ、足には鉄球のついた鎖を着けられていた。


 その見た目は明らかに罪人のそれだ。

 来たらすぐに連れてくるようにと言っていたので、彼はこの格好のまま両陣営の間を通ってきたということになる。


 ゆっくりと話をして、情が移ってもいいことはほとんどないだろう。

 トッドは事務的に話をさっさとすませてしまうことにした。


「以後君の氏族は全員吸収、トッドの氏族としてこちら側に迎え入れる。君のとこの人達が取っていった女性達は元いた場所に返すけど、文句はないでしょ?」

「当たり前だ、それらは全て勝ったお前が決めること」


 今回トティラ達は氏族全てに動員をかけていたために、その中には女性達の姿もあった。


 そのため無理矢理連れてこられた者は元の場所へ帰っていいと、トッドは既に布告している。


 そしてトティラの氏族が抱えていた大量の女性達の中には、ガールーが探していた彼の姉の姿もあった。


 無論山の民は勝者が全てを手に入れることができる。


 彼女は氏族の数人からは手をつけられてはいたが、心身ともに健康そのもので身籠もったりもしておらず、ガールーは安堵の息を吐いていた。


 どうやらトティラは、女性に対してもそこまでひどい仕打ちはしていなかったようだ。


 王国民の基準からすればひどく野蛮ではあるが、山の民からすれば何一つ禁忌はおかしていない。


「それからホウ……山の民の人から聞いたんだけど、君には直轄の戦士達がいるよね。君を殺したら、一悶着起こすと思う?」

「それは……しないはずだ。一時の憎しみに瞳を濁らすなとあいつらには伝えている」


 ちなみにトッドのところには、もしトティラを殺すならあいつら親衛隊員達も一緒に殺してくれという嘆願がいくつか届いていた。


 トティラの腹心となる部下達は、たとえ敵わないと知っていてもトティラのために立ち上がるかもしれないから……と。


 彼には一応、しっかりとした人望もあるのだ。

 ただ改革の多すぎるやり方で、反発が大きかったというだけで。


 ゲーム内イベントでの先入観をなしに見れば、彼はただ山の民の中に現れた改革者でしかない。


 そして同時に力ある戦士でもあるため、彼の信奉者も多く、そのことから考えればカリスマも持っている……。


 戦術等も加味すればステータスの総合評価は、恐らくAランクには届くだろう。


 全体の中でも上位に位置している逸材だ。


 事前に情報がない段階では、王国は彼の意のままに動く山の民に為す術なく敗れたのだから。


 トッドの身体がうずうずと動き出す。

 自身の中から湧き出る良くないものを自覚せずにはいられなかった。


「君が山の民をまとめようとしたのは、山の民の名を世界に轟かせるためだったんだよね」

「――もうそこまで調べがついているのか。その通りだ、俺は族王トティラと山の民の存在を刻みつけたかった。決して我らが、平原の民に負けるものではないと」

「うん、本当に――その通りだと思う。僕がいなければ多分、君は山の民を一つにすることができただろうし、多分王国は君の率いる軍勢に負けたはずだ」

「……」


 トティラは目の前の少年が何を言っているか、さっぱりわからなかった。


 山の民にとって大事なのは勝敗であり、結果。

 それが全てであり、勝者は全てを手に入れ敗者は全てを失う。


 だからこそトッドの敗者を讃える言葉が、耳を通り抜けていってしまい、上手く聞き取ることができなかったのだ。


(本来なら地位も名誉も失うはずの俺に対して、今こいつはなんと言った。自分がいなければ、俺が勝って平原の国を落としていただと? 弱気というかなんというか……これがこの男のやり方、ということか)


 自分に自信のない、病的なほどの怖がり。


 トティラはたったの一度会ってほんの少し会話をしただけで、トッドの根源的な部分を見透かした。


 自分自身の身は顧みずに前に出る。

 だが決して無謀なことはしない。


 相手を認めるからこそ事前によく調べ、謀をなし、絶対に勝てる勝負だけをするのだ。


(こいつはひどく歪だ。人としてねじ曲がっている)


