転校生は最後に謎を解く

小石原淳

しかし最後の謎は解けないまま

 僕、藤木大河ふじきたいがは親の都合で、中三の十一月という半端な時季に転校が決まった。進路については転校先が中高一貫校で、編入試験の成績が幸いにも基準に達し、そのまま高校に進める。

 問題は他にある。心残りが二つ。その一つが文化祭だ。

「文化祭まではいるんだよな?」

 長い付き合いの原島はらしまが聞いてきた。

「いや、十一月一日に引っ越しだから」

「えっ。せめて文化祭は一緒に楽しもうぜ」

「そうしたいけど無理なんだ」

 文化祭は文化の日に催される。原島はそれまで家に泊めてやるからとまで言ってくれた。ほんと、嬉しくて涙が出そう。

 現実は厳しい。向こうの学校でのスケジュールがある。

「気持ちだけで充分だよ」

 僕はそう宣言することで、自身の未練にも決着を付けた。

 だけどもう一つの心残りは、気持ちの切り替えだけでは難しい。好きな女子に何も言えていないのだ。

 石井怜奈いしいれなさん、髪が長くて眼鏡の似合う人だ。彼女とは三年になってやっと同じ組になれた。ただ、知り合ったのはもっと前。図書委員の仕事を一緒にし、推理小説が好きという共通点のおかげで親しくなり、僕の方は好きになったんだけど、告白には至ってない。

 告白しないままで来たのは僕に勇気がなかったせいもあるが、同じくらい大きな理由が別にある。三年生になって間もない頃、僕の幼馴染みの高田美琴たかだみことさんと石井さんとがちょっとしたトラブルになったんだ。

 高田さんとは縁があるのか、小学校時代からずっと同じクラス。石井さんとは正反対のタイプで、ショートカットで運動全般が得意。中でも空手は学校とは別に道場に通っており、かなり強い。

 さて、好きな女子と幼馴染み女子との間にどんなトラブルが起きたのか? 高田さんが石井さんの眼鏡を壊したのである。しかも顔面に空き缶をヒットさせるという珍しいシチュエーションで。

 高田さんが僕に空手の新技を披露すると言い出したのが、そのきっかけ。僕の頭にジュースの空き缶を載せ、高田さんがハイキックで缶を蹴り飛ばす。それだけだ。あ、ちなみにそのときの高田さんは学校の制服じゃなく、ジャージ姿だったよ。

 放課後、場所は運動場の片隅。絶対に動くなと命じられた僕は、トーテムポールのように立っていた。高田さんは開始の合図もなしに、いきなり蹴りを放ち、あっさり成功。その蹴り飛ばした空き缶が、たまたま通り掛かった石井さんの顔目掛けて飛んで行った。

 もちろん、高田さんは人のいない方向、塀際目掛けて蹴ったんだ。そんなとこに人がいるとしたら、草むしりでもしているか、あるいはボール拾いぐらいだ。

 石井さんがいた理由は後者に近い。下校して外に出た石井さんに、一陣の風が吹いた。彼女は手に葉書サイズの紙を持っていた。突風に舞った紙が塀を越えて校内に。石井さんは拾いに戻り、しゃがみ込んで探していたらしい。直後に僕らが野次馬込みで来て、気付けなかった。

 幸い、石井さんは鼻からおでこに掛けてちょっぴり赤くなっただけで出血はなし。眼鏡もフレームが少しが歪んだのみで済んだ。それでも僕らは大慌てで、特に高田さんはおろおろ。石井さんが「気にしないで。次はもっと気を付けてくれたらそれでいいから」と言ったけれど、高田さんがせめて眼鏡代の弁償とお詫びをと粘った結果、修理代を持つことで収まった。

 で、こんなことがあったあと、石井さんに告白したとしたら、僕はどう見られる? 高田さんの粗暴さに呆れて石井さんを選んだ、みたいに解釈されるのは本意じゃない。気にしすぎだとは思うんだけどね。


 文化祭の出し物、おばけ屋敷のチェックを始めようというときだった。黒雲が全天に垂れ込め、遠くで稲光が明滅し、雷鳴もし始めた。この上、暗幕を引くから、教室内は本当に真っ暗になる。おばけ屋敷をやるにはうってつけだ。

