第24話
決戦の地に選ばれたのは、シーラ山の麓をもう少し行った先にあるオオゾノ平野だった。
北を連峰、南をカカ湖に挟まれており、東は密生する森になっているなんの変哲もない平らな土地だ。
シーラ山に先に辿り着いたトッド達は北側、そして後にやってきたトティラ達は湖と森に挟まれた南側に布陣している。
数はトッドの氏族二千五百に対しトティラ軍が五千前後。
数の差は倍に近いが、トッドは敢えて子供の徴集は行わなかった。
この先のことを考えれば、子供達には生きてもらわねばいけない。
数の差をひっくり返すため、そして犠牲を極限まで減らすために、短期決戦で決着をつけてしまうつもりだった。
「本日天気晴朗なれども波高しってね」
「……ここは山際、海は見えませんが」
「わかってる、なんとなく言ってみただけ」
快晴の空の下、トッドは自軍と共に並び立っていた。
先頭に立つのはもちろんトッドで、当然のようにその脇にいるのは騎士ライエンバッハ。
彼らの後ろにはランドル達が続き、彼らが各八百ずつ率いている山の民達が馬に乗り待機している。
近くで見ていても、やはり数の差は大きい。
その分を兵器の質で埋めるためには、多少強引でも無理を押し通す必要があるのは間違いなかった。
ちなみにハルト達は既に前線から下げており、一足先にリィンスガヤへと帰らせている。
彼らさえいれば研究はなんとかなるので、無理くり帰らせたのだ。
ハルトはお預けを食らった犬のような顔をしていたが、レンゲが首根っこ引っ張って帰らせていたので多分大丈夫だろう。
山の民の戦に、戦前の使節の交換や降伏勧告などというものはない。
ただ族長が号令を出せば、それだけで戦が始まるのだ。
そのため既に両陣営は、ピリピリとした面持ちで戦が始まるのを待っている。
少し時間が経過して、一匹の鳥がトッドの元へやってくる。
彼はその鳥の足に白い布が巻かれているのを見て頷いた。
トッドはライエンバッハを見て、そして後ろにいるランドル達を見て声を張りあげた。
戦というのは勢いが重要だ。
陣形や戦術などあってなきがごとし山の民の戦いにおいては、更にその重要度は増す。
愚直に前に進み、ただただ敵を圧殺する。
少々野蛮だが、それが一番山の民の戦意を奮い立たせるのだ。
「最短で最速で勝つ! 全軍楔形陣形で突撃!」
わああっと鬨の声が鳴る。
数千の兵達の雄叫びは大地を震わせ、隣に居る森に住む鳥達を飛び上がらせた。
「行くよ、ライ。こんな戦はさっさと終わらせる。正面突破だ!」
「お供致します」
トッドとライの機動力は、後ろにいる山の民の騎兵の速度を大きく超越している。
彼らは自陣営から浮き位置になるほど前に進み、一騎駆けならぬ二騎駆けによって戦端を開いた。
トティラはトッドとは違い陣の後方にいるようで、先頭にいるのは彼の直轄の戦士と思しき男達だった。
トッドはシラヌイを駆り、前へと進み出る。
奇襲や出し惜しみなどしない、文字通りの全力で。
彼が己の持つ力の全てを出すのは、実はシラヌイに乗ってからは初のことだった。
シラヌイの力は、ただ模擬戦をするにはあまりにも強すぎる。
全力でやればシラヌイが壊れたり、相手へ大けがをさせてしまうという気持ちが、無意識のうちに彼の力をセーブさせていたのだ。
しかし今回は、初手の勢いづけが重要となる。
単身で駆けているという状況が、そして戦という特異な戦場による昂ぶりが、彼の力を極限まで引き出しシラヌイを駆動させる。
「しっ!」
シラヌイが大剣クサナギを構え、逆袈裟に振り上げる。
全力で放たれた一撃が馬ごと戦士を引き裂いた。
肉が断たれ、骨が砕け、文字通り真っ二つになった戦士が左右に別れてべちゃりと地面に落ちていく。
そのまま上へ飛ぶと、先ほどまで彼がいたところに矢の雨が降り注ぐ。
軽く跳躍したつもりだったがどうやら力んでいたようで、トッドは勢い余って敵陣の真ん中に着地してしまった。
