学年一位

見る子

学年一位


 

 ほんとうに学年一位なんて存在するのか?


 中間試験の結果を見下ろし、タケウチはわなわなと震える。総合得点998点、これでも学年一位になれなかった。


 くしゃりと順位が記載された用紙を握りこむ。今回こそはと、限界まで自分を追い込んだが結局また二位止まりだった。


「また一位じゃなかった?」


 前の席のミドリが振り返って茶化すようにニヤついている。


「あ……ありえない」


 頭を抱えるタケウチ。そんな打ちひしがれている本人をよそに、ミドリは断りもなく彼の結果票へ手を伸ばした。


「うわ、また二位。すごいじゃん」


 前回に続いて連続で二位。進学校でこの成績は自慢できることだ。


「そうだろう。998点だぞ? これで一位じゃないなんてこと、ありえるのか?」


 十科目でこの得点なら、一位でもおかしくない。


「まあ、一位の人が999点か満点だったってことじゃない?」


 理屈は簡単である。


「けど間違った問題なんてないんだぞ」


 減点された二点は英Ⅱの長文の解釈がマルではなくサンカクだったためだ。


「一位の人は全問正解だったかもね」


「嘘だろ」


 タケウチは絶望し、机に突っ伏した。


 昔から成績優秀なタケウチだったが、それでもこの学校では一位を取れたことがない。しかし常に十位以内には入ってきたし、最近では努力の甲斐あってか二位につけることが多くなった。つまり悲願まで、あと一歩のところなのだ。


「十分じゃん、二位でも」


「よくない。一位になるって約束したろ」


 そう心に決めて一年が経つが、現実はなかなかにきびしい。


「ああ、あの約束……」


 思い返してミドリは顔をしかめた。


「一位になったらなにさせる気よ?」


「それは言えない」


 トップが取れず落ち込んでいたタケウチに思わずした口約束だった。


 なにか一つ言うことを聞いてあげる。最初は軽い冗談のつもりで口にしたが、タケウチがここまで本気だと今さら約束を反故にするのも気がひける。


「いいから教えなさいよ」


 身体をゆすって聞きだそうとする。


「うるさいな。言わない」


 そんな頑な態度にジワリと不安が胸の奥で滲んだ。


「ふうん。まあべつにいいけど」


 どれだけ尋ねても教えてはくれないだろう。長い付き合いからかそれがわかる。諦めて前を向くと、その背中にボソリと声が投げかけられる。


「なあ、ホントに学年一位なんていると思うか?」


 試験結果に騒ぐ教室内で、その声はミドリにだけ届いた。


「そりゃあいるでしょ?」


 学年223人のなかの誰かが一位なのだ。


「でも誰かが一位とった話なんて聞いたことないぞ」


 それこそ中学ではタケウチが一番だったとみんな知っていた。しかし高校では、そんな話を耳にしたことがない。


「あたしもないなあ」


「妙だと思わないか?」


「いや、べつにィ」


 首を傾げるミドリ。悪目立ちしたくない人間だっているだろう。


「もしかして何かの陰謀じゃないか?」


「はいはい」


 軽くあしらうミドリ。


 しかしタケウチは本気だった。正直、自分より学力のある人間が同じ学年の中にいるとは思えなかった。とくに今回の試験は会心の出来で自信もあった。実際総合得点も十分一番を取れる点数だったはずだ。それでも一位じゃないのだから、疑いたくもなる。