 尤も、文化祭当日は晴れてくれないと、客足に響く。そのとき僕はいないと分かっていても、気になるものだ。

「じゃあ暗さ体験と行こう。どの程度の灯りがいるかとか、問題点がないかを見てみて、何かハプニングが起きたときに対処できるようにしなくちゃいけない」

 委員長の村岡むらおかが号令を掛けた。

 教室にはクラス全員がいる(担任は不在)。皆、体操着姿だ。机と椅子を端に片してなるべくスペースを取った上で、床にテープを貼り、おばけ屋敷のセットの位置を表している。

「暗いのを利用して、いたずらすんなよー」

 原島が冗談めかして声を張った。何人かの笑いを誘う。直後に村岡が電気を消した。想像していたよりも暗く、何も見えないレベルだった。思わず、「う」と声を漏らしたが、そこまで驚いたのは僕一人だけだったみたい。みんなよく平気だな。目が慣れてくればまた違うんだろうけど、現時点では隣の人が誰なのかさえ分からない。

「問題点を見るどころじゃなさそうだけど、少しだけ動いてみようか。危ないと思ったら止まって」

 村岡の声に応じ、皆が探るような足取りで動く気配が、何となく伝わってくる。が、すぐにわいわいがやがやし始め、これなら少なくとも人がどくらいの距離にいるのかは分かる。ただ、人数が多すぎると、あっちこっちで声や音がして、逆に混乱しそうだ。

 と、そのとき。

 きゃー!とドラマなんかで聞くような悲鳴がした。続いて何だどうしたという声。

 部屋が明るくなった。教室の電気のスイッチのそばから離れないでいた村岡が入れたのだ。

 眩しさの中、悲鳴のした方向、教室の下手を注目する。そこには高田さんがいた。そして近くにもう一人、石井さんが立ち尽くしている。教壇側から見て左が高田さん、右が石井さん。高田さんはいつの間か、体操服の両袖ともたくし上げていた。注射を打ってもらう前みたいだ。そして左手で右手の二の腕辺りを押さえている。

「今の悲鳴、高田さん? どうかしたの?」

 副委員長の黒澤くろさわさんが進み出て、高田さんに聞く。

「切られたみたい。カッターナイフで」

「ええ?」

 驚きは副委員長から他の者へと伝わり、室内が一気に騒がしくなる。すかさず、村岡が「静かに!」と鋭い調子で注意した。普段なら簡単には収まらないが、カッターで切られたなんて普通じゃないからか、速やかに静かになった。

