悍馬刀

「やはり旦那は、一本の愛刀を持つべきなんですよ」


 そこそこの街に入って開口一番、俺は旦那に言ってのけた。俺の役目は相変わらずの露払い。だがデカくてゴツい上に、獣めいた容貌の旦那への視線は避けられない。必然として、俺たちの道は開けていた。悪目立ちである。


「ハルイチィ。言ってるだろ。一振りで壊れるモンを、固定で持つ必要はねえ」


 しかし視線や悪目立ちなどお構いなし。大股でノシノシと歩くのがジュウベイの旦那だ。結果的に俺たちは、往来のど真ん中で口論する格好になっていた。


「だからって、倒した相手の剣を奪って歩く必要もないでしょう。いつぞやの敵が言ってたじゃないですか。『刀ドロのジュウベイ』だって。知られてるんですよ、小っ恥ずかしい」

「知るか。そもそも俺が剣士を志した時、最初に手にしたのは木の棒だ。後、人を泥棒みてえに言うんじゃねえ。せめて『多刀無尽』とかそういう通りのいいモンをつけろ」


 俺は心の中で頭を抱えた。世の中にはわらしべ一本から物々交換で長者になった、なんて話があるらしいが、まさかこのご時世に、刀でそれをやるような人間が居るとは。しかも最初は木の棒だったとか、絶対にそっちのほうがマシじゃないか。ちくしょう、師匠にする人を間違えたか? いや、今更どうにもならない。俺は呼吸を整え、疑問を呈した。


「と、ともかくですよ。旦那の振りに耐えられるようなモンでしたら、旦那だってそれを使うには構わない訳でござんしょう?」

「当たり前だぁ。そんな刀がありゃ、俺の方から飛びついてやる」


 通りの真ん中を占拠して、延々と続く長話。だが俺は、ふと人の気配に気がついた。横に七歩。俺はそちらに、顔を向けた。


「ん?」

「もし、剣士のおふた方」


 立っていたのは、杖をついた小柄の老人。ヒゲは長いが覇気は薄い。好々爺こうこうやといった風情だった。


「なんでぇ」


 旦那が老人へ顔を向ける。少々危険だとは思ったが、意外にも老人は動じない。むしろ笑みを深くする。俺は警戒を強める。この老人もかつてはいっぱしの剣士、あるいは剣豪だったのかもしれぬ。ところが老人から繰り出されたのは、あまりにも意外な提案だった。


「もしかしたら、ご要望に沿うお刀を用意できるやもしれませぬ」

「なんだとぉ?」


 旦那が剣呑な顔を向けるが、老人は意に介さない。それどころか、杖をついているとは思えないほどの足取りで歩き始めた。人混みが彼を待ち受けていたが、老人が近付くにつれ、潮が引くように二手に分かれた。


「話は後々」


 老人が振り向き、こちらに言う。結局俺たちは、流されるままに付いて行く羽目となった。


 ***


 半刻ほど歩くと、小さな庵が俺たちを出迎えてくれた。草葺くさぶきの、粗末な建造物。だがそれでいて、不思議なほどの清冽せいれつさがあった。


「ここですじゃ」

「むう」


 老人が脇へと退き、旦那が唸りながら庵へと踏み込む。中もこじんまりとしていて、旦那は少々手狭そうな様子だった。俺は続けて庵へ入り、中を見回す。小綺麗な住居の中、目に止まったのは一本の刀。刀掛台に掛けられ、囲炉裏の奥、上座にしつらえられている。旦那の目も、同じ方向を向いていた。


「お目が高い」


 老人の声が、背中から俺たちを叩いた。大の男二人が立つ、手狭な庵。しかし老人は足取り軽く、俺たちをすり抜けるようにして上座に立った。彼はそのまま刀を手に取り、旦那に向けて差し出した。


「む」

「これは、悍馬かんばのごとき刀でしてな」


 ふむ、と旦那がうなずいた。なるほど、噂自体はよく聞く話だった。手にした者を狂わせ、凶行へと走らせる刀。手にした者が素人であろうが、一廉の剣豪並みの使い手に変えてしまう刀。あるいは特定の血脈にのみ不利益をもたらす刀など。いわゆる魔剣、妖刀のたぐいの噂は、剣士をやっていればたいがい耳にするものだった。もっとも、ガチの本物にお目にかかれたことは少ないのだが


「謂われはとんとして知りませぬが、使い手が刀に相応しい強さである限りは大人しい。しかし腕が鈍ってくると途端にこちらの心をかき乱し、振り回してくるのです。それがしも、十年ほど前からは振るっておりませぬ」

「なるほどな」


 旦那が、無造作に刀を受け取った。ただし、抜こうとはしなかった。こうした妖刀のたぐいは、不用意に抜くと惨事になりかねないからだ。


「ハルイチ。覚えとけぇ。鍛冶の誠心誠意、全力を込めて刀を作る。その執念が、あるいは妄執のあまりに注ぎ込んだものが、魔剣妖刀の温床となる」

「へい」


 俺はただ、うなずいた。たしかに話には聞いたことがある。より強い鋼を求めて、より鋭い刃を求めて。鍛冶は時に己の血肉や縁者の身体、時には命さえも注いだという。それらが魔剣妖刀の根幹となる。ありえない話ではなかった。