 こんな男と戦えば、そりゃ負けるだろうと、トティラは思わずにはいられなかった。


 ――山の民の気質は、そんなねじくれた奴と戦えるほどに折れ曲がってはいないのだから。


「お前は、今後我らを――どうするつもりなんだ?」

「僕の私兵として扱うよ。多分王国民より少し税とか下げて権利も減らした、二等国民みたいな扱いになると思う。でも根絶やしにしたりとかはしないし、多分今よりいい生活はできる」

「山を掘り、森を壊し、街を作るのか?」

「うーん……そればっかりは、ある程度は許して欲しいかな。一応腹案もある。今は無理だけど、森は壊さずになんとかできるような伝手をこれから作る予定。山を掘削するのにもそれに適した人材がいるからなるべく以前と変わらないようにするつもりだし……リィンスガヤの人達が住むための街はできるだろうけど、山の民としては生きていけるようにするつもりだよ」


 この世界にはエルフやドワーフ、ホビットといった所謂ファンタジーな種族も存在している。


 山の民の征服が終わった今、トッドは彼らの中でも特に有能な人物を引き抜くため、すぐにでもリィンフェルトの向こう側にある大森林へ向かわなくてはならない。


 アキツシマに復活するヤマタノオロチのことも考えなくてはならないので、わりとタイムスケジュールはカツカツなのだ。


「我らの有り様は破壊される。そこにいるのはただ金を増やしぶくぶくと太るだけの、平原の民の真似事をする何かだ」

「変わらないものなんてないよ。僕は君たちを……というか君を放置できなかった。だから征服した。――勝った者に従うのが山の民の流儀だよね? それに……山の民自体は消えないよ。彼らが王国民になって、以前と違う生活をしていっても、その血は連綿と受け継がれていくんだ」

「血が……?」

「僕の部下の男達は、皆王国へ山の民を連れて行くつもりらしいんだ。彼らが子を為したら、その子は王国民でもあるけれど、しっかり山の民の血も引いているでしょ? だから山の民は消えないんだ。たとえ歴史から氏族の名がなくなろうと、王国民の中にたしかに生き続けるんだよ」


 トッドから放たれた言葉は、トティラが今まで一度として考えたこともないものだった。


 山の民とは、有り様そのもののことだと考えていた。


 山の民とはなんなのかと考えれば、それは風習であり、そして風俗だろうと。


 しかし血もまた、山の民を構成する確かな要素の一つだ。

 氏族の中では深い血縁関係が築かれ、血の繋がった者達は、血族と呼ばれるほど固い絆で結ばれるのだから。


 全てが変わっても、山の民の存在自体は血に入り込み、その遺伝子が受け継がれていく……聞いたことのない考え方だが、話されるとなるほどと思ってしまう。


「それに山の民は僕の私兵として扱うつもりだよ。変わるものもあるだろうけど、大事なところだけはそのまま保つつもり」

「お前は……平原の民だろう? 我らを蛮族と言い放つ」


 トティラはかつて幼い頃、大人達に連れられて平原の民達と接触する機会があった。


 今より更に数十年前は、ごく小さい規模であったが両者の間を行き来する隊商も存在していたのだ。


 しかしやはりその頃から、差別というものは存在した。


 その時の平原の民達の蔑視は、子供だったトティラの心に一本の楔を打ち込んでいたのだ。


 彼が山の民の力を示したいと思うその根源は、幼少期に得た差別に端を発していたのである。


 だがトッドは、そんな事情を知らない。

 彼はあっけらかんとしながら、


「文化が違う、風俗が違う、そして風習が違う……ただそれだけのことじゃないか。まぁたしかに野蛮だなぁと思うところもあるけど、見習うべきところもあると思う。例えば、女の子なんかそうさ」

