アオハルという名のミステリー

えーきち

アオハルという名のミステリー

 年に一度の特別な日。

 事件は芦屋中ミステリー研究部――ミス研の部室で起きてしまった。

「あれ? 私の……私の青ミスがないっ!」

 机から半分飛び出た邪魔な本を引きずり出して、真弓まゆみちゃんが机の中をのぞき込む。真弓ちゃんのひとつに縛った長い髪が大きく揺れる。

 探しているのは青ミス――『青春という名のミステリー』というタイトルの小説だ。

 まったく有名じゃない青春ミステリー小説だけど、真弓ちゃんが小学四年生の誕生日に買ってもらった大のお気に入りで、ミステリー好きの僕と彼女が仲よくなったきっかけの本でもあった。

 謎解きもいいんだけど、主人公が隠した革製のブレスレットを見つけたヒロインがラストに愛の告白をするアオハル展開……それがこれまた最高なんだ。

「え、ミス研ってものがなくなるほど人の出入りが激しかったっけ?」

 真弓ちゃんの隣の席で和也かずやが眉をひそめる。

 ユウレイ部員のクセに、なんでこんな日に限ってこいつは部室にいるんだ。

 真弓ちゃんを待っていたのに、和也までついて来るなんて聞いていない。

「先輩たちどころか顧問の内藤ないとう先生だって滅多に来ないよ」

 真弓ちゃんの言う通り、毎日足繁く部室に通っているのは僕と彼女のふたりだけだった。

 いつも僕たちのどっちかがカギを開けて、帰りはふたりで戸締まりを確認してカギを職員室へ返す。ただ、先生や生徒ならば誰だってカギを入手するのは可能だ。

「でも、なんでこんな本が入っていたんだろう……」

 さっき真弓ちゃんが机から出した本。それは『愛Loveイースター島』というタイトルの大きな写真集だった。

 デカデカとモアイ像が印刷された表紙をめくると一枚の小さな紙が挟んであった。

 それは犯人からのメッセージだった。

 ご丁寧にプリントアウトした紙を切っているから筆跡はわからない。

、か。いったい誰がこんなことを……」

 和也が紙を読み上げ、真弓ちゃんをチラリと見る。

 彼女にアピールしようって魂胆がスケスケだ。

 セオリー通りだと、第一発見者が犯人だ。けど、真弓ちゃんに自作自演をする理由はない。ならば、いつもはいるはずのない和也がここにいるのが一番怪しい。

 と言っても、真弓ちゃん目当てでミス研に入部したようなヤツだ。たいしてミステリー好きでもない和也が謎解き問題なんて作れるはずがない。

 犯人は三度の飯よりもミステリー好きだ。

 イースター島の写真集、南三陸とくれば……僕は部室奥の本棚を見る。

 そこにはたくさんのミステリー小説や関連本、他には一番上の棚を丸々占拠して大小様々な置物や人形が何十体も置かれていた。

 それらは全部、内藤先生が買ってきたものだ。サケをくわえた木彫りの熊や尻尾を大きく右に振った躍動感ある闘牛のブロンズ像、ミニ信楽焼の狸や招き猫、海外製の宗教像やぬいぐるみ、あとアニメのフィギュアやねんどろいどまである。

