月の王子様

枡本 実樹

白い月の夜に

午後八時。塾の帰り道。

疲れたぁー。受験生はツライよ。

自宅までの短い道のりを、とぼとぼと歩く。

頭の中は、来週のテストのことだけ。

苦手な公式を攻略して、あとは暗記をひたすらやるしかない。

A判定を維持しないと、同じ塾のクラスだけでもライバルは多い。


中学生活は残りあと少しなのに、考えないといけないのは勉強のことばかり。

つまんないなぁ。

「はぁぁぁ。」

ため息が、声になってもれる。

ふと見上げた空には、いままで見たことのないような、大きな白い月が出ていた。

今日は満月かぁ。おっきいなぁ。


夕方、サァーッと降った通り雨が、空気をキレイにしてくれたらしく、洗いたての街の景色は、とても澄んでいた。

今夜は、月の光がどこまでも照らして、街灯が必要ないくらいに明るい。

そこかしこにある薄い水溜まりは、白い光が反射してキラキラしている。

街路樹から時折ぽたりと落ちてくる水滴が、波紋を描く。


以前、『今夜はスーパームーンです!』とニュースで騒がれている日に、ウキウキとして空を見上げたことを思い出す。

あの日でさえ、『こんなものかぁ。そんなに大きくないんだなぁ。』なんて思っていたのに。

あの日の何倍もあるような大きさの月に、つい立ち止まって見入ってしまう。


こんなに綺麗で大きな月、騒がれもしないフツーの日に見れるものなんだなぁ。

そんなことを思いながら、また歩き出す。

遠くから聴こえてきた犬の遠吠えに、なぜだか狼を思い出しちゃって、これじゃあ狼男も変身したくなっちゃうよねー。なーんて、どーでもいいことを考えながら、いつもの道を、いつも通り、水溜まりをよけながら歩いた。



彼と出逢ったのは、そんな日だった。



自宅近くの公園前。

「あーあぁ。曇り止めスプレーしてくるの忘れてた。」

湿気で曇った眼鏡を拭きながら、ボケーッと歩いていたのがいけなかった。


———トンッ。

人にぶつかってしまった。

急いで眼鏡をかけ、ガバっと頭を下げて謝る。

「すみませんっ!」


顔をあげて、一瞬、時が止まった。


———ッ。


そこに立ってたのは、ウサギの王子様だった。


———ん???


いや、そんなはずはない。

だって、いま、塾の帰りだし。

今日は、いつも以上にテストを頑張ってきた。

だから、夢じゃないはず。

でも、おかしい。

瞬きしても姿の変わらない人物に、目が釘付けになった。


あ、ウサギの王子様というのは、その彼を見た瞬間、なんとなく思い浮かんだことで、巨大なウサギとか、王冠を被ってるとか、派手な色のキラキラした服とか、絵本でみるような王子様ルックをしてるとかではなくて。