「たとえ満点でも一位になれないんだよ」


 またタケウチが妄想を語りだし、ミドリは瞳を細めた。


「そんなわけないでしょ」


「いや、例えば裏口入学で入った奴が成績を金で買っているとか。開発中のAIが実験で試験に参加してるとかさ」


 たしかに人間、信じたくないことにはあらぬ妄想が働くものだ。


「馬鹿じゃないの」


「くっそ誰なんだよ」


 タケウチは天を仰いだ。


「というか、たぶんこのクラスの誰かでしょ」


 ミドリがそっけなく告げるとタケウチは目をむいて身を乗り出してくる。予想外の喰いつきにミドリはビクリと身体をのけぞらした。


「い、いや……だって特進クラスでしょここ」


「そういやそうだった……」


 タケウチは眼を血走らせて、クラスメイトを見渡した。学年でも成績優秀な生徒たちが集められたクラスなのだ。ならば、このなかにいる可能性が高い。


「いま気づいたの」


「どいつなんだあ」


 まったく勉強できるクセにこういうことには頭が回らないのは昔からだ。


「なあミドリ、探しだすの協力してくれ」


「はあ?」


 そう告げられ、ミドリは顔をしかめた。



 誰もいない教室へ二人して足を忍ばせる。


 体育の授業を二人してサボったのだ。先ほど配られた試験の結果票を家へ持ち帰られる前に、調べてしまおうという算段だ。自分の目で確認するチャンスは今日しかない。


「見つかったらシャレにならなくない?」


 声をひそませるミドリ。


「べつになにか盗むわけじゃないから大丈夫だ」


 根拠もなく言い切るタケウチ。不安に思うべきか安心するべきか複雑だ。


「やっぱり白井が怪しいと思うんだ」


「なんでそう思うのよ」


 たしかに優等生だが、ガリ勉タイプの女性には見えない。


「だって白井は学年でいちばん美人だろう? スポーツ万能で家も金持ち。さらに生徒会長もやってるんだぜ」


 ミドリは呆れた顔で見返す。


「だからなに」


「漫画だとそういう奴が学年トップだろ」


「あのねえ、漫画と現実は違うの」


 しっかりフィクションだと記載されているだろうに、真に受けてどうする。ミドリは頭痛からか額に手を当てる。現実とフィクションは違うのだ。


 たしかに彼女は美人で、文武両道なうえに金持ちだ。しかし美人とはいえアイドルほどじゃないし、スポーツだってせいぜいが体育の授業での話だ。住んでいる家だって別にお屋敷に住んでるわけじゃないだろう。


 それに生徒会長と試験の順位は関係ない。


「でも絶対そうじゃないとも言い切れないだろう?」


 そう念を押されると、断言はできない。


「そりゃあ絶対じゃないけど……」


 それを言いだしたら、学年全員そうだろう。


「えっと白井の机はここだな」


 躊躇なく机をあさろうとする。


「ちょちょ、ちょっと待って」


「なんだよ?」


「はあ、せめて私が探すから」


 さすがに女子の机を男子が荒らすのは憚られると思ったのだ。すでにいろいろ手遅れかもしれないが。


 整理整頓されているおかげで、すぐに目当てのものは見つかった。


「あった」


「見せろよ」


 二人して結果票を覗き込むが、望んでいた順位ではなかった。


「じゃあ次」


 男子と女子で手分けしてクラス中の順位を盗み見する。しかし探していた学年一位は結局見つけることができなかった。学年の優等生たちが集められた特進クラスのなかに一番がいないということになる。


 諦めきれないタケウチと担任へ尋ねてみたが、もちろん教えてもらうことはできなかった。順位を貼り出している学校もあるのに、言えないなんておかしい。そう愚痴りながらタケウチは疑念を強くし、ますます陰謀論を信じ込んだようだった。


「な? やっぱりいないだよ」


 確信めいた口調で告げられると、本当にそんな気がしてきて怖かった。

 


 家に帰ると、ミドリはそそくさと二階へあがろうとする。


「ちょっと、こっちへ来なさい」


 リビングから母親に声を掛けられると、ため息がもれた。しかたがないので途中だった階段を引き返してリビングへ顔をだす。


「試験の結果、返ってきたんでしょ?」


 タンタンと母親がテーブルをノックする。諦めてしぶしぶ鞄から結果票を取り出して渡した。


 まいど言われる小言を受け流し、やっと自分の部屋へと帰ってくる。机に腰かけ、なにげなく試験の結果票を眺める。印字された数字を見つめてもなにも変わりはしない。


 ふと思い立ち、パソコンを起動させる。


 少し前から、タケウチが一位にこだわっていることが不安だった。いつか本当に一位をとってしまうんじゃないかと、怖かったのだ。また考え出すと不安に拍車がかかり、逃げるようにパソコンの画面へ没頭してゆく。


