1-4

 白い壁紙が張り巡らされ、清潔感ばかりを演出する無機質なフロア。

印刷物を日に何百枚も吐き出す大きめのコピー機が、電子音を規則的に響かせる。

デスクに腰を落ち着ける私の背後を、何人もの人々が行きかう騒音。

隣のデスクから、やたらとバカでかい声で繰り返される電話の応答。

そんな日常。


「原瀬さん。この間頼んでいたあれなんだけど……」


 困ったように眉を下げながら、私のデスクへと足を運ぶのは同僚の鈴木さん。

間髪おかずに私は彼女へ返答する。


「さっき鈴木さん宛てにメールで送りました。確認お願いします」


 すると彼女は、困った眉をもっと下げ、さらに困惑した表情を浮かべた。


「えっ、そうなの? わたしのメールフォルダに入っていなかったんだけど……」

「ええっ? でも確かに鈴木さんの……」

「おい、原瀬」


 お互いに困った困ったと不毛な言葉を交わしていると、間に入る男性の声。

最近白髪がお悩みの、これまた鈴木姓を持つ上司、鈴木部長が呆れた顔で立っていた。


「あ、部長。お疲れ様です」

「お疲れ。原瀬、お前鈴木さん宛てのメール、俺んとこに来てたぞ」

「えっ!」


 思いもよらない行き先に、まずはそれが本当のことなのかを確認するため、私はメールの送信履歴を開く。


「ちょ、ちょっと待ってください……。ほんとだ」

「今度からちゃんと宛先を確認してから送るように」

「はい、すいませんでした……」


 しゅんとして謝る。

我が社で使用している社内メールのアドレスは、名字のアルファベットに、プラス名前のイニシャルを付け足し、その後にアットマークと続くメールアドレスを採用しているため、このような勘違いが起こりやすい。


 とはいえ、宛名とメールアドレスを二重チェックすれば防げるミスであるため、確認を怠った私が悪いと反省をする。


 落ち込む姿を見せる私に、同僚の鈴木さんは肩をすくめて小さく笑った。

目線でアイコンタクトをし、お互いに苦笑いを交わしていると、鈴木部長が思い出したように口を開く。


「ああ、それから別件だが、原瀬」

「はい」

「総務から呼び出しがあったぞ」

「総務から……?」


 お前何をやらかしたんだ。

そう言いたげな鈴木部長の視線を受けながら、ここ最近の仕事ぶりを思い出す。

思い返しても、人並みな失敗は有れど、会社を上げて叱責されるような失敗はしてはいないと思う。


 首を傾げながら歩む廊下。

気が付けば総務部の部屋は目前に迫っていた。


「失礼します、原瀬です」


 ノックの後、しばらく空く間。

室内から入室を促す声がした。

 再び失礼します、と言いながら扉をくぐると、どこか難しい顔をした総務部長が座っていた。


「原瀬さん、忙しいところ申し訳ないですね」

「いえ。あの、私はなんで呼ばれたんですか?」


 書類の印鑑などをもらうため、また、雑務その他諸々の手続きなどを行うために総務部に来たことは幾度もあるが、呼び出されたのは今回が初めてで、緊張と焦燥感でそわそわしてしまう。

 悪い話だろうが、いい話だろうが、早いところ決着を付けてほしくて、総務部長に結論を急かす。

 彼は机の中から、白色の封筒を取り出した。


 それはA4サイズの大きな封筒で、会社の近所にある病院の名前が印字されている。

見覚えのある名前なのは、つい先月に、社員全員の健康診断をお願いした病院だからだろう。

 総務部長はその封筒を私に手渡し、難しい顔のまま、どう切り出すべきか考えあぐねているように見える。

本題を中々切り出されず、私の喉は生唾を飲み込む。


「……総務部長、これは?」

「……この間の、健康診断の結果です」

「健康診断の結果を手渡すために呼ばれたのですか? あの、どこか悪いところでもあったのですか? ……癌、とか」


 ただ健康診断の結果を手渡すだけのために呼び出されたとは到底思えず、困惑したその勢いのまま、彼を問い詰めてしまう。

 不安から早口になってしまった私を手で制し、彼は重い口をとうとう開いた。


「……その封筒の中にも同じものが入っていると思いますが、それと一緒に会社の方にもこの通知が届きました」


 それはたった一枚の薄っぺらい紙。

白色の他に色が付いているわけでもなく、金箔が押されているわけでもなく、立派な厚紙に印字されているわけでもない、安っぽいお知らせの紙。

 その安っぽいだけのコピー紙に、やたらと立派な組織名が印字され、その下に私の名前が、様付けで書かれている。

それは名前だけ雑な手書きで、名前以外はテンプレートでデータが残っているのだろうと窺える仕事ぶり。


「……国の上にいる組織って、たかだか一般市民に対しては、随分雑な仕事をするんですね」


 私の声は震えていた。

怒りだろうか。失望だろうか。それとも恐怖? 分からない。それ以外の感情なのかどうかすらも分からない。

 手の先まで細かく震えだす私を、総務部長は痛ましそうな目で見ている。

しかし、それを告げることも仕事の内なのだろう。

彼は私に、まるで処刑を告げるにも等しい通告を告げた。


「……原瀬真希奈はらせまきなさん。貴女に、X細胞が発現したと、お知らせが届きました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マキナ 宇波 @hjcc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