「見習うべきところだと……?」

「うんそう、こっちの女の子って皆凄く素直なんだよね。一途で、純粋で、直情径行なんだ。きっと勝てば女を好きに出来るって風習がそうさせたんだろうけど、すごく真っ直ぐなんだよ。でも僕ら王国の女性は違う。恋愛を楽しむためにはなんだってするからね。僕ら王国民にとって、恋は戦争。でも山の民の女性達にとって、恋っていうのはきっと、もっと生活の延長線上にあるものなんだ」


 トティラは山の民のこんなとこが凄い、でもこんなところはダメだと忌憚なく意見を言うトッドを見て全身の震えが止まらなかった。


 年齢の上下がどうこう等というのはもはや問題ではない。


 彼が周囲を従えるだけの力を持っていることも、ここに至っては関係がない。


 トッドはただその見ている景色の鮮明さが、彼の視点から捉える世界の広さが、他の者とは圧倒的に違うのだ。


 征服するされるの関係ではない。

 差別するされるの問題ではない。


 トッドという人間はあらゆるものから良いところを抜き出そうとしている。


 使えるべきところは使い、直すべき所は直す。

 それを高い視点から行うことは、簡単なようで実はとても難しい。


 だがトッドの視点から語られる彼の言葉は、確かにトティラという人間の心を震わせるだけの何かがあった。


 彼は子供の頃に決意してからというもの、山の民が決して他の者達に劣るものではないと証明するために戦ってきた。


 恐怖により皆を従えたのも、連峰を征服したのちに平原へ出ようとしていたのも山の民の優秀さを証明するためであった。


 しかし今目の前に、自分たちの優秀さを誰よりも理解する、誰より優秀な人間がいる。


 トティラは己の推測が勘違いだと思い直した。


 病的なまでに臆病なのではなく、常識すら疑うその頭の良さ。


 人として曲がっているのは、そうしなければ受け入れられぬほどあらゆるものをその手に抱き留めようとしているから。


 この男が未だ十二才であることが信じられない。


 知見も含めた何もかもが、老練な戦士を思わせるほどに深く、そして老成しているのだ。


「お前は、いやあなたは……いったい何を見ている? 世界全土、大陸を超えた先にあるという大氷雪地帯や砂漠の民、あらゆる者を従えでもするつもりなのか!?」

「……へ? そんなことしないよ。僕はただ、来たるべきに備えて戦う準備を整えて、あとは弟妹達とのんびり暮らせればそれでいいんだ」


 だがどうやらこの男はトティラに本心を打ち明けるつもりはないらしい。


 それも当然だ、彼とは今の今まで敵対していた敵同士だったのだから。


 トティラは自分の人生を、山の民に捧げるつもりだった。


 そしてその志は半ばにして折られ、彼の夢は破れた。


 しかし己が打ち立てていた生涯の目的を嘲笑うかのように、トッドは新たな物を築き上げようとしている。


 自分などでは想像もつかないような、大きく底の見えぬ何かを。


 トッドはその発言から考えて、山の民と平原の民をまとめ上げ、更に彼は海を隔てた先にある国すら視野に入れている。


 彼がその先に何を見据えているのか、ほとんど山を出たことのないトティラにはわからない。


(わからない……だからこそ、知りたい)


