異世界一刀両断録
南雲麗
雷霆両断
龍さえも斬り捨てたという伝説の剣聖リョーザンが身罷り、その剣技の全てを記した書をいずこかへと隠して三十余年。世界は大剣豪時代となっていた。
刀一つで富と名声、王侯に匹敵する地位を得たリョーザンの背中を追い掛け、数多の剣士や剣豪が世に放たれたのだ。
そしてこの俺。ハルイチが師事するお方も、そんな剣豪の一人だった。
「ゲエエェ、フゥゥゥ……!」
獣臭いゲップが、そのお方の口の両端から噴き上がる。伸ばし放題のヒゲはモミアゲと一体化し、肩の辺りまで伸び切った赤髪と合わせて、まるでこちらが獣ではないかとさえ錯覚しそうな容貌だ。
だが安心してくれ。俺が師事するお方は、れっきとした人間だ。まあ……聖教の教義とかをまるっとぶん投げてるせいで、蛮族や異教徒みたいな扱いを受けているのも事実なんだが。
「し……いや、ジュウベイの旦那。腹は満たされましたかい?」
俺は恐る恐る師匠に問う。師匠は、崇められるタイプの呼ばれ方を酷く嫌う。だから、俺は旦那と呼んでいた。腹を空かした師匠は、だいたいの確率で物凄く機嫌が悪い。うっかり殺されかけたことなど、十を数えてもきかないほどだ。よって、俺は恐ろしく慎重だった。
「ああ、食ったさ。腹ぁいっぱいだぁ」
師匠……ああ、もう旦那でいいか。旦那は、再び獣臭いゲップを噴き上げる。傍らには、毛皮と骨だけをきれいに残したイノシシが一匹。つい先刻襲われたところを、旦那が一太刀で首をすっぱりやったのだ。後は解体し、火にかけて焼く。本当に、それだけだった。
「ハルイチ。貴様は食わんで良かったのか」
「いや、肉食になりますんで……と、言いますか。見てるだけで腹が膨れちまいますよ」
そうか、とだけ言って旦那は立ち上がる。場所は山道の中腹。少し開けた場所。こんなところで、真っ昼間から火をたいて肉を喰らう。おそらく、旦那にとっては最高の贅沢だったろう。だが俺にとっては、非常に生きた心地のしない時間だった。なにしろ剣士の戦は、こういう時にこそ頻発するからだ。メシと風呂の間ほど、相手が隙だらけな頃合いはない。腕のない輩が襲撃を掛けるには、非常にうってつけだった。
「ま、見張りはご苦労だった。街に着いたら奢ってやるよ」
「へい……」
俺たちは再び山を登り始めた。道なき道……とまではいかないが、街道にしては整備の行き届いていない道。草木はぼうぼうで、道も石ころや木の根による段差がゴロゴロしていた。だが俺には足を止めている余裕がない。ジュウベイの旦那が、知ったことかと大股で追い掛けて来るからだ。つまるところ、俺の役目は露払いだった。
「急げ急げ。今日中に山を越えるぞ」
「へいぃ!」
息せき切って、俺は山を駆け上る。いくら最短の道を見つけても、旦那はそこをひょいひょいと登って来てしまう。正直言って非常にきつい。しかしおおよそ一刻経った頃。
「旦那! 頂上が見えやした!」
「そうか」
遂に俺の視界に頂上が入った。空の割合が増し、心なしか足にも力が入る。日はまだ高い。このまま下山できれば、夕暮れまでに街へ入れるかもしれない。希望と旦那に追い立てられるようにして、俺は頂上へと転がり……
「待ってましたよ。雷霆両断」
込めなかった。たどり着いた頂上には、不敵な顔をした剣士が立っていた。長髪を馬の尻尾みたいにまとめた優男が、見るからに長そうな刀を引っ提げていた。旦那を二つ名で呼ぶ辺り、首狙いの待ち構えだろう。
「
俺は旦那を守って前に立った。長刀の剣士が、俺を見てにこやかに笑う。当然だが、見知った顔ではない。しかし、剣士なんてのはだいたいこんなものだ。丁寧な物腰の下に、なにを隠しているのやら。
「長刀自在」
「ハン、聞いたことねえぞ」
剣士の名乗りに、俺はやり返す。実際、聞いたことのない二つ名だった。世間は広いからどこかでは有名なのかもしれないが、大抵は自称だ。つまるところ、これから名を上げようとしている剣豪まがいだ。
「ええ。これから名を上げますので」
そして今回もそうだった。自称剣豪の剣士が、静かに抜刀の構えを取る。おいおい、優男のくせに血の気が多いぞ。俺をぶった切って、旦那への挑戦状にでも仕立てる腹積もりか?
