第8話 兄(1)

 私には年子の兄がいる。年子と言っても1年8か月離れている。

 仲は良くなく、最後に会ったのは3年程前に亡くなった母の法事の時だ。それ以外電話もすることはない。妹も2人居るが、少なくとも私と妹との仲は良くも悪くもなく、たまに電話で近況を話ししている。


 兄は生まれた時から心臓が悪く、幼少期は入退院を繰り返し、母は毎日の様に電車で片道2時間かかる大学病院に見舞いに行っていた。兄が幼稚園に入園する頃、心臓の手術をした。手術をしないと大人まで生存するのは難しかったようだ。手術は半日位かかり、それを2度、3度したようだ。手術は成功し、それ以来、兄は激しい運動を除いては、通常の日常生活が送れるようになった。兄には胸と脇腹に大きな手術痕が残った。中学生位になった頃に母から聞いた話しでは、心臓弁膜に問題があったそうだが、当時の私には難しく、詳しい事は分からなかった。

 母は見舞いで付きっ切り、父も仕事が休みの日は見舞いに行った。その間の私の面倒は祖父と祖母が見ていた。妹はまだ生まれておらず、幼少の私一人が残されることになったが、私の幼心には兄が両親を独占して羨ましいとか、嫉妬するとか、一人ぼっちで寂しいなどの感情は無かったようで、幼稚園から帰ると好きなテレビを見て、怪獣の玩具で一人楽しそうに遊んでいたようである。


 小学校、中学校、高校と兄は普通に過ごし、兄とはつまらないことで、よく喧嘩もした。

 高校を卒業して兄は就職したが、工場勤務が性に合わず、1年ほどで退職し、イベント関係や配達、飲食店等、色々なアルバイトを点々とした。所謂フリーターである。

 そのくせ少ない給料でマイケル・ジャクソンや吉川晃司、玉置浩二、石橋貴明風のファッションを真似ていた。今のご時世では、芸能人のファッションを真似るのは例えその芸能人がお洒落であっても、逆に個性がないとディスられる時代だが、その当時は格好いい、お洒落と言われていた。


 兄が20代半ばを過ぎた頃、バイト先の飲食店で見よう見まねで覚えたバーテンの仕事がオーナーに評判が良かったのか、新しく出店するカクテルバーのバーテンダーとして働くようになった。兄はそもそもアルコールが飲めないのにバーテンなど出来るものかと訝しく思ったが、ワインのテイスティングのように、味を見てすぐに吐き出すから問題はないとの事だった。

 夜の仕事であったため、兄は始発電車で帰宅していた。稼ぎもよくなったのか、兄の生活は派手になり、マツダのユーノスロードスターというオープンカーをローンで買い、実家からの約1時間半の電車通勤から車通勤に変えた。この当時の兄のファッションは芸能人を真似ることはなかったが、黒服風のいかにも夜系のファッションであった。

 兄は通勤にかかるガソリン代も馬鹿にならないし、1時間半かけての車通勤は電車と違って寝られないので疲れるとのことで、店の近くのワンルームマンションを借りて住むことになった。車は休みの日にしか使わないからと実家近くの駐車場を借りることになった。都会では月3万円はする駐車場代が実家周辺では月5000円である。


 その頃の兄は店に客として来た女性と交際をし、休日になると一旦実家に戻り、車を出しては彼女とドライブデートをしていたようである。バブル経済を経験していた男は、デート費用を男が持つのを当然としていたが、兄が一人暮らしをして1年程経ち、車検代等の維持費がかかるからと、さすがに車は売却した。見栄を張るからデート費用も馬鹿にならなかったのだろう。

 バーテンの仕事は珍しく長く続き、兄はバイト先のオーナーと共同経営でバーを開くとも言っていたが、これは多額の資金が必要になるため、この計画は頓挫した。


 兄は実家にも何度か彼女を連れてきており、私は一度だけその彼女を見たことがある。兄に対して少し年下だから、20代後半。とびきり美人と言うわけではなく、あまり印象に残らないOLさんと言う感じであった。それもそのはずで、彼女は信用金庫に勤めていた。中森明菜や小泉今日子、広末涼子が好きだった兄からすれば、全く好みではないはずであるが、性格がよいのだろうと思った。

 しかし、兄は程無くして、その彼女と別れた。彼女が母に電話をかけてきて相談したようで、私は母伝手に理由を聞いた。

 すでに兄と4、5年付き合っていた彼女は、少し前に勤めていた信用金庫を退職し、花嫁修業と称して料理教室へ通っていたようである。彼女曰く、彼はお付き合いをした当初は仕事に慣れてくれば結婚も考えていると言っていたが、何年経っても結婚の話しは出ず、私が仕事をしているから彼は結婚を考えないのだと考え、付き合い出した頃の言葉を信じて、仕事を辞めて花嫁修業をしたらしい。

 今でこそ結婚しても仕事を続けるのは当たり前であるが、昭和60年代から平成初期、女性は結婚が決まれば寿退職と称して職場から拍手を浴びて堂々と仕事を辞め、家を守って家事をするというのが一般的で、専業主婦に備えて料理教室に通ったりすることも珍しいことではなかった。

 しかし、この「家を守る」とは都合のよい言葉である。確かに昭和の初期頃までは寝る時以外は鍵を掛けることはあまりせず、玄関や裏口、縁側などから日中であっても空き巣の被害は多かった。そのため家に人が居ることは防犯対策にもなったし、古い木造家屋は襖を開けたりして風通しをよくして、カビの付着や老朽化、風化から「家を守る」必要もあった。しかしながら、昭和60年代や平成以降に建てられた一戸建てやマンションでは、防犯カメラや警備会社との契約により防犯対策も取られ、木造であっても外壁パネルなどの品質改良によって、暫く放置しても家が朽ちることはない。それに料理、洗濯、掃除、子供が出来たら育児をするのであるが、それは夫もすることであるから、子供が居ないうちに「家を守る」なんて言う女性は、仕事をせずに夫の給料で楽をしたい女性の言い訳にしか聞こえない。