既に山の民達は走り出しているので皆が凄いスピードを出している。
そのため彼が着地した時に、真下にいた者はひき肉になってしまった。
そして目の前からは、今正に自分とぶつかろうとする騎兵が突進してくる。
横には自分を通り過ぎようとする敵兵がいるため、既に距離を離し始めている後方を除く三方が敵だらけだった。
これはこれで都合がいいと、今度は剣を横に構えてそのまま右足を軸にして回った。
叩きつけるように振るわれたクサナギは、周りにいる生き物を馬と人の別なく斬り殺していく。
自分の周囲にいた五騎はその攻撃を受け吹っ飛ぶか倒れるが、当たり前だがここは敵陣営の中。
周りは敵だらけであり、先ほどの攻撃から運良く外れた一騎がトッドの方へと突進してきた。
剣を振り抜き勢いを殺そうとしたタイミングだったので、その馬上突撃を正面から受け止める。
先ほどの強引な制動と回転により身体にGがかかり、更に衝撃を受けたことで思わず口から胃液が出そうになる。
だが機体自体にダメージはなく、トッドはそのまま馬を止め、その首を掴んで胴体を前方へぶん投げた。
「ぎゃ!」
「ぐわっ!」
「そんなバカなっ!?」
まさか馬を投げられると思っていなかった後続の騎兵達の骨を砕き、更に数人が戦闘不可能な状況に陥る。
ことここに至るとさすがに異変を察知したためか、トッドがいる場所の周囲にはぽっかりと空間が生まれ、前に進む騎馬達は止まるか、そこを避けて前へと進んでいく。
「おいおい、つれないなぁ」
トッドはつんのめった騎兵に近付き、下からクサナギを突き立てる。
そのまま距離を離していては、矢を放たれててしまう。
混戦に持ち込んで、矢を打たれないようにする狙いだ。
身体に大剣を突き刺された山の民は、この好機の逃すかと更に剣をくい込ませ、己の手で剣を掴む。
だがその行動は、人外の膂力を持つシラヌイからすれば悪手だ。
「そんなことしても、有効活用しちゃうだけだっ!」
トッドはもう一度跳躍、そしてクサナギを刺さっている男ごと持ち上げて、前方にある密集地帯目掛けて振り下ろす。
更に数人が吹っ飛ぶのを見てから、後続へ目を配る。
「殿下っ! 先走りすぎですっ!」
ライエンバッハはさすがに戦場で何度も跳躍するような非常識な行動はしていなかった。
ただ彼は突きで騎兵を落とし、薙ぎ払いで前に空間を作り、騎馬の間をすり抜けながらこちらへと一直線にやってきていた。
自分としても非常識なことをしているとは感じているが、これだけ大量の敵がいる中でそれだけのことをするライエンバッハの方も大概である。
後ろを見れば自分たち二人が作った穴を目掛けて、山の民達がその隙間をこじ開けようと前に進んでいる。
落下する直前に前を見ると、もう三回も飛べば敵本陣にまで届いてしまいそうだった。
一応仕掛けはしてあるが……いっそこのままトティラのいる場所へ直接向かうのもありかもしれない。
そう考えてしまうほど、シラヌイの性能は圧倒的だった。
騎馬突撃を食らっても中へ衝撃は通るが、何十と攻撃をもらわぬ限りは問題はない。
トッドは今はもう水魔法第二階梯の回復も使うことができる。
仮に臓腑を痛めたところで、回復させてしまえば問題はない。
問題があるとすれば、少しはっちゃけて今のペースで戦い続けると思ったよりも魔力切れが起こるのが早そうなところくらいだろうか。
ただ、それだって数十分程度で尽きることはない。
それほど大事にはならないだろう。
ドスンと勢いよく着地し今度は二人をひき肉に変えると、今度は山の民達がじわじわと後退していった。
山の民は戦いで死ぬことは恐れない。
だというのに後退をするとは、それだけシラヌイのインパクトが大きかったということだろうか。
なんにせよ、敵兵の戦意が失われるのはありがたい。
相手の恐怖を掻き立てようとドスドス音を立て駆けると、山の民達は更に後ろに下がった。
ちなみに彼の背中側に居る兵達は、声をあげながら勢いよく前へ進んでいる。