 今までは否定のための材料になっていた未知が、今では欲求の一つの探求欲を掻き立てるものへと変わっていた。


「お前は随分と俺を買っているんだな」

「――少なくとも向こう三年くらいは脅威だったからね」

「……それほど短期間で、何かが変わるのか?」

「僕が着ていたあの鎧、あれより強い物を兵士達皆に着用させる。戦場は変わるし、騎兵の時代は終わる」


 トティラは自分たち山の民を併合しにやってきた理由が、近い将来の憂いを取り除くためのものだと知って笑った。


 自分が全てをかけてやってきたことは、トッドにとって目の上のたんこぶ程度のものでしかなかったのだ。


 彼は何故自分がこうやってトッドに話をされているかがわからないほどにバカではない。


 山の民を尊重すると言い、最後の一戦を除いては基本的に損害が出ないよう立ち回っていたトッドという人間は効率を重視する。


 そう――たとえ昨日まで敵だった者を、即座に自陣に引き入れようとするほどに。


「悪癖ですな……いつかその甘さが身を滅ぼしますぞ」

「わかっちゃいるんだけどねぇ……どうにももったいない精神が働いちゃうのよ」

「もったいない……?」


 トティラが理解を示したのを見てとったライエンバッハはたしなめるような口ぶりをする。


 それに対しトッドは苦笑いをしながら、自分の後頭部をさすった。


 そして顔をキリッとさせてからトティラの方を向く。


 トティラは己の変化に気付く。


 気付けば曲がっていた背筋は伸び、縛られた両手は拳を握っていたのだ。


 それは彼がまだ生きていたいと思う気持ちと、そして己の役目を果たそうという気概の表れであった。


「俺をどうするつもりなんだ? いや、違うな――俺は何をすればいい?」

「残念ながら、君には山の民の領域、つまりこのエルネシア連峰にいてもらうわけにはいかない。君はたくさん恨みを買っているし、碌なことにはならないだろうからね」

「なら平原――お前達の暮らす国へ行けと?」

「そうだね、とりあえずは。やってもらうこととなるべくならやって欲しいことはあるけど、まぁ色々と見て回るといいよ」

「俺に――自由を与えると? 隙あらばその喉笛を噛み千切り、また新たな場所で再起を図るかもしれんぞ」

「でもそれはきっと、山の民以外の人達にすることになるよ。六王国連合とかに行くんなら、手助けくらいはするよ?」

「ハッ、バカを言え……今更お前がいる以外の国へ行く者がいるか。負けるとわかっている氏族に混ざることほど、愚かなことはない」


 こうして結局の所、トッドはまた新たな山の民を己の部下として取り立てることにした。


 無論、元からトッドの氏族だったものやかつてトティラの氏族で不遇を受けてきたものからの反発は強いので、表だっては処刑したことにした。


『もう二度と、トティラがこの地に降り立つことはない』


 トッドの宣言も、嘘は言っていない。


 トティラは既に別天地へ向かわせ、ここへ戻らせるつもりはないのだから。


 どうするかは悩んだが、結局トッドはトティラの部下で彼の親衛隊とされていた戦士達十数名も合わせて王国へ連れて行くことにした。


 なんとなくの予感なのだが、彼らはそのまま置いておけば反乱分子になるような気がしたためである。


 彼らとトティラは、王国へ帰る馬車の中で再会させた。

 そして帰還か随行かを選ばせると、彼らは満場一致で、トティラについていくことを選んだのである。


 また山の民を制圧した証拠を示すため、ホウを始めとした数人の元族長達も馬に乗って王国へ来てもらうことにした。


 トティラ達と会えば良くないことが起きるのはわかりきっているので、無論トティラ達にはかなりの遠回りをさせて、後で合流させるつもりだった。


「長かった……でもちゃんと終わったよ」

「お見事です、殿下。いや、族王トッド様と呼んだ方が?」

「もう、からかわないでよ。彼らにとっては王でも、僕はただの錬金王子なんだから――」


 帰りの馬車の中、トッドはようやっと一つの憂いを取り除くことに成功したことに安堵し……そしてまだまだたくさんの問題が残っている事実に頭を抱えたのだった――。






 連峰の裾野を歩き、王国まで辿り着くのには一週間程度の時間が必要だった。


 出発してから王国へ戻るまで、三ヶ月弱の時間がかかったことになる。


 これを長いと見るか少ないと見るかは物の見方によるだろう。


 ちなみにトッド自体は、少し時間がかかりすぎていると思っていた。


 最初に連峰側にある王国の街へ行ったときは、あわや大問題になるところだった。


 何やら怪しげな服を着た集団や、馬に乗る蛮族達がわざと見えるようにやって来たのだ。


 年に一度ある蛮族の襲来が来たと、街では早鐘が鳴り、駐屯していた兵達は襲来に備えて武器を持ち出し始めた。


 その街を治める貴族がトッドと面識のある者でなければ、危ないところだっただろう。


 トッドが彼の自宅へ直接赴き事態を説明したことで、最悪の事態は回避することができた。


 ハルト達は先に戻ってきていたはずなのだが、彼らは特に何もせずにさっさと王都へ行ってしまったらしかった。


 街の住民の山の民への悪感情は相当なものだったので、トッドはすぐに街を抜け自分たちの住処がある王都目掛けて旅を始めることにした。


 行きとは違い、旅芸人の一座のフリなどをする必要はない。


 トッドは自分を先頭に立てながら各地に触れを出し、蛮族を平定し終えたと言って堂々と帰還した。


 最初は錬金王子がホラを吹いたなどと言って明らかに信じていない者もいたが、それも実際に彼の姿を見るまでのこと。


 戦いを経て十二才にもかかわらず精悍な顔立ちをするトッドに、傷だらけの甲冑を身に纏うライエンバッハ、そして実際にトッドに傅く山の民達を見ると、皆の態度は面白いように変わった。


