第9話 兄(2)

 契約社員の兄は、平日が休みで正月は元日と2日が休みであったが、私が帰省するのは正月の3日以降であったため、顔を合わすことはなかった。電話番号も知らないから話すこともなかった。

 ある年、帰省すると、40歳になろうとする兄の部屋には競走馬のゼッケンが飾ってあり、競馬新聞、競馬四季報と漫画の週刊誌が山のように積んであった。母によると兄は最近競馬に嵌っていて、小遣い稼ぎをしているとのことであった。ゼッケンはオークションで買ったそうだ。

 それにフォークリフトの免許を取ったから給料も少しは良くなり、それで競馬を始めたようだ。それでも契約社員だから賞与は無いか、あっても少ないはずだし、お金が余れば貯金すればいいのに、兄にその考えは無いらしい。

 その頃、祖母が老衰で他界した。実家に駆け付けた時に久しぶりに兄を見た。見た目は年相応か少し若い感じである。兄とは「よー」と挨拶した程度で、話しも続かなかった。


 それから2、3年が経ち、長女の方の妹夫婦が夫の仕事の関係で、実家で暮らすことになった。実家も老朽化したから、妹夫婦がローンを組んで立て替えて、両親の面倒を見ることになった。

 問題は実家の一室の6畳間を占領する兄である。

 妹が家を建て替えるとことを話せば、兄はもうすぐ実家を出て行こうと思っていたとのことだ。妹によると、兄に彼女が出来て、休みの日は彼女のアパートに入り浸りだそうで、職場と彼女のアパートは近く、家賃を半分出すから一緒に住んでもいいかと聞けば、全然構わないと言われたらしく、必要な部屋の荷物を持って行くから、残ったものは処分してくれとのことであった。

 40歳にもなろうとする非正規雇用で、趣味が競馬と漫画の男、しかも過去に弟の保険証使って借金をする男、そのおかげで弟を住宅ローンの審査に落とした男、信用金庫勤めのOLの将来を棒に振った男、こんな男にまた彼女が出来るとは。確かに兄の見た目はブ男ではない。が、カッコよくもない。その女は男を見る目が無いお気の毒な女か、余程の物好きだなと思った。

 実家に帰った際に、母に詳しく聞けば、彼女は一度家に来た事があるそうで、兄より2歳年上で離婚歴があるが、子供は居ないそうだ。お互い、いい大人なんだから、とやかく言う筋合いのものでもないだろう。


 兄が40代半ばになった頃から、両親の体調が思わしくなく、入退院を繰り返すようになった。夫婦で毎日同じ物を食べても、かかる病気は全く異なり、父は公立の大学病院、母は私立の大学病院であった。

 病院で兄に会うことがあった。彼女と一緒で、兄とは祖母の法事以来である。20代は痩せていて、祖母の法事の時は中肉中背だが、今では少し中年太りである。白髪も目立ち、老けたと思ったら、兄に「お前老けたなあ」と先に言われた。

 その頃の私は結婚していて、妻は兄の彼女とよく話しをしていた。40代後半や50代には鈴木京香や石田ゆり子みたいに綺麗な女性や年齢不詳の可愛い女性も居るが、彼女は年の割にはましかなと思えるものの、とびきり美人でもなかった。

 妻によると、兄とは籍を入れずに事実婚のままでいること、兄は以前の職場のままで契約社員のままであること、休みを週一日しか取らず、昼は彼女が作ったお弁当で済ましていること、競馬もしていて、よく何万円も勝つこと、彼女はホームセンターとうどん屋の2つのバイトを掛け持ちしていて、1カ月に2日位しか休みがないこと、前夫とは性格の不一致で別れたこと、前の結婚生活での貯金を使わずに残していることなどを聞かせてくれた。短時間ですごい調査能力である。

 事実婚。まあ兄には丁度いい。彼女が財産を持っていても持って無くても、遺言状を作成しているなどの余程の事が無い限り、彼女の財産が兄に転がりことはない。賢い選択である。


 財産と言えば、父は病床で私に、

 「お前はマンションも買っているから財産も要らないやろ。相続放棄するのやろ。」と言い出したことがあった。

 父の財産といってもせいぜい実家の不動産としての価値であるが、郊外の一戸建てで建物は妹夫婦がローンで立て替えたもので、土地だけの価値なら、大した額にもならないはずだ。預貯金は祖父の資産を株に投資していたが、バブルがはじけて大損をし、60歳を過ぎてバイトをしていた程だから期待できない。