 いつのまにか時間が過ぎていたのか、階下から風呂へ入れと声が掛かる。しかし今はそれどころではない。父親が先に入ると脅されるが、手が離せなかった。今日は湯船に入らず、シャワーで済ますことにする。


 時計を見ると、もう八時を過ぎていた。


 ようやく一段落がつきパソコンを閉じると、スマホを取りだす。

そして悩んだ末、タケウチに電話をかけた。


「もしもし」


 すぐにスピーカーの向こうから彼氏の声が聞こえてきた。


「あのさ……どうしても知りたい? 誰が一番だったか」


 ミドリが尋ねると、数秒の間があったがタケウチはしっかりと答える。


「そりゃあそうだろう」


「そっか、ならコンビニに集合」


 それだけ伝えて電話を切り、ふうと息を吐いて天井を見上げた。パーカーを羽織って、階段を降りてゆく。母親にどこに行くのか尋ねられるが、適当に誤魔化した。

心地よい夜風に吹かれてコンビニへ着くと、すでに入口前でタケウチが待っていた。


「おう」


「うん」


 いつもの二人のやりとり。


「で、誰かわかったのか?」


 いきなり本題へ切り込まれるが、まずは話をそらした。


「ねえ、アイス食べよ?」


「お、いいねえ」


 二人してアイスを選ぶ。タケウチは甘いものが好きじゃないけど、ミドリが食べたい時に付き合ってくれる。ミドリはシャーベット状の棒アイス、タケウチはバニラのカップをそれぞれ選んだ。