なんとなく。

そう、なんとなく思ってしまったのだ。


わたしより頭二個分くらい、背の高い男の子。

クラスで一番背の高い男子より、もう少し高いくらいの身長。

細身のスラッとした体型。

プラチナ色のふわっふわの髪に、同じ色のウサギみたいな耳。

色白の肌に、綺麗な瞳。片方は茶色くて、片方は青色の瞳。

白の大きめパーカーに、白の細身のパンツ。そして白のスニーカー。

いや、まんま。ウサギ。の王子様。


あまりの綺麗さに、声を失う。

プラチナ色のふわふわの髪とその耳。

そして、こちらを真っ直ぐに見る透き通った瞳に、釘付けになってしまった。


「ごめん、なさい。」

ペコリと頭を下げながら、ウサギの王子様はたどたどしく謝る。

低音で通る声が、耳に残る。


あ、日本語、話せるんだ。

「いえ、こちらこそ。その、前見てなくて。ぶつかって、すみませんでした。」

焦って口走りながらも、言葉が通じることに、なんとなくホッとしていた。


「あ、あの、何処からいらしたんですか?」

いま思うと、なぜあんなことを訊いたのか、わからない。

恥ずかしい。自分がハズカシイ。

咄嗟に、口をついていた。

もしあの時に戻れるなら、もっと気の利いた言葉を発したい。

叶わないけど。・・・。ハズカシイ。


彼は一瞬目を見開いて、その後ほんの数秒、考えた顔をして。

右手の人差し指を月に向けて指し、その先をそっと見上げたあと、わたしの方を見てニコッと微笑んだ。


———やっぱり、ウサギの王子様なのか。


いま思えば、本当におかしい話なのだけど。

その時はなぜか、純粋にそう思ってしまった。

しかも、ただのウサギの男の子ではなく、雰囲気と所作の美しさで、王子様決定!という。

ヘンな話なのだけど、でも。

それくらい違和感がなかった。


【 ウサギの王子様 】

  あの月の光が似合う、綺麗な姿。


自分で勝手に付けた名前が、その外見とかもし出す雰囲気にピタリとはまった。

あ、見惚みとれてる場合じゃない。

遠くに行きかけていた意識を元に戻して、言葉を探す。

だけど、この時もまた、気の利いた言葉なんて出てこなかった。


「そう、なんですね。あ、あの、それじゃ。」

ペコリと頭を下げ、わたしはその場を立ち去った。

去り際、王子様が微笑みながら手をヒラヒラと振ってくれているのが見えた。

しばらく進んでそっと振り返ると、もうそこに王子様の姿はなかった。



その後、王子様がどうなったのかはわからない。



だけど。

家に着いて、お風呂に入って、髪を洗うときに目を閉じたら、あの王子様の微笑んだ顔が浮かんできて。

気にしないでおこう。と思うのに、寝ようとベッドに横になったら、やっぱりあの王子様のふわふわの髪と耳が気になって。

まぁ、寝てしまえば忘れる。と思ってたのに、起きても気になって。


通学途中、友達に『おはよう!』って声をかけられるまでは、あの王子様のことが頭から離れなくて。

昼休みに図書館で本を読んでいても、いつの間にか本の文字は頭から消えていて。

移動教室に向かう途中、ぶつかってきた男の子の『ごめんっ!』って声に、あぁ声が違うなぁ。って思いながらハッとして。


なんなんだろう・・・。

気付けば、そんな風に何日も過ごしている。

塾の帰り道、あの公園の前を通る時、気になって公園をそっと見てみるけど、王子様どころか誰もいなくて。


誰だったんだろう・・・。

空に浮かぶ、いつも通りの大きさの月を見て、帰っちゃったのかな?

なーんて、思いながら、歩く。


冷静に考えたら、こんなフツーの街に、月から誰か来るわけなんてないし。

あんな人間みたいで、日本語も話せて、ウサギの王子様なわけないし。

あーでも、耳。ふわっふわの髪にプラチナ色の耳、自然だったもんなぁ。

とか、なんかもうワケわかんないことばっか考えてばかり。


普段メルヘンちゃんでもなんでもないはずなのに。

どうしたんだろ、わたし。

疲れてるな。



受験生なのに。ダメだ勉強しよ。うん、忘れよう。

よぉーし、勉強、勉強。

国語のテキストを開いて、ノートをまとめる。

わからない言葉を調べようと辞書のページを開くと、テキストとは関係のない言葉が目にとまる。


恋煩こいわずらい 】

  好きな人のことで頭がいっぱいになり、仕事や学業が手に付かなくなったり、

  食欲や睡眠欲が減退したりすること。


———ッ!


恋煩い。

恋かぁ。煩う。確かに。

でも、なぁぁ。

ウサギの王子様に恋してる。とか、ねぇ。

言えないよなぁ。友達には。

ウサギ。だもんなぁ。

いや、いやいや。人だった。うん、人。

でも、月の人。なんて、ね。

宇宙人に恋してる。とか、ねぇ。

言えないよなぁ。

だって、ヤバいやつになる。

ひかれるか、避けられるか。どっちかよね。

はあぁぁぁ。どうしよう。


漫画や小説や映画じゃない。

物語の中。じゃなく、出逢った彼。

目の前に、実在した。


でも、誰かわからないし。

あれから会えないし。

たぶん、もう会えないし。


でも、忘れられない。

あの笑顔が、消えない。

記憶から消せない。


人に言えない。

たぶん、言っても信じてもらえない。

でも、本当に居た。あの日、あの場所に。

ウサギの王子様。


人に言えない。

どうしよう。

でも、たぶん。

間違いなくわたし、彼のことが ——— 好き。だ。


あーあぁ。、ばっかり。ダメだなぁ。

「はぁぁぁぁぁぁぁ。」

ため息がもれる。



誰にも言えない。

だけど。言えなくても、大切な想い。



綺麗な月が見える日は、空を見上げて願う。

もう一度、彼に逢いたい。











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