 山の民達は初めて見る景色に驚き、トッド達にいちいち説明を求めてきた。


 特に知識欲が高いホウなどは、暇さえあればあれはなんだと聞いてくるのでうんざりしてしまうほどだった。


 ちなみに一行の中に、トティラ達追い出された山の民の姿はない。


 彼らはあとで合流する地点を決め、別の場所で待機してもらっている。



 そして更に時間をかけ、会食やパーティーの誘いを適度に断り適度に受けながら、トッドはようやく王都へと帰ってきた。


 慣れ親しんだ空気に、ライ達に諸事や山の民達の面倒を任せ、一人シラヌイに乗って駆け出す。


 最初は驚く人達の間を抜けていたが、それだとあまり速度が出なかった。


 人に当たっても危ないなと考え、屋根から屋根へと飛んで移動することにした。


 そして最短距離で、慣れ親しんだ王宮へと向かっていく。


 気が逸りながら急げ急げと自分をせかしていると、気付けば王宮の目の前にまで辿り着いていた。


 そしてやはりというか、明らかに王宮に向かう不審者を捕まえるべく街の衛兵から親衛隊までが勢揃いしていた。


「貴様! 王宮に何のようだ!」

「ごめん、僕だよ僕」

「………トッド殿下!?」

「帰ってきたんだ、もう話は通ってるでしょ?」

「……ハッ、我ら一同トッド殿下の帰りをお待ちしておりました。国王陛下がお待ちです、今すぐ謁見室へ……」

「ああごめん、父さんへの説明はあとで。まずは行かなくちゃいけないところがあるからさ」


 自分を引き止めようとする親衛隊達に謝りながら、トッドはシラヌイを脱ぎ捨ててから、自分の足で王宮へと入っていく。


 入り口を入って、すぐ右に。

 家庭内庭園を抜けて廊下を真っ直ぐ行き、更に三つ目の扉を開けばそこには……。


「え………」


 三ヶ月ぶりに会う、前より更に男前に磨きがかかっているエドワードの姿があった。


 切れ長な瞳は美しく、こちらから見える横顔は芸術品のように美しい。


「やぁエドワード、良い子にしてたかい?」

「……兄上っ!!」


 感極まったエドワードが、椅子から立ち上がる。


 急に姿勢を変えたせいかつんのめり転びそうになるが、腕を回してバランスを保つことで姿勢を維持。


 そして体勢が落ち着いたところで再度走り出し、トッドに抱きついてくる。


 お世辞にも、今トッドが着ている服は綺麗とは言えない。


 一応彼なりに気を付けてはいたが、シラヌイの中にいれば変わらないと着ているのは出発した頃と同じものだ。


 更に今はシラヌイを動かした後なので、結構汗も掻いている。

 ぶっちゃけ、かなり臭うはずだ。


「ごめん、今は臭いからそういうのはまたお風呂入ったあとで……」

「兄上、聞きましたよっ! 本当に……本当になしとげられたのですね!」

「うん、なしとげたよ……ちょっと時間はかかっちゃったけどね」


 何を言っても聞かなそうなので、トッドは大人しくエドワードを抱きしめることにした。


 だが腕を回そうとした段階で、無意識のうちに手が止まる。

 そして凍ってしまったように動かなくなった。


 その原因はすぐにわかった。


 トッドはこの遠征で、たくさんの人を殺した。


 無論必要な犠牲だったのは間違いないが、それでも自分の手は血に濡れたのは事実だ。


 血まみれの腕で、まだエドワードを抱いてもいいのだろうか。


 そんな思いが、トッドを硬直させたのだ。


「兄上、色んな話を聞かせて下さい! 僕も話したいことがたくさんあります。本当に、たくさんたくさん!」

「うん、いいけど……」