 私は兄も放棄したのかと尋ねたら、

 「いいや、あいつは可哀そうだから」 と言って話しを変えた。

 父も母と同じで兄の病気の事で引け目を感じているのだ。兄が正社員になれずバイトや契約社員でいるのも、病気が原因で無理な仕事は出来ないからだとでも思っているのだろう。兄の病気と非正規雇用の生活は関係がないはずだ。そんな事を言えば、車椅子の人や盲目の人だって働いているし、障害があっても兄や私よりも稼いでいる人は沢山いる。兄は単に自分に甘いだけなのである。病気だったから小学校の体育の時間は見学ばかりで、勉強も入退院や術後の検査でよく学校を休んでいたから遅れをとっていた。学歴も才能もなく、だからまともな社会人にはなれないと思い込み、また、それを親が甘やかして育てただけのことだ。

 母も同じである。母の見舞いに行った時、先日、兄が果物を見舞いに持ってきたと嬉しそうに話してくれた。いやいや、私も見舞いの都度、見舞金として1万円を包んだり、テレビを見るためのプリペイドカードを5000円分買ったりしている。

 「この前、退院した時にカニを2キロ位送っただろう。」と言ったが、母はそんなことはどうでもよく、兄からのプレゼントだけが嬉しいらしい。

 晩年の父は次女の妹の家で生活した。父からすれば孫が可愛いのと、共働きである次女の方の妹夫婦からすれば、子供を見てくれるのは都合が良かったからである。そして父が他界したが、その際の喪主は兄ではなく、次女の方の妹の夫が喪主を務めた。

 その4年後に母が他界したが、晩年の母は実家で暮らしており、この喪主も兄ではなく、長女の方の妹の夫が喪主を務めた。

 兄はいずれも通夜と葬式、法事に彼女と一緒に顔を出すだけであった。


 母の法事から何年か経つが、それ以来、兄とは顔を合わせることもなく、電話で話しをすることもない。

 おそらく次に兄に会うのは甥か姪の結婚式か誰かの通夜か葬式である。

 それに引き換え、私の妻の姉には3人の息子がいるが、仲がとても良い。真ん中の子の結婚式には3人仲良く腕を組んで写真を撮ったりしていた。

 30歳を筆頭に、28歳と大学生である。上の2人は東証プライム市場に上場している企業に勤務し、大学生は国立大学で物理学を専攻している。それに長男よりも次男、次男よりも三男の方が偏差値の高い大学に行っていることから、弟は兄を超えようと勉強し、きちんと結果を出している。

 スポーツ界ではゴルフの尾崎3兄弟、スキーの荻原兄弟、野球の松沼兄弟のように兄の成績がいい場合もあるが、相撲の若乃花と貴乃花のように弟の成績が良い場合もあり、兄の方が優れている、弟の方が優れているというわけでもない。それに出身大学だけで人生の勝ち負けや優劣が決まるわけでもないが、偏差値だけを見れば貴乃花のように弟が勝っていることになる。


 兄弟や姉妹の存在は人間の性格や思想を形成する上で非常に大きな存在である。仲は悪いよりも良い方がベターであるが、仲が悪くても反面教師として成長の糧に出来る。

 50歳を過ぎ、老後の事も考えるようになった今、私は兄に勝っているかと自問すると、お互いに子供は居ないから老後の面倒は誰も見てくれない。

 資産についても、兄は彼女のアパートで同棲し不動産を所持していないが、私は分譲マンションに住んでいる。但し、住宅ローンがまだ相当残っていて、売れば残りのローンが無くなる程度で資産にはならない。

 兄は車を持っていないが、私は車を持っている。但し、ローン期間がようやく半分を過ぎたところである。

 兄は運送会社の契約社員であるが、私は正社員である。但し、いつリストラになってもおかしくなく、そうなれば年齢的に正社員での雇用は難しく、バイト生活か日雇い労働になるが、兄のように職場で重宝される資格もない。

 それに妻が彼女から聞いた話しによると、兄は彼女と一緒に住むようになって無駄遣いを一切しなくなり、貯金が趣味みたいなものだと言っていた。つまり兄は少ない給料なりにも共働きで相当貯金をしているが、私達夫婦には貯金はなく、反対に借金がある。

 兄の彼女は働き者であるが、私の妻は病気もあって働けない。

 そして兄は競馬、私は宝くじにFX(外国為替証拠金取引)とギャンブル好きである。やはり血は争えない。

 このように外観上は私が勝ち組に見えても、実際には数年先に私はリストラと借金でマンションを手放し、そんな私を見限って妻とも離婚して、私は路頭に迷っているかもしれず、そうなれば私の方が負け組である。

 その昔、兄の様には成りたくないと思っていたが、いつの間にか兄に近づき、並び、その内抜かされるのである。

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棚からぼた餅は落ちてこない 北田 周悦 @buruburuburu

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