「神社いくか?」


「うん」


 二人してアイスを片手に手をつなぐ。冷たさと温もりを同時に両手で感じる。ただそれだけのことが、ミドリには幸せの切れ端のように思えた。


 神社へ着くと並んで腰かけ、買ってきたアイスの封を開ける。今夜は晴れていて、星がよく見えた。


「なんか最近、映画みた?」


「いや見てない。漫画くらい」


 少しだけ中身のない会話をし、アイスはすぐに食べ終わる。


「……」


 タケウチが口を閉ざすと、ミドリはついに観念をした。


「はい、これ」


 パーカーのポケットから結果票を取り出し、人差し指と中指ではさんで渡す。


「暗くて見えねえ」


「もう」


 スマホのライトで照らしてやると、そこには順位の欄に1とだけ記載されていた。タケウチが名前を確認すると、それはミドリの物で間違いがない。


「お前、これ」


「絶対、誰にも言わないでよ」


 念を押すように告げる。


「ああ、うん。それはわかっている」


 タケウチは困惑しているのか、なにをどう言えばいいのかわからないようだった。


 ミドリは微かに甘味が残っている木棒を口で転がした。


「ずっとお前が一番だったのか?」


 夜の神社に、タケウチの声が溶けて消える。


「……ノーコメント」


 ヘタなことは何も言わないほうがいい。


「そっか」


 納得したのかタケウチはそれだけ口にした。


「私が一番なんだから、なんでも一つ言うこと聞いてよ」


 そんな約束は二人の間にない。いま初めてミドリがそう言い出したのだ。


「まあ、俺にできることなら……」


 タケウチは疑問に頭をひねりながらそう答えた。


「簡単なことだよ」


 ミドリとしては、すごく勇気のいる言葉。


「私と別れないこと」


 タケウチのほうを見る勇気がなく、意味もなく神社の境内に視線をやる。


「は? どゆこと?」


 タケウチとしてはまったく意味がわからなかった。


「だから私と別れないで」


 そく繰り返された言葉にタケウチは腕を組んで、さらに頭をひねる。


「そんなつもりないけど」


「うそ。私のことそんなに好きじゃないでしょ」


「どうしてそう思う?」


「わかるよ。それくらい」


 付き合いが長く、年頃になってお互い相手もいなかったから交際を始めてみたが、ミドリにとってタケウチはかけがえのない存在となっていた。


「うーん。言われてみると、そうかも……」


 タケウチにとって好きは好きだが、彼女に対する気持ちは付き合う前とあまり変わってはいない。単純に恋人という実感がなかった。


 しかしその言葉は、ミドリに涙を滲ませる。


「ほらっ、もう別れたいでしょ!」


 だから学年一位を取ったお願いに、別れを告げる気だったのだ。ミドリが想っているほど、タケウチが自分のことを好きじゃないことは薄々気づいていた。


「勉強勉強って最近ぜんぜんだったじゃん!」


 悔しくてタケウチに掴みかかるが、体格差のせいかうまくいかない。


「こら、あばれるなって!」


「なによ! ホントのこと言いなさいよ! 誰か別のコが好きになったの? それとも初めから私なんて好きじゃなかったの?」


 腕力の違いからか、すぐに両手を封じられてしまう。


「ホントってなんのホントのことだよっ?」


「だからっ! 一番になりたかった理由よ!」


「そっちかよ」


 息を切らせて、お互いににらみ合う。


「言っても、ひかない?」


「やっぱり言えないんだ……」


 いざ知るとなると、やっぱり怖くなってくる。


「別れるつもりなんでしょ?」


 隠しきれないほど涙が溢れてくる。人前で泣くなんて嫌だったが、どうしようもない。


「そういう系じゃないから」


「どういう系よ?」


 なにやらモジモジするタケウチ。気色悪いが、すこし可愛くもある。


「いやその……エッチなことお願いしようかなあ、なんて」


「は?」


 嫌な想像は頭の中で出し尽くしたと思っていたが、これは思いもよらなかった。


「いや付き合ってそこそこ経つし、周りも経験していってるし。興味あるというかなんというか」


 言い訳がましくタケウチは言葉を並べる。


「つまり私とエッチしたかったってこと?」


「いやまて! 直接そういう行為を要求しているわけじゃなくてだな。もっと恋人として次のステップに進んでいい時期に来てるんじゃないかなって最近考えるようになっててそれでミドリはどうなんだろうとか思っててそのきっかけになるかなって」


 早口で一生懸命にまくし立てる。


 それを聞いていると、ミドリは笑いが込み上げてきた。声を出して笑うと、ほっとした自分がいるのを実感する。


「あんた馬鹿。そんでサイテー」


 涙をこぼしながら、星空の下でミドリはそう笑った。



 閑話休題


 翌日、真相はあっさりと転がってきた。


「あ、そういえばわかったよ」


 ミドリが顔をあげると、同じクラスの女友達がしゃべり続ける。


「中間でいちばんだった人。例の転校生だって」


 二人であれだけ探ってもわからなかったことが、女子のネットワークに簡単に引っかかった。真相はなんてことはない。ただ他のクラスに新しく入った転校生だったようだ。


「たぶん来年は、特進に入ってくるでしょうね」


「ふーん」


 ミドリが気のない返事を返すと、女友達は眉をひそめる。


「あんた知りたがってたじゃない」


「まあ、いろいろあって」


 もちろんミドリが学年一位のはずがない。


 結果票を眺めているうちに、パソコンで同じようなものが模倣できるかなと思い至っただけだ。わけあって少しパソコンをさわれるミドリが手間を掛ければ、すぐに同じものが出来上がった。半分冗談のつもりだったが、タケウチは偽物だと疑いもしなかった。


 そのせいであんな醜態をさらしてしまった。


「ねえ、その転校生が一番だってもう広まってるの?」


「クラスでは有名みたいよ」


 聞いてきたということはある程度知っている人間がいるということだ。すぐにタケウチにミドリの嘘はバレるだろう。


「既成事実ってさあ……」


 馬鹿なことをミドリは語り始めた。


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