12

 一目見てそれが一体なんなのか、無悪には判別がつかなかった。知識としては知っていた。ただ、目の前の事象があまりにも知識のそれとはが違いすぎたのだ。


「サ、サカナシさん……いったいなんの騒ぎですか――ってなんですかこれは!!」


 顔面を土気色にしてやってきたアイリスが、船酔いも吹っ飛ぶほどの絶叫をあげた。それは巨大な大渦だった――たかだか十数メートルサイズの鳴門の渦潮とは比較にもならない。大海そのものを飲み込まんとする勢いで数百メートル、もしくはそれ以上のサイズの大渦が轟音を響かせていた。


 中心で待ち構える冥い深淵に、全てが引きずりこまれていく。遠くに海竜の数倍の体長はあろうかというモンスターが見えたが、抗ってはいたものの為すすべもなく飲み込まれていったのは一瞬のことで、あっいう間に姿が見えなくなった。


 ぞくりと肌があわ立つ。人智を超える自然の力を前に、畏怖を感じたのは生まれて初めてのことだった。


 駆け出したミトスが大声で船員たちに指示を出す。船員どもが慌てふためく。アイリスに続いてやってきた獅子連隊ビースターズのガキどもも、自然の脅威に言葉をなくしていた。


「ミトス……これはなんなんだ」


 急いで船を転回させようと、怯える海竜を叱咤していたミトスに尋ねる。


「わからねえ……こんなもんは見たこともないし、親父から聞いたこともない。ノーマンがいうには、突然目の前に現れたらしいんだ」

「突然だと?」

「ああ、そうだ。何が原因で起きた現象なのか皆目見当もつかないが、今はとにかく逃げるしかねえ。絶望的な可能性だけどな」


 海竜が死物狂いで大渦から逃れようと、全速力でUターンを試みていた。その努力も虚しく、徐々に船体が渦の中心へと引きずり込まれていく。


 このままではいずれ、飲み込まれていったモンスターと同じ運命を辿ることを乗船していた者は、無悪を含めて脳裏によぎったに違いない。


 その時――一人冷静なモニカが駆けてくると、無悪のスーツの袖を引っ張って訴えた。


「だめ。もう逃げ切れない」


 悲観的な言葉とは裏腹に、瞳の中に諦念が浮かんでるわけではなかった。ただ、決まりきった未来を淡々と告げるモニカの手に力が入った瞬間、船体が大きく傾き始める。


 速度を増して渦に流され始めると、一度バランスを失っては立て直す術など残されていなかった。崩壊する海竜船とともに、一同奈落の底へと飲み込まれていく――。



        ✽✽✽



「よかった、起きた」


 鈍器で頭部を殴られたような、酷い目眩に目を覚ました無悪の体を無表情のモニカが揺さぶりながら覗いていた。


 体を起こすと、海上にいたにも関わらず周囲を岩場に囲まれた洞窟で意識を失っていた。無悪の他にアイリスと獅子連隊のガキども、それに船長であるミトスが横になって意識を失っていたが、海竜船の乗組員の姿は一人も見当たらない。


 いったい何が起こったのか状況を把握できずにいると、モニカは真っ暗な洞窟の奥を指さす。


「運良く助かった。洞窟は奥まで繋がってる。誰かいるかもしれない」


 奥から生温い風が吹き抜けてきた。モニカの言う通り、闇の先がどこかに繋がっている可能性は高いのかもしれない。

 ただ、無悪は聞かずにはいられなかった。


「お前は、いったい何者なんだ」


 あいも変わらず表情を変えようとしないモニカを問い質す。海竜船が大渦に飲み込まれたまでは覚えている。


 フードプロセッサーにかけられた食材のように、如何ともし難い力の前に船体が木っ端微塵になり、海中に放り出された全員が海の藻屑となったはず。


 それが奇跡的に生還できたと考えるほどおめでたい頭はしていない。あれほどの災難もどこ吹く風のモニカは、無悪の追求を無視して全員を揺さぶり起こす。


「あれ……? ここはどこ……」

「確か、私達って海に飲み込まれたはずだよね?」

「うえ……まだ気持ち悪い」


 ガキどもが目を覚まし、辺りを見渡して当然の疑問に頭を捻っていた。ミトスはというと乗組員達の姿が誰一人として見当たらないことに、酷く気が動転しているようだった。


「そんな、みんな助からなかったのかよ……」

「サカナシさん。他の人達はやはり」

「全員は助からなかったと見るべきだろう。あの規模の大渦に巻き込まれたにも関わらず、俺達が生きているってだけでも十分非現実的だけどな」

「そう、ですよね」


 ちらと視線をモニカに向けるも、本人は意にも介さずに濡れた衣服を絞っていた。


「とにかく、ここで立ち止まってても仕方ない。今は奥へ進むしかないな」


 わからないことだらけではあったが、今はとにかく前に進むしかない。常にモニカから目を離さないよう心に決め、重い足取りで歩みを進めた。



 

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