「かの剣聖リョーザンも、竜を殺してからは刀を振るうことが減ったといいます。あるいは竜の血が、刀を変質せしめたのやもしれませぬな」


 老人が、横から割って入る。たしかに、そちらも聞いた話だった。しかし旦那は、つまらなそうに話題を変えた。


「ありえない話ではないな。しかし御老体よ。お代は?」

「いえ、お譲りいたします」

「なんだと」


 瞬間、旦那から怒気が吹き上がった。俺にはわかる。旦那には、こういった採算度外視の取引を疑うところがあるのだ。しかしその姿を目にしてもなお、老人は動じなかった。


「無論、理由がございます。どこから噂を聞きつけたのか、この刀を乞い願う者がおりましてな。力不足と見て断り続けておりましたが、いよいよ尋常ならぬ執念を見せる始末。ならばと」

「なるほど。それで俺が目にかなったと」

「はい。この老体の目に、曇りがなければ」


 老人が、しっかとうなずいた。旦那が刀を腰に差す。どうやら納得したらしい。先日奪った長刀と合わせて長物が二本になったが、恐らくは一時的なことになるだろう。ともかく、俺は胸を撫で下ろした。しかし。


「爺さん! また来たぞ!」


 外から突如、大音声が庵を揺らした。俺は即座に扉へと向き直り、次の行動への備えを取った。


「ハルイチ、見て来い」

「へい」


 旦那の指令は早い。俺は小走りに扉へと近付き、一呼吸置いてから開け放つ。するとそこには髭面の、いかにもな剣士が立っていた。衣服は擦り切れ、少々臭う。どうやら主を持たず、手に職もないようだ。


「今度こそ、噂の悍馬刀を譲ってくれ!」


 髭面剣士が、懐から金を取り出す。十金貨の包みが、手に現れた。


「それがしは、三十金貨と申しましたが」


 俺に続いて出て来た老人が、髭面剣士を一蹴する。しかしそれでも、髭面は諦めなかった。着座し、頭を地面に擦り付ける。老人の吹っ掛け具合も相当だが、この男の諦めの悪さも大概だ。


「存じておる! だからこれは前金だ! 残り二十は後々払う! だから!」


 あまりの言い分に俺は驚いた。身なりからして十金貨をどう手に入れたかも怪しいのに、残り二十は後払いなど、俺にはとても信用できない。そう思っていると、背後から野太い声が響いた。


「おめえよぉ。自分がどんだけ独りよがりな言い分してるか、気付いてねえな?」


 老人と俺に道を開けさせ、ノシノシと現れるのはデカくてゴツい獣めいた剣士。すなわち俺の師事する、ジュウベイの旦那だ。旦那の眼光が、異常に鋭い。先ほどの怒気よりも、更にキツい覇気を放っていた。俺は数歩後ずさりし、腰を落とす。このまま旦那が髭面とぶつかれば、惨事は免れない。


「うるせえ! 俺は悍馬刀がなんとしても欲しいんだ! そしてこいつは俺と爺さんの話だ! 外野は黙ってろ!」


 髭面が顔を上げ、旦那に言い返す。俺は直感的に終わりを悟った。御老体をかばって遠ざけ、旦那の次の手に備える。この後に起きる出来事が、俺には見えてしまっていた。


「そうかい」


 旦那が刀を抜く。過日手にした長刀ではなく、悍馬刀の方だった。構えた直後、一瞬立ち止まる。しかし次には、空気が歪むほどの気が立ち上った。


「そ、それは悍馬刀」

「得物を抜けぇ」


 旦那が太い声で言うと、髭面も慌てて応じる。だが彼が刀を構えた時には、すでに旦那は大上段に振りかぶっていた。悍馬刀のギラつきが、俺の目に留まる。魅入られそうな、輝きだった。


「コイツは俺が譲られた。欲しけりゃ腕ずくで掛かって来い」

「おおおおおっ!」


 髭面が、誘われるように動いた。一足の間合いから、一息に踏み込む。しかしその動きは、悲しいほどに遅かった。俺でも対処できる程度の速さだった。御老体が頑として刀を譲らなかった理由が、ハッキリと見えてしまった。


「フン」


 旦那が刀を振り下ろす。雷霆のごとき速さだった。俺は髭面の両断を思い、御老体の視界を塞ごうとした。だが一面に響いたのは金属音。刀を叩き折った音だった。


「……。まだ暴れるか。両断で切り伏せるつもりだったが」


 旦那が口を開く。髭面はおののいていた。旦那は刀を肩に引っ掛け、髭面に鋭く視線を向けた。


「まあいい。立ち去れ」

「はい……」


 髭面が立ちすくんでいると、旦那の声が太くなる。地の底から、響くような声だ。


「早くしろ」

「はいっ!」


 促された髭面が、さっきの踏み込みとは比べ物にならないほどの早足で逃げ去っていく。ホッとした表情の御老体が、旦那へと近付いていく。旦那は、俺から見ても珍しいほどに深々と頭を下げた。


 ***


 すでに日は暮れつつあった。御老体と別れた俺たちは、次の街へと向けて道を急いでいた。


「……先ほどの、わざと、ですよね」


 俺が、先刻得た違和感を口にする。旦那はなにも答えなかった。それをいいことに、俺は言葉を続けた。


「悍馬刀のせいにして、御老体の前での刃傷を避け……」

「うるせえ」


 しかし途中で、俺は遮られた。後ろからの言葉に、怒りが少し滲んでいた。


「そんな高尚なモンじゃねえ。あんなのを両断しても、なんにもならねえ。それだけだ」


 それだけ言うと旦那は、スタスタと俺を追い抜いていく。俺は一度固まった後、小走りでゴツい背中を追い掛けて行った。

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異世界一刀両断録 南雲麗 @nagumo_rei

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