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「ひゃっ!?」

「うわっ! いきなり大声だすなよ」


 頭上から滴り落ちる水滴に、ルキナが思わず悲鳴をあげる。小心者のマルコが情けない声で過剰な反応を示すと、湿った岩肌が四方を囲う洞窟にいつまでも煩わしい残響がこだました。


 足元を這う害虫に視線を落とした無悪は、背後で抱き合って叫ぶ獅子連隊のガキどもを無視して革靴で踏み潰した。ぐちゃり、と破裂した体から飛び出た体液が糸を引く。


「アイリス。ポチはどうした」


 立ち止まった無悪は振り返ってアイリスに尋ねた。見た目は雑種犬、実態は神狼フェンリルの片割れであるポチの姿が、どこにも確認できない。内心ではポチが生存している確率は限りなくゼロであることくらい理解している。


 一足飛びで山を飛び越えるほどの潜在能力ポテンシャルを秘めているとはいえ、それはあくまで成獣の話――あの短い四肢で大型のモンスターですら体の自由を奪われる海流の中を生き残れるとは、夢見がちなガキでもあり得ないことくらい理解している。


 現に助かった面子は、ポチの姿が見えないことに気付いてこそいたが、無悪が話題に触れると空気が張り詰めた。


「ポチは……」


 唇を噛んで堪えきれずに泣き出したアイリスに続いて、ガキどももつられるように泣き始める――一人、モニカを除いて。


 葬式のような辛気臭い空気を嫌い、一人迷路のように入り組んだ洞窟を歩き始めると無言で全員があとをついてきた。



        ✽✽✽



「ミトス。ここがどこだか知らないのか」

「海に生きてるからって、なんでも知ってると思うなよ。一つ確かなことは俺達が船から投げ出された場所は、崩海域のド真ん中ってことだ。周囲に運良く流れ着くような島もない。可能性があるとしたら……」


 海竜船の船員で唯一の生き残りであるミトスに尋ねるも、投げやりな口調の答えは期待を裏切る内容だった。


「ここは深海に存在する海底洞窟ってわけだ」


 深海――地球の定義で言えば水深二百メートル以深、太陽光も届かない暗闇の世界を指す。水深二百メートルといえば、カップラーメンが手のひらに収まるほどのサイズに押し潰される過酷な環境だ。


 確か、素潜りの世界記録が水深二〇七メートルと聞いたことがある。当然、なんの訓練も施されていない人間が無事に潜れる深さではない。それは異世界人であろうが変わらないはず。


 振り返るとマルコに手を引かれて歩くモニカと視線が交わった。が、感情を読み取ることはできない。唯一の人間らしさといえば、空腹を訴える腹の虫くらいなものか。マルコの手を引っ張りながら眉を下げ、「お腹が減った」と主張をする。


「モニカちゃん。良かったら、これ食べて」


 無事だった魔法鞄マジックポーチから携帯食を取り出したアイリスは、困り果てていたマルコに変わって差し出すと、上目遣いで「いいの?」と尋ねるモニカに頷く。


「……ありがとう」

「いいえ。他にもあるから、お腹が減ったら言ってね」

「それなら、俺も一つもらえると嬉しいんだけど……」


 船酔いでろくに固形物を口に出来なかったことを思い出したのか、妹に乗じて施しを受けようとするマルコの頭をルキナが叩きながら制する。


 そんな馬鹿な真似を横目にしていた無悪の耳に小石が転がる音が聴こえた。


「誰だ」


 ドスを利かせた声を放ち、腰から引き抜いたグロックを構えて反転する。無悪の目の前に現れたのは、腰丈ほどの高さの少女だった。その両腕には、死んだと思っていたポチが舌を出して無垢な瞳をこちらに向けていた。


「貴方達……誰?」

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