第2話
「んで、なんでそれがお前んちでストゼロ十缶空けることになるんや」
その翌日、夕方六時十五分、三十分の突発労働を終えた俺は館の近所のチェーンの居酒屋の前を通過して、なぜかドアホと一緒に電車に揺られていた。ザ・大学生みたいな格好の奴の隣に、ごつめのアクセサリーだらけで緩い服着た明らかに年上の長髪男性が座って話していたらさすがに変だろうという俺の抗議はあっさり下げられ、おかげで俺たちの周りにだけ妙な空間ができている。
「いいじゃないですか。うまいですよ、ストゼロ」
「やけどなあ、ストゼロ十缶て千円とか千五百円やろ? もうちょい何かなかったんかいな」
「でも、俺も十缶飲みますよ? ヤマトさんが無理な分も全然飲みますし。それにおつまみ色々買ってあるんです、良い感じのチーズとか、出前の韓国チキンとか。全部こみこみで二回占ってもらうぐらいの額になりました」
「……お前、本気か?」
分かりやすくため息をついた俺に、このドアホはしれっとした顔で頷いた。
「それにヤマトさんだって、結局今日のお給料出たんでしょ? 昨日の迷惑料と今日のお礼ってことで、ストゼロ十缶行きましょうよ」
「お前、ほんまにアホやな」
俺のぼやきなんてはなから聞いていないのだろう、ドアホは車内アナウンスに顔を上げると次で降りますよ、と何とも浮ついた声で俺に言った。
***
昨日勝手にぶちまけた事情とアホさ加減のわりには、ドアホの家はすっきりしていた。1LDKにトイレとバスルームのこじんまりしたアパートの一室は、しかし、大量のストゼロを見境なく傾ける家主によってすぐさま混沌の舞台へと様変わりした。
「ねえ~ヤマトさん~いいかげんお前じゃなくて名前で呼んでくださいよ~お~」
仰向けに寝転ぶ俺の視界いっぱいに広がる、酔っぱらったドアホ――もとい
「ほらあ~、はるひこ~って。さんはい、はるひこ~」
一人で勝手に音頭を取って、返事がないと顔やら胸やらをべたべた触ってくる。ストゼロ十缶に俺の飲み残しまで飲んだ酒乱学生の息が顔中にかかる。めちゃくちゃ暑苦しい。
「ッ飲みすぎやぞ、ええ加減にせえ!」
怒鳴って体の下から這い出そうとしたが、東彦はそれを許してくれない。というか、俺が今寝転がっているのだって、元はといえばべろんべろんに酔っぱらった東彦がカノジョの話をしていたと思ったら突然押し倒してきたのだ。おまけに全身を撫でまわしてきて気味が悪い。
「だいたいお前、女はどないしたんや! 中学高校と浪人の一年ムダにしたから大学でこそモテたいて、お前占いでそう言うとったやろ!」
「うーん、でもヤマトさん、恋愛運までは占ってくれなかったじゃないですかあ」
「それはお前が将来の結婚運にしてくれ言うたからやろ。俺は言われたとおりに占ったからな!」
「じゃあ、今ここで占ってくださいよ」
突然東彦が真顔になった。頬は赤いし全体的に顔は緩んでいるが、少なくとも目つきは真面目なそれに変わっている。
「ああ? えっと……そうやなあ……」
その変化につられて、俺も思わず真面目に東彦の話を思い出していた。生年月日、星座、その他もろもろの情報を記憶の底からほじくりだして、ぼやけた頭で結論を導き出す。
「あー……せやなあ……『待ち人 来る』ってとこちゃうか」
このときは、俺もたいがい酔っていた。ふやけた思考から出てきた適当な言い回しに、東彦は一瞬ぽかんと目を見開いたが、やがて大声で抗議しながら俺の上にのしかかってきた。
「ちょっとお~! 何ですかそれ! 何その神社のおみくじみたいな! もっとちゃんと占ってくださいよお~ねえヤマトさん~おれストゼロ十缶貢いだじゃないですかあ~」
「ッおい! 乗るなアホ! 待ち人が来るんやからそのうちできるちゅうこっちゃ、ちょっとは考ええ!」
怒鳴ってもがいて、予想に反して重たい体を押しのけようと躍起になる。対する東彦は俺の反抗にもめげずに、いつですか、だれですかと至近距離まで顔を近づけてしつこく聞いてくる。ねえ、ねえ、と繰り返す東彦ともみ合ううちに、下半身に嫌な感触がぶつかってきた。
「ッドアホ! 放さんかい!」
悲鳴のような声を上げた途端、俺は東彦に捕まった。口を塞がれ、呼吸を奪われ、全身を押さえられて、ただ酒臭い息と唾を交換しあうだけの時間。それが過ぎたあと、俺の中には純粋な高揚だけが残っていた。
「ねえ、ヤマトさん」
東彦がじっと俺を見つめている。
観念した俺がこのアホの女になるまで、そう長くはかからなかった。
ストゼロボーイと占い師 故水小辰 @kotako
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