「殿下、無理をしすぎです!」
時間としては一分も立っていないと思うのだが、気付けばライエンバッハが声の届く距離にまで近付いてきている。
彼が倒れた兵馬を踏みながら歩いてくると、敵兵達の混迷の色が更に強くなる。
「二人で行けそうだね。とっちゃおっか、大将首」
「過信は禁物です……が、たしかにそれが一番犠牲が少なく済むでしょうな」
二人は息を合わせ、再度前進する。
ただ開戦をした当初とは違い、既に山の民達の戦意は薄れ始めていた。
騎兵達の中には神に祈る者や、二人を大きく迂回して敵兵へ向かう者が出始めていた。
トッド達が向かう先が、トティラの居る場所であるとわからぬものはいないにもかかわらず……。
「なんだ……なんなのだ、あれは!?」
「恐らくは事前に聞いていた新型の鎧かと……」
「そういうことを言っているのではない!」
戦場全体を見渡せるように作られた即席の見張り台、そこへ上っているトティラは呆然とすることしかできずにいた。
準備は万全に行っていたはずだった。
兵数では自陣営が倍近く多く、それはそのまま勝利へ直結するはずだった。
だというのにあれはなんだ。
「あの赤い化け物が……トッドなのか」
それは夢枕に聞くおとぎ話に出てくる鬼のような、人智を超えた強さを持つ男であった。
トッドが剣を振るえば馬と人は割れ、トッドが殴れば頭は陥没し脳みそを飛び散らせる。
足の小技から何から全てが一撃必殺であり、その力は明らかに異常なものだった。
人どころか馬を軽々と持ち上げ、敵へ投擲する。
大の男数人分も跳躍したかと思うと、足を折ることもなく着地する。
全ての行動が規格外であり、また事前に集めていた情報よりもはるかに強力であった。
剣技は我流なのかさほど腕があるわけでもなく、行動自体にも隙は多い。
しかしそのあまりに強力な肉体のせいで、トティラの氏族の者は誰一人として彼に傷を付けることができないでいた。
たしかにトッドが強いと言うことは調べがついていた。
戦場に現れれば悪鬼のごとき力を振るうとは聞いていた。
しかしあれは――あまりにも常軌を逸しすぎている。
それにトッドだけではない、その隣で彼と同じ位の体躯をした甲冑の男。
彼もまた、トッドに負けず劣らず戦場を駆け巡っている。
彼が使う剣技は、力任せに振るうトッドのそれと比べると明らかに洗練されていた。
その剣は敵の急所を狙うか、戦闘能力を削ぐためにひたすらに足だけを狙って放たれている。
トッドが縦横無尽に剣を振れるよう、障害になるような者だけを徹底して倒し、死角を補うように立ち回っているのだ。
その剣に派手さはないが、しかし族長を支える戦士として一級品なのは間違いがない。
信じられないことに、彼らは勢いを落とすことなく、二人だけで力任せに自分たちのいる本陣目掛けて進んできている。
今はまだ層が厚いために守れているが、このままでは本当に押し切られてしまいかねない。
そう思ってしまうほどに、彼ら二人の獅子奮迅ぶりは凄まじかった。
既にこちら側全体に動揺は伝わっており、戦士達の中に焦りを見せている者も多かった。
山の民が最も奮い立つのは、族長の奮戦だ。
見ればトッド達の後ろにいる山の民達は、こちら側と比べるべくもなく士気を上げている。
族長が一度やられてしまえば、二度と立て直せなくなるほどに全体に動揺が走ってしまう。
二倍近い数があるからこそ、下手を打たれる可能性は減らそうとトティラは自身は後ろから督戦する形をとっていた。
前に出てそこを一点突破で狙われれば、もしものことがあるかもしれないと考えていたからだ。
しかし現実はどうか。
自分達は後方で待機しているにもかかわらず、敵は構うことなくこちら目掛けて一直線に進んでくる。
そして配下である平原の戦士や山の民達が、鬼気迫る様子でこちらへとやって来ている。
だがトティラの受難は、これだけでは終わらない。
「族王! 大変です! 元グルゥの氏族を始めとする幾つかのグループが反旗を翻し始めました!」