 話しは逸れたが、結婚の具体的な話しをしたら別れ話しになったそうである。彼女曰く、彼にとって結婚が負担なら今すぐじゃなくても構わないということであった。

 子供の頃から兄を知っている私からすれば、飽き性で仕事も続かなかった兄のことである。結婚して一人の女性に縛られることや責任感を持つのが嫌になったのだろう。それに私からすれば、兄に限らず、付き合い出したばかりの男の言葉を素直に信じる彼女も馬鹿だし、婚約もせずに信用金庫とはいえ金融機関を辞めるなんて、少し圧が強いなとも思ったが、彼女からしたら金こそ取られていないが、ひどい詐欺にでもあった気分であったろう。

 母親を巻き込んでの兄とその彼女の別れ話しであったが、彼女は兄と綺麗さっぱり分かれることになった。後になって思うが、彼女は兄と別れて正解であった。


 その頃の私は実家から通勤をする会社員であった。ある日、私の勤務先に電話が入った。電話に出るとフルネームを言われたので、

「はい、そうです。」と返事をしたら、テレビCMで有名な消費者金融であった。

「今月分の支払いの確認が取れませんので、すぐにお支払いください。」とのことである。

 私は今でこそ、住宅ローンやカードローンなどの借金をしているが、その当時、借金は一切なかった。

 兄だな、とピンときた。仕事中でもあり、

「確認してみます。」とだけ言って電話番号を聞いて電話を切った。

 実家に帰り、私はそのことを母に話した。兄が私の健康保険証を借りて、私に成りすまして消費者金融からお金を借りたとしか考えらない。兄は平日の休みの日にたまに帰ってくると言っていた。兄が借りた確証が掴めたら電話で兄を問い詰めてやろうと思ったが、母は、「この件はあんたに迷惑はかけないから、私に任せて欲しい」と言ったので、私は兄に何も言わなかった。

 それにしても家族とは言え別人に成りすまして消費者金融からお金を借りるのは名義冒用であり、お金を返さずに金融会社から被害届けが出されたら、立派な詐欺罪になるところである。

 結局、兄の消費者金融への借金は母が立て替えた。契約書の筆跡は紛れもなく兄のものであり、電話をかけてきた業者以外にもう一社あったみたいで、そちらの方も私の名前が使われていた。合計80万円程だった。母は、業者に全額完済して、二度貸さないで欲しいと言ってきちんと片付けてきたから、兄を責めないで欲しいと言った。私は借りてもいない消費者金融に利用歴が残ることになった。


 両親は兄に甘い。特に母は甘い。これは兄が心臓病を抱えて生まれたことが原因であろう。私が働き出した時、母は実家から通うのなら、食費などの生活費として毎月5万円を入れろと言ったが、兄にはそのようなことは一切言わなかった。私が兄も生活費を入れるなら入れると言ったので、結果的に兄も毎月5万円を支払うようになった。しかしながら、兄は今月バイト代が少ないとか、店の売り上げが悪いから給料も減ったなどと言って払わない月も多かったが、私は毎月しっかり5万円を払っていた。そして兄は支払いもままならないまま、通勤に必要だからと車をローンで買い、一人暮らしを始めて、家を出たのである。

 そのこと母に言うと、きちんと何年何月にいくら払ったかを残しているから、兄にはお金に余裕があればその分もきっちりと払って貰うなどと言っていた。しかし、不足分を払うどころか、借金の肩代わりまでさせて、親の金を吐き出させているのである。未払いの生活費が支払われることなど宝くじでも当たらない限り、まず無いだろう。

 

 親は子供が事故や病気にかかって障害が残ったのなら、それは後天的なもので、それが親の監督責任であったとしても、障害への直接的な関与は加害者もしくは病原菌やウィルスであるから、親の責任はいくらか相殺される。

 しかし、先天的に障害あった子供に対しては、その責任は親、特に母親が責任を感じる。例えば妊娠中にアルコールや煙草、産婦人科の医者が認めないような薬を飲んで、子供に障害が出れば、それは母親の責任が重大であろうが、酒は飲まず、煙草も吸わず、薬も決められたものしか飲まなかった状況で、先天的に心臓に異常が認められる子供が産まれても、それは母親の責任でも父親の責任ではないはずだ。私の母も酒はあまり飲まないし、煙草も吸わない。自宅に薬が散乱していた記憶もないので、薬の濫用などはしていないはずだ。先天的な障害がなぜ発生するのかは、現在の医学でも全容は解明できておらず、細胞分裂時のエラーや遺伝子の僅かな欠損であって、母親や父親の行動によって、まして祖先の罰当たりの悪行が何代かあとの子孫に障害になって出現したものではない。

 しかし、そうであっても母はやはり兄に対して幼少期に辛い思いをさせたことに引け目を感じているのだろう。ただでさえ生活費の5万円の払っていないのに、母が立替えた消費者金融の80万円を返せるわけがなく、兄は借金を親に立て替えてもらっただけになった。


 兄の消費者金融への借金が発覚した数か月後、兄は、バイト先の店が潰れたからと言って、ワンルームマンションを引き払い、実家に戻ってきた。兄が30歳を少し過ぎた頃のことである。

 同じ頃、私は転勤になり、実家から通勤することも可能であったが、通勤時間が2時間近くもかかるので、実家を出て一人暮らしをすることになった。


                                (2)へ続く



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