「どけ」
その時、俺の後ろから怒声が響いた。俺は後ろを振り向くことなく、横へと身を引いた。声の主は分かっていたし、直視したら漏らすか固まるか、死の二択が待っているのも容易に想像できたからだ。
「雷霆両断はこっちだ。見分けもつかぬとは、貴様の目は節穴どころではないな」
ドン、という音でも鳴りそうな覇気を備えて、ジュウベイの旦那が前に出る。身の丈六尺、身体はゴツい。俺からすれば、倍以上のデカさに錯覚しそうだった。優男とはあまりにも対照的で、備える空気すら異なっているような錯覚を得た。
「否。付き人を
次の瞬間、長刀自在の優男が動いた。俺からすれば、鋭く、早い踏み込みだった。同時に目にも留まらぬ速さで刀も抜かれている。なるほど、自在と称するだけはあるか。顔に似合わず、恐ろしいまでの斬り込みだった。
しかし。
「甘い」
旦那は刀を抜くことなく一歩だけ引く。それだけで長刀は下から上へと空を切った。決してぬるくはない踏み込みだったというのに、なんという見切り。なんたる
だが、それだけで旦那が終わるはずがなかった。すでにその時、旦那の刀は大上段に構えられていた。そして。
「うおるァァァッッッ!」
獅子じみた咆哮とともに、雷霆が長刀自在へと降り注ぐ。それは竹を割るように優男の脳天へと落ち、瞬く間に両断せしめた。目にも留まらぬその速さに、長刀自在は空振った姿のままで二つに割れた。
「チッ、やっぱりか」
優男の死体には目もくれず、旦那は手にしている刀を見ていた。たったの一振りで目釘は緩み、刀身は刃こぼれを起こし、今にもその機能を失いそうなほどに破壊されていた。旦那の膂力と、振りの速さがそうさせるのだ。
「先の相手から奪った奴でしたものね」
俺は動じることなく、優男の
「一振りで逝くかもしれんが、きっちり頼むぜえ?」
遺体から刀と鞘だけを奪い、懐紙で土塊などを落とし、納刀する。もう何代目かなんて数えてもいないが、暫くの間はこの長刀が旦那の愛刀となる。
「どうぞ」
「フン」
俺が捧げるように差し出した長刀を、旦那は無造作に腰に下げた。長さや重さも異なる刀を、どうして難なく扱えるのか。
「どうしたぁ」
旦那が、太い声で問うてきた。俺は思わず身をすくめた。どうやら、疑問が表情に出ていたらしい。
「いや、その。今度の刀は長えから、その」
「振りに狂いが起きねえのか、ってかぁ?」
「め、滅相もない!」
旦那が腰を折り、覗き込んで来る。俺は首をブンブンと横に振った。そうだった。俺の師事するお方が、刀の長短ごときで扱いかねる訳がない。しかし旦那は、おもむろにうなずいた。
「……え?」
「狂わない訳がねえだろうがよぉ。刀ってのは、一本一本異なるもんだ。いくら俺でも、多少は狂う」
俺は少しだけ驚いた。旦那ともあろう人が、自分の不利を素直に認めるとは思わなかった。だが直後、旦那は俺に向けて長刀を抜き放った。
「おっとぉ!?」
俺は慌てて、下へとしゃがんだ。刀は凄まじい速さで上を通り抜け、わずかな風が、俺の蓬髪を撫でていった。
「その狂いをねじ伏せるのが、俺の剣だ」
旦那が長刀を操り、鞘へとしまう。刀に壊れた様子はない。俺でも避けられた辺り、本気の振りではなかったのだろう。
「余計な時間を食った。行くぞ」
「へ、へい!」
旦那が下山道に首を向ける。俺は足早に旦那の前に立ち、山道を駆け下り始めた。すでに日は、傾き始めていた。
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