「なんだと!?」
「東部森林から敵の伏兵! こちら目掛けて進軍を開始し始めました!」
「バカな! 東の森は馬が通れぬほど密生しているし、事前に下調べもしていたはずだ!」
トティラが以前トッドの支配を嫌がったとして自陣営に入れていた山の民。
彼らは元より、裏切ってなどいなかった。
そして事前にトッドに言われていた通り、トッド側につけば今後も何一つ己を押し殺すことなく暮らしていけるという説明を、かつての同胞達へ説明した。
実際にトッド達と数日を共にし、彼が平原の民であるにもかかわらずこちらの文化に造詣が深いことを教えられた者達のうち、力なき故に黙っていた小さな氏族達のうちいくつかが反旗を翻すことを決めたのだ。
そしてタイミングを見計らい、この機を逃さず蹶起したのである。
自陣営全体にトッド達の衝撃が残っている中、離脱した者達が出ることで山の民達の動揺はいっそう大きくなる。
自分たちもトッド側に寝返るべきなのではないか、そう考える者も一人や二人ではなくなっていた。
彼らが奮い立ったことにより更に士気が減少したところで、東部森林から伏兵達が現れた。
その正体は、トッドがハルト達とホウの協力の下作り上げた強化兵装部隊、強化歩兵中隊である。
トティラは事前に伏兵がいないか、偵察を出すことで確認をしていた。
しかしそこで反応がないのは当たり前のことだ。
何故ならトッドは戦が始まるよりも少し前に、自分たちを隠れ蓑にして脇から森を通り、彼らを迂回させていたのだから。
通常ならそんなことをしても間に合うはずがないが、強化歩兵の進軍速度は馬を超越する。
そして彼らは馬ではなく兵であるため、峻険な崖だろうが馬の通れぬ獣道であろうが難なく進むことができる。
更に言うのなら、その戦闘能力は強化兵装により大きく上昇しており、一般兵でも歴戦の戦士達に勝てるだけの強化がなされていた。
彼らは乱戦をして弓を使わせぬために皆が山刀を構え敵陣へと突っ込んでいき、暴れ回っている。
その数が三十と少数であれど、決して放置していていいものではなかった。
次々と舞い込んでくる報告に、トティラは頭を抱えたくなる。
前方のトッド、後方の反乱、そして右方からの伏兵。
これら全てに同時に対処するのは不可能であり、反乱と伏兵を排除しようとすればトッドへと圧が弱まり、彼が本陣へと辿り着いてしまう。
この現状は、明らかな詰みであった。
打つ手をなくした、というよりどう手を打っても現状を打開しようがないトティラは、大きくため息を吐く。
この戦の結果は、山の民にとって決していいものとはならないだろう。
今後平原の民はこちら側の領域に入り、山を堀り、森を開き、自然を破壊して街を作るだろう。
だが自分には、もうそれを止めるだけの手立てがない。
それならせめて、今居る山の民達が少しでも生き延びるように手を打つべきだ。
この戦の本質は平原の民対山の民だが、使われる兵はほとんどが山の民である。
「停戦命令を出せ。俺の首を差し出してやるから、これ以上犠牲を出すなと」
「…………ハッ、畏まりました」
今彼の周りに居るのは、皆トティラを慕い彼についてきたものばかりだった。
戦士達皆の好きな食べ物や抱いてきた女など、あらゆるものを諳んじることができるほど、トティラと親交が深かった者ばかりなのだ。
だからこそ彼らはトティラの思いを悟り、黙って命令を受け入れた。
中には堪えきれず、涙を流す者もいた。
草食みに屈することを悔しがり、地団駄を踏んでいる者もいた。
「負けたか……ここまであっさりと」
だがトティラはどこか爽やかな顔つきで、空を見上げていた。
その顔は山の民の今後の暗い未来へ対する憂いよりも、己が責任から解き放たれたという開放感の方が勝っているかのようだった――。
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