ただ婚姻届けを拾っただけなのに……
御厨カイト
ただ婚姻届けを拾っただけなのに……
あるバイト帰りの日、俺はある物を拾った。
「これは……婚姻届け……?」
道の真ん中で不自然に落ちているこの異質な存在を俺は思わず拾い上げる。
……何でこんなものが道に落ちているんだ?
というか片側だけめちゃくちゃ個人情報書いてある……
どう考えても道に落ちてちゃいけないやつだよね、これ。
そんな感じで俺は落とした人に対して呆れるのと同時にこの拾った婚姻届けをどうしようかと固まってしまう。
流石に個人情報が書いてあるのを捨てる訳にも……でも持って帰る訳にもいかないし……
「お兄さん、今私との婚姻届け拾いましたね?」
「えっ!?」
いきなり右耳の傍でそんな声が聞こえる。
思わず振り返るとそこには長髪の女性がニッコリと微笑みながら立っていた。
「あぁ、突然すいません。お兄さん、今私との婚姻届け拾いましたよね?」
「あっ……えっと、これ貴方の婚姻届けですか……?」
「えぇ、そうです」
「……そうですか。良かった落とした人が見つかって。拾ったもののどうしようかと思っていたので……ではお返ししますね」
「あっ、いや、返さなくていいですよ」
「えっ、で、でも……」
「だって今から使うんですから……ねっ、ダーリン?」
「……へっ?」
笑みを深めながら、スルリと腕を組んでくる彼女。
余りにも急なその行動に俺は反応が出来なかった。
「い、いやちょっと何するんですか。や、やめてください」
「そんなに嫌がらないでよ、ダーリン」
「そ、そのダーリンっていうのも一体何なんですか!全く意味が分からないです!」
「だって、さっき私との婚姻届けを拾ったでしょう?それって私とそう言う関係になりたいっていう事じゃないですか!」
「はぁ?な、何言っているんですか。俺はただ落ちてあるのを拾っただけで……」
「あぁん、もう恥ずかしいからってそんな照れ隠しみたいなこと言わなくて良いんですよ、ダーリン?」
……ヤバい、会話が出来ない。
同じ言語で喋っているのに『話』が出来ない事に俺は恐怖を感じる。
……クッソ、今すぐにでもここから逃げたいのに腕ががっちりホールドされていやがる!
「じゃあ、早速この婚姻届けに名前を書いて役所に出しに行きましょ?」
「え、あ、いや、俺ペン持ってないですし、そ、そもそも気が早いんじゃないかなと……まだお互いの事も全く知りませんし……」
「大丈夫、ペンならあるから貸してあげる。お互いの事なんてこれからの生活で知って行けば良いじゃない!それに『思い立ったが吉日』って言うし、せっかく運命の人を見つけたんだから早く『事実』にしないとね」
「……」
「あぁ、今からでも役所の職員さんに『おめでとうございます』と祝福してもらえるのが楽しみだわ!」
俺はペンを持ちながら、どうすればこの場から逃げれるか必死に頭の中で考える。
どうすれば……どうすればこの頭のおかしい女から逃げることが出来る……
「……あら、全然ペンが進んでないじゃないのダーリン。早く書いて早く一緒に役所に行きましょ?」
「で、でも……やっぱりこういうのおかしいと思うんですよ!たまたま道に落ちてる婚姻届けを拾っただけなのに本当に結婚するなんて、どう考えてもヤバいですよ……」
「うふふ、そんなに婚約した後の事を心配しなくても大丈夫よ?ちゃんと二人で住む部屋だって取ってあるし、何なら一軒家を建てる土地だってあるわ。あぁ、勿論建てる家の作りは二人で一緒に考えましょ?」
「いや、俺はそんな話はしていな――」
「それでお庭にはいつか出来る二人の子供用に砂場でしたり、手作りのブランコなんか置いちゃって」
「……」
「そして最期には老衰で一緒に同じ墓に入りましょうね、ダーリン?」
まるでこれ以上の幸せは無いかのようなとびっきりの笑顔でそう言う彼女。
俺はそんな彼女の『狂気』にゾクリと背筋が凍る。
流石にこれ以上は危険だ……
そう本能から感じた俺は「ええい、ままよ!」と全身の力を込めて腕を振りほどく。
そして、そのまま後ろを振り向かず一直線に走る、走る。
息が切れても関係無いくらい、俺は自分の家へと全速力で逃げていくのだった。
「あぁあ、また逃げられちゃっ…た」
ただ婚姻届けを拾っただけなのに…… 御厨カイト @mikuriya777
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