 まるで節操がない。部に顔を出さないクセに、完全に本棚を私物化している。

 でも、おこづかいの少ない中学一年生の僕としては、本だけは役立っている。部室にくればいつでも読めるし、真弓ちゃんとのミステリー話のネタに事欠かないから。

 和也が本棚を見ながら首を傾げる。

「真弓ちゃん、南三陸ってなんだろう? イースター島にそんなモアイ像があるの?」

 あるワケがない。的はずれにもほどがある。

「ど~れ~の~こ~と~か~な~」

 本棚にモアイ像は七体。和也が本棚の前で、右端からモアイ像を指さしていく。

 和也はその内の一体に手を伸ばした。

「動かしちゃダメッ!」

 口元を押さえて写真集を見ていた真弓ちゃんが大きな声を上げた。

 ビクンと肩を弾ませた和也は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに振り向く。

 物憂げに席を立ち、真弓ちゃんは和也の隣で自分の背よりも少し高いところにある置物を見上げる。すると、なにを思ったのか不意に本棚に背を向けた。

 そのままコクリと一回頷くと、部室奥の先生の机に歩いて行く。

 先生の机には平積みされた本が六冊とノートパソコン、あとは筆記用具が無造作に散らばっていた。

「なんで先生の机?」

 和也は目を瞬かせて頭にクエスチョンマークを飛ばす。

 真弓ちゃんは舐めるように先生の机を見回しながら言った。

「南三陸にもモアイ像があるの。イースター島から正式に贈られた、世界にふたつしかない目玉があるモアイ像がね。本棚にもあるでしよ?」

 ある。一体だけ。先生が南三陸町に行った時のお土産だ。

「で、そのモアイ像が向いていたのが先生の机。あ、これかな? あった!」

 真弓ちゃんがノートパソコンを開くと、ディスプレイの上に飛び出すように紙切れが貼りつけられて……おい、和也、ちょっと待て。そんなに真弓ちゃんに近づく必要がどこにある? 肩、肩をくっつけるんじゃない。顔を寄せるな。近い、近いっ!

 ガタンッ!

 イスを倒す勢いで立ち上がってしまった僕を、ふたりがゆっくりと振り返る。

 僕はきつく握りしめていた拳を緩めて大きく一回深呼吸すると、自然に、とっても自然にイスに座り直した。

「なんだ、いたのかしのぶ」

 さっきからずっといましたけど? 知っていたよね? 和也おまえ、部室に入ってくる時に僕と目が合ったよね? 僕を見て舌打ちしたよね?

 ハッキリ言わせてもらうけど、和也の方が邪魔者だから。

 いつもなら部室に来てすぐ、真弓ちゃんとミステリー談義をしたり謎解き問題を出し合ったりしているところなんだ。この時間だけが学校で唯一の楽しみなのに。僕の心のオアシスを返せ。

 真弓ちゃんが僕の目を見つめてくる。ジッと、上目づかいで。

 思わず目を伏せる。ドキドキする。胸が苦しい。顔がアツい。

「しのぶくんも一緒に考えてよ」

 想定外の真弓ちゃんの言葉にビックリして視線を上げる。

 真弓ちゃんはパソコンのディスプレイを指さしながら、かわいい顔をゆがめてニタリと笑っていた。




 ディスプレイに貼られた紙には、横書きで三行の文字が並んでいた。

 一番下の行は、上の二行から少し間があいていた。


『とにかちみらこなみてら

 となもちくらしいとにすちこいすら


 22aw./eARERBt1m?』


「これは暗号だね」

「そんなの見りゃわかるだろ?」

 うるさいな、和也は。文句を言うならこの暗号を解いてみろって言うんだ。

 なにその勝ち誇った顔は。イーッてなる。

 真弓ちゃんを真ん中に、三人並んで紙を見つめる。

 これもプリントアウトされている。わざわざこんな紙を用意しているなんて、計画的に今日この日を狙った犯行だ。しかも、真弓ちゃんの大切な本が机の中に置きっぱなしになっていることを知っている人……となると、犯人はごく身近な人に絞られる。

「これって、昔からよくあるあぶり出しじゃないか? 火なら化学室に行けば……」

「ど、どこにそんなヒントが書いてあるんだよっ!」

 はぁ、はぁ、はぁ……あやうく大切な暗号が消し炭にされるところだった。

 和也よ、少しは頭を使って考えてくれ。

「チッ、オレの推理を頭ごなしに否定しやがって……ねえ、真弓ちゃん?」

 和也が真弓ちゃんの肩にこっそり手を回す。それを寸前ではたき落とし、僕は和也をギロリと睨みつけた。

 まったく油断も隙もありゃしない。

 ほら、ほらほらっ! だから、くっつくなって!

