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「貴方達……どこから来たの?」


 抱き抱えられていたポチは、元気よく尻尾を振りながら両腕の拘束から逃れると、名残惜しそうな少女を気にも留めず無悪に飛びかかってきて戯れてきた。


 無事だったポチの姿を見て、ガキどもは皆喜んでポチに駆け寄ると体を撫でに撫でていた。

 

 無悪一行の前に立つ少女は、まるで亡霊でも目撃したかのように目を見開いて立っている。年の頃はアイリスより幾らか上か――服とは呼べない質素な白い布地をまとって時代錯誤な装いをしていた。


 老婆を彷彿とさせる白髪、病的なまでに白い肌、白磁の肌に浮かぶ紅の虹彩――出会ったのが深海ということもあってか、どこか浮世離れした佇まいに無悪は少女の足元を確認したが、二本の脚でしっかりと体を支えている。


 どちらが亡霊に見えるかはさておくとして、ここは海竜船の船長であるミトスでさえ存在を知らぬ深海の海底洞窟――ただの人間が辿り着くことなど不可能な極限下にある。無悪たちの他に誰かが住んでるなんてあり得ない。


「どこからもなにも、崩海域に発生した大渦に呑まれて運良くここに辿り着いたんだ」

「嘘……。あの〝フォルネウスの大禍たいか〟に巻き込まれて助かったっていうの? 信じられないけど、貴方たちって凄い強運の持ち主なのね」

「なんだ、そのなんとかの大渦というやつは」


 無悪の疑問にミトスが口を挟んで答える。


「フォルネウスっていうのはお伽噺に出てくる大海に住む悪魔のことだよ。もしかして、全員知らねえのか?」


 ミトスを除いた全員が頷く。

 フォルネウスというのは童話に登場する大海を統べる大悪魔の一柱の名前で、その実体の有無はともかく海の近くに住む人間であれば、誰しも耳にしたことがあるという化け物である。


「言うことを利かないと、今にフォルネウスが食べに来るよ」と親に叱られるのが定番なんだとか。獅子連隊もアイリスも生まれた土地が異なるせいか聞いたことがないようで、ミトスの説明を黙って聞いていた。 


 フォルネウスは小さな島であれば、一飲みにしてしまうほどの巨体の持ち主で、絶えず腐乱死体と似た腐臭ガスを撒き散らていて、その異形の姿を目にしたものは必ず発狂して精神を病んでしまうと逸話も残されている。


 普段は深海でじっと身を潜めているが、一度目を覚ますと海中で好き勝手に暴れまわる。すると海は大荒れとなり、その際に発生する大渦の名を童話の中では〝フォルネウスの大禍たいか〟と呼ぶんだと説明した。


 ちなみにお伽噺の中では、悪さを繰り返すフォルネウスを退治するために立ち上がった勇者が、カツオのごとく一本釣りで陸に釣り上げてから退治するシーンがあるという。


「長々と説明したけど、あくまで童話のなかの話だからな。フォルネウスなんて化け物が実際に存在したら、今頃船乗りは全員廃業しなくちゃいけないだろ。あんなもんは子供をビビらせる為の道具に過ぎないんだよ」


 ミトスの意見に無悪も概ね同意した。万が一にも島を一飲みできる怪物が存在するとしたら、それはもはや生物の枠を越えて天災となんら変わらない。


 人は昔から人智の及ばない現象に理由をつけたがり、実態のない災害に輪郭を与える。流行病を鬼に例えたり、黒死病ペストを死神に例えたり、フォルネウスとやらも、海の災害を悪魔に喩えた一つであることは明白である。


「ここで立ち話もなんですから、私の住まいに案内しますよ」

「住まいだと? こんなところに一人で住んでるっていうのか」


 立ち止まって振り返る少女は、目を細めて訂正した。


「いえ、この先に私達、ティターニア一族の集落があるんです」



        ✽✽✽


 

 ソフィアと名乗る少女の後をついていくと、にわかに信じがたい光景が広がっていた。ここはいったい何処なのか――つい忘れてしまうほど広大な空間は、集落という単語では謙虚がすぎる。


 広大という表現すら適切ではないのかもしれない。地上と何ら変わらない柔らかな風がそよぎ、小鳥が鳴き、果てが見えないほど透き通った青空が頭上に広がっている。


 空には太陽と思しき球体が煌々と輝いて、真昼の明るさで無悪たちが足を踏み入れた巨大な街を照らしている。


 何より驚くべき点は、ソフィア曰く、五感で感じる全てが一つの再現されているということ――。


 そんなこと有り得るのかアイリスに聞くと、「有り得ない」と真顔で否定された。

どうやら現代では再現できない古代の技術なのだとか。


「僕達……海の底にいるんだよね?」

「なんなの? これは夢? ちょっと確かめさせて」

「痛たたたたっ! なんで俺の頬をつねるんだよ⁉」


 獅子連隊のガキどもは、揃いも揃って阿呆面を晒しながら辺りを見回していた。

 街の通りにはソフィアと似た特徴を持つ住人が闊歩し、異物である無悪達の姿を見るなり顔を強張らせて、足早に去っていく。


「ごめんなさい。悪気はないんだけど、地上の人達がここに来るなんて初めてのことだから、きっと驚いているのよ」

「信じられないな。本当に一つの都市が存在しているとでもいうのか」

「私達からみれば、外から来られた貴方がたのほうがよっぽど珍しいですよ。我が家はこの先ですので、到着するまでに成り立ちを説明して差し上げます」


 ソフィアは語る。遥か古代――地上に楽土を築くよう神から使命を与えられた一族がいた。その名をティターニアという。


 神の寵愛を一身に受けていた一族は約束を守り、地上に誰もが羨む楽土を築くことに成功した。その土地では、枯れることのない水が流れる川や、一口で万病を癒やす果実がなる樹がそこかしこに生え、まさしく神が望んだ争いとは無縁の大地が広がっていた。


 しかし――長い時を経てティターニア一族は変わってしまった。我こそが真の神であると錯覚し、天上の神々はふんぞり返っているだけで何もしないとたもとを分かち聖戦を仕掛けた。


 結果は惨敗を喫し、罰として楽土を追われた一族は深海の奥深くまで追いやられることとなった――まるで当事者であるかのように真面目な顔で、ソフィアは街の成り立ちを語る。


「ここは海底都市カラープス。歴史から忘れられた街ですよ」


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異世界極道物語 きょんきょん @kyosuke11920212

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