 だが自分を見上げる弟の顔を見ると、そんなことで悩むことが馬鹿らしくなった。


 トティラを恐れ山の民を征服してきたのは、自分が考えて行動した結果だ。

 その結果に後悔はないし……してはいけない。


 自分が戦ってきたのは、自分と家族皆を守るためだったのだから。


 だからそんな小難しいことは考えなくていいのだ。

 今はただ再会できた喜びを、エドワードと分かち合えればそれで――。


「ねぇエドワード」

「はい、なんですか兄上?」

「僕はまだ……君の頼れる兄のままでいるかな?」


 トッドは四年半の時間を、自分とその周囲の人達を幸せにするために費やしたつもりだ。


 他人からは錬金王子だとバカにされようと、自分を持ち上げていた貴族達が皆手のひらを返そうと気にせずに、機動鎧開発のために真っ直ぐ突き進んできた。


 そして今その努力がようやく、山の民を征伐してきたという結果として表れてくれた。


「これで少しは、僕の凄さを世間に知らしめることができたかな。エドワードが尊敬するような、兄として」

「……はいっ、兄上はいつだって、僕の……」


 

「あー、本当に兄上が居る!」

「帰ってきてたんですか!?」

「おにーちゃん!」


 エドワードから視線を横に移すと、どこから嗅ぎつけてきたのか弟妹が勢揃いしていた。


 皆がトッドが居ることにびっくりして、抱き合っている二人を見て指を差している。


「お帰りなさいませ兄上、私は兄上がぶくんを立てて帰ってくると信じてましたわ!」

「兄上……まずはお風呂に入った方が」

「わたしもぎゅー!」


 おしゃまはエネシアは騎士の帰りを待っていた姫のような言葉遣いをして近付いてきた。


 タケルは離れていても臭ってくるトッドの激臭に顔をしかめている。


 とりあえず皆で抱きつき合うゲームをしていると思っているアナスタシアは、エネシアと一緒にトッドの背中に取り付いた。


「は、はは……ただいま」


 背筋に力を込めて、二人を持ち上げる。


 力んで真っ赤になっているトッドの顔を見て、エドワード達が笑った。


 エドワードはトッドから離れて、自分の研究を発表する学者のように大きく手を広げた。


「兄上――これもまた、あなたが出された結果の一つです。皆が兄上を慕い、こうして仲良く暮らせています。いがみ合い憎み合うのが常であるの王族が、これだけ仲良く過ごせている。こんなの、普通じゃありえないことですよ」


 先ほどの質問の答えは、最後まで聞くことはできなかった。


 だがどうやらトッドはまだ……エドワードの頼れる兄でいてもいいようだ。


 思っていたよりもたくさん仲間が増えたし、まさか憎き敵キャラだったはずのトティラまで仲間にしてしまうとは思ってもみなかった。


 このゲームのようでゲームではない世界は、想定外のことばかり起きる。


(でも僕とその周囲、それから原作で好きだったキャラクター達。彼ら全員と、王国民に山の民。

彼らが皆幸せになれる――そんな僕だけのグランドルートを探り当てよう。たとえそれがどれだけ、難しいことであろうとも)


 トッドは弟妹達の体温を感じ、帰ってきたと実感しながらそう思った。


 彼の旅路は、まだ始まったばかり――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

かませ犬な第一王子に転生したので、ゲーム知識で無双する しんこせい(5月は2冊刊行!) @shinnko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