「じゃあ、水に濡らすとか……」

小泉こいずみくん、ちょっと静かにしてくれる?」

 やーい、やーい、怒られてやんの。真弓ちゃんは小学校の頃からハッキリものを言う子だったんだ。アマく見ていると痛い目を見るからな。かわいいだけじゃなく、僕よりもずっと格好いい女子なんだぞ……ちょっと胸が痛いや。

 僕だって勇気を出せば……出せれば……

「しのぶくんはこの暗号どう思う?」

「ひゃい?」

 急に振られて声が裏返った。格好悪い。でも、真弓ちゃんはそんなことも気にしない様子で、コテンと首を傾け僕の顔を見上げてきた。か、かわいい。

「えっと、机の中でもなく、積んである本の間でもなく、パソコンに貼ってあったのがヒントじゃないかな? わざわざ誘導しているんだから」

 真弓ちゃんの机から本棚、本棚から先生の机、そしてパソコン。この流れでパソコンがヒントじゃなきゃ真弓ちゃんはきっと怒り出す。納得がいかない推理小説をネタに何週間もグチにつき合わされたことがあるから。

「そうかっ! じゃあ、パソコンを立ち上げてみれば……」

「無理だね。僕も真弓ちゃんもパソコンのパスワードまでは知らない。触るのも禁止されているんだから、今だって怒られないギリギリだよ。あと、気安く真弓ちゃんの肩に手を置くなよ」

「えっ?」

 真弓ちゃんが目を丸くして僕を振り返った。

 しまった、つい声に出してしまった。これじゃまるで、僕がヤキモチ焼いているみたいじゃないか。

「そ、そうだっ! キーボード……キーボードだっ!」

 我ながらわざとらしすぎる。こんなことでごまかせるなんて思えな……

「やっぱり? 私もそうじゃないかって思ってたんだ!」

 ご、ごまかせた!?

 ホッとしたような、ガッカリしたような。

「なんのことなのかさっぱりわからないんだけど。オレにもわかるように説明してよ真弓ちゃん」

 ミス研部員の風上にも置けないヤツめ。風下に置いてやる。第一、そんなことで真弓ちゃんを名指しするんじゃない……よしっ、今度は声に出てないな。

「えっとね……」

「パソコンに暗号が貼ってあったんだから、キーボードで暗号の文字を打ってみればいいんだよ」

 わざわざ真弓ちゃんが教える必要なんてない。

「しのぶの説明じゃまったくわからないからやっぱり真弓ちゃんに……」

「……わかった、もっとわかりやすく解説しよう!」

 なんで僕がここまでやらないといけないんだ。でも背に腹は代えられない。真弓ちゃんにちょっかいをかけられるくらいなら、これも仕方がない。

「えっと……」

 机に転がっているいくつもの筆記用具の上で指先をクルリと回す。あった、シャーペン。あと、メモを一枚破って。

「まず、この暗号のひらがなをキーボードから探す。『と』が『S』で『に』が『I』……で上の二行をアルファベットに直すと『SITANOBUNWOSUMAHODESIRABERO』になるだろ? みかか変換ってヤツだ」

 真弓ちゃんと和也をチラリチラリと見ながら、メモ帳にアルファベットを書く。

 真弓ちゃんは僕が全部書き終える前に自分のスマホを出していた。さすが。

 アルファベットをローマ字読みすると、『下の文をスマホで調べろ』になるんだ。

 和也が遅れてスマホをポケットから出し『22aw./eARERBt1m?』を検索する。

「うん? 検索に引っかからないぞ?」

 当たり前だ。そうじゃない。

 和也が真弓ちゃんの手元に視線を落とす。

「あー、そうか。アルファベットのフリックが文字に対応しているのか。『ここから、うしがにしむきゃおは?』だから……ここから、牛が西向きゃ尾は……東だ!」

 和也が誰よりも早く先生の机から一番東側の机をのぞき込む。

「あった! 見つけたよ真弓ちゃん! これだろ?」

 和也が青ミスを大きくかかげて飛び跳ねる。

 青ミスに挟んである金属製の栞は、間違いなく真弓ちゃんのだ。

 こら、真弓ちゃんの本なんだからもっと丁重に扱え!

 ちょっ、ただ渡せばいいだけだろ? なんで手を握ってるんだよ!

「オレのおかげで本も見つかったし、一件落着。そろそろ帰ろうか」

 誰のおかげだって? 僕の計画が、大切な今日という日が、和也のおかげでメチャクチャになったというのに。覚えてろよ。末代まで呪ってやるからな。

 真弓ちゃんは大切な本が見つかったと言うのに喜ぶ様子もなく、相変わらず口元に手を当てたままジッと本棚を見つめていた。そして、ハッと我に返り僕らの方を振り向いた。

「あ、うん、カギは私が返しておくから昇降口で待ってて」

 僕たち三人はしっかり戸締まりをしてミス研の部室をあとにした。




 いつものように真弓ちゃんと帰途につく。

 邪魔だ。和也が本当に邪魔者だ。帰り道までついてくるなんて、図々しいにもほどがある。他の日ならともかく、今日だけは絶対になしだ。

「結局、犯人は誰だったんだ? 本を隠した理由もわからないままだし」

 腕を組み、和也が眉間にシワを寄せる。

 そんなこと和也にわかるわけがない。

 かのシャーロックホームズ大先生も言っているじゃないか。『すべての不可能を除いて最後に残ったものがどれだけ奇妙なことであっても真実だ』って。

 つまり、そういうことだ。

「じゃあ、オレ、こっちだから。真弓ちゃん、またねー!」

 コンビニの角で、真弓ちゃんにだけ手を振る和也。あからさまだ。早く立ち去れ邪魔者めが!

 和也に手を振る真弓ちゃんの細く真っ白な左手首に、さっきまではなかった革製の赤いオシャレなブレスレットがチラリと見えた。

 僕の胸が大きく跳ねる。

「ど、どこで、それを?」

 真弓ちゃんが意味ありげにフフッと笑った。ブレスレットを大切そうに撫でながら。

「机に闘牛の置物を置いてみたの。って書いてあったから。牛が西向きゃ尾は……置物は尻尾を右に振っていた。だから、北側の机を探してみたら、ね」

 得意げなその顔までかわいい。

「あんなに単純な謎にするはずない。ずっとそう思ってたんだよ。ね、犯人さん?」

「なっ!?」

 僕は破裂しそうな胸を片手で押さえ、ゴクリと大きく息を飲み込んだ。

「……いつわかったの?」

「部室に入ってすぐ、かな。いかにも怪しい本が机から出ていたのに、まったくそのことに触れてこないなんておかしいもん。毎日ミステリーの話ばかりしているのに」

「それは……和也と一緒に来たから話しかけづらかった、とか考えられない?」

「最初はそうなのかなって思ったけど、私の大切な本がなくなったのに知らんぷりだなんて、私のことなんてどうでもいいか事件に興味がないか、もしくは犯人かでしょ?」

 とんでもない三択だ。

「しのぶくんが事件に興味がないなんて絶対にあり得ないし、じゃあ私のことなんてどうでもよかった?」

 僕の目の奥をジッとのぞき込んで、真弓ちゃんは悪戯っぽく笑った。

 そんなの言えっこない。答えた時点で愛の告白だ。

 真弓ちゃんは最初っからわかっていたんだ。

 敵わない。さすがミステリー好きな真弓ちゃんだ。

「ありがとう。こんなに素敵な誕生日プレゼントがもらえるなんて。本当に青ミスみたい!」

 もともとは真弓ちゃんの誕生日にかこつけた粋な推理ゲームのつもりだった。それなのに、一緒に和也が来たせいで事件が起きてしまった。事件になってしまった。

 でも、全部バラして和也の前で真弓ちゃんに誕生日プレゼントをあげる、なんて僕にはできなかった。今日の計画が僕の精いっぱいの勇気だったんだ。

 とってもうれしそうに左手首を空にかざす真弓ちゃんを見ていると、自然と顔がニヤけてくる。よかった、よろこんでくれて。結果オーライだ。

「OYADIKUSIAD」

「え、ちょっ、なに? 真弓ちゃん今なんて?」

 突然でよく聞こえなかった。

 真弓ちゃんは真っ赤な顔ではにかむと、髪とスカートを大きく揺らし走って行ってしまった。


 ― fin ―

 


 

 

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