 それから村岡と何故か原島の二人が出て来て、他の面々が無闇に動かぬよう目を光らせた。

「見せて」

 黒澤さんの求めに応じ、高田さんが押さえていた左手をのける。見えづらいが、五センチ近い真っ直ぐな赤い筋ができていた。

 黒澤さんは取り出したハンカチを高田さんの右二の腕に巻いた。手際がいい。そういえば副委員長はガールスカウト経験者だっけ。

「高田さん、しばらく辛抱できる?」

「そりゃこの程度、空手に比べたら。保健室に行く必要もないよ」

 強がるでもなく、平然と言ってのけた高田さん。悲鳴を上げたのが嘘みたいだ。

「一応、保健室で診てもらうべきね。ただし行く前に、ことがことだからはっきりさせておくのがいいと思う」

「賛成」

 間髪入れずに村岡が同意。「下手に騒いで先生に知られると、出し物ができなくなるかもしれない」と先を読んだ発言に、場の流れは決した。

「あったことを話して」

 黒澤さんの呼びかけは高田さんと石井さんに向けてのものだったが、石井さんはさっきから黙ったまま。高田さんが答えた。

「カッターナイフで切り付けられたのよ。暗さを利して、忍び寄ってきたんじゃないの」

 そして石井さんの方に視線をくれる。ここで初めて石井さんが口を開く。

「してない」

「他に誰がやれたのかしら。距離的に届かないんじゃ?」

 確かに。点灯時の立ち位置から判断すれば、高田さんに手が届く距離にいたのは石井さん唯一人。

「投げつけたのかもしれない」

「カッターを? 距離がある上に暗いのに?」

「たまたまうまく行くことだって、ないとは言えない」

 石井さんは淡々と反論する。高田さんもいつもの彼女に比べれば、だいぶ落ち着いているが、怒りがにじみ出ている。

「待って。問題のカッターはどこ?」

 黒澤さんが大事な指摘した。そう、僕も当初からカッターナイフの行方が気になっている。石井さんは何も持っていないし、見える範囲の床に転がってもいない。あるとしたら机の下か机の中。それ以外の場所、たとえば掃除道具入れのロッカーや窓のレールの溝なんかはいずれも遠く、咄嗟に隠すのは無理だ。

「あの」

 僕は挙手してから、カッターナイフがありそうな場所について、考えを述べた。

「じゃあ俺と委員長で探そうぜ」

 原島と村岡が探し始めて二分もしない内に見付かった。片付けてある机の下、奥の方だった。机と椅子は二段重ねにしていて、カッターが見えなかったのも道理だ。

「ちょうど二人の中間辺りか」

 村岡が言うと、高田さんがすかさず、「蹴り込んだら余裕で届くわ」と主張。さらに「そのカッター、石井さんの物に似てない?」とまで言い出した。

 言われてみると僕も見覚えがあるような。色といい形といい、そっくりだ。

「どう?」

 黒澤さんはカッターを原島から受け取ると、石井さんへ近付きよく見せた。次の瞬間、石井さんが眉根を寄せるのがはっきり分かった。

「……私のかもしれない」

 何と、自ら認めた。

 高田さんが「ほら見なさいよ」と声高に言ったが、何となくおかしな空気を感じたのは、僕だけじゃあるまい。万が一にも石井さんが犯人としても、自分の持ち物を凶器に選ぶ? しかも自分の物だとあっさり認めるなんて。

「白状したらどう?」

「待った。落ち着いて」

 詰め寄りそうな勢いの高田さんの前に、村岡が立ちはだかった。

「もし石井さんがやったとして、理由は」

「簡単よ。空き缶事件を根に持ってたのよね? それで今日、暗闇を利用して仕返ししたんだわ」

 空き缶事件は全員が知ってる訳ではないため、原島が簡単に説明。すると途端に、だったら石井さんがやったのかも、という流れができた。

 いくら何でもそれはない。僕の知る石井さんなら、怒るのはあのときあの場でだ。でも、実際はそうしなかった。あの場で高田さんを許した彼女の言葉や表情に、嘘偽りはなかったと、僕は天に誓える。

 しかし場の空気は悪くなる一途。高田さんと仲のいい女子数名まで、石井さんに非難の声を浴びせた。石井さんは何か言い返したが、小声で聞き取れない。

「みんな聞け!」

 僕はたまらず声を張り、二度目の挙手をした。実はあることが心に引っ掛かっていたんだ。まだ形になっていないから不安はある。でも、石井さんを窮地から救うには、今黙ったままでいられるものか。

「何だ、藤木」

「疑問がある。それをはっきりさせたい」

「石井さんがやったとするには疑いがあるってか」

 原島はにやつき、挑発的な口調で念押ししてきた。こいつ何面白がってんだとむかついたが、冷静でいようと努めた。

「そうだよ。自分のカッターを使うのがおかしいし、暗い中、一回で高田さんの細腕を切り付けるなんて神業じゃないか」

「ば、ばか」

 細腕と評されたのが居心地悪いのか、高田さんが腕をさする。

「偶然一発で成功したのかもよ。実際には何度かカッターを振ったかもしれない」

「そうだね。投げたカッターが当たるのも偶然、一回で切り付けに成功するのも偶然だ」

 僕は高田さんの態度に動揺を見た。

「高田さん、教えて欲しいことがあるんだ」

「何よ」

 質問を発する前に、多少逡巡した。ここで追い詰めかねないことを言っていいのか。しかし石井さんを守るには皆の前で言わないと効果がない。

「どうしてカッターナイフだと分かったの?」

「ん?」

 口を半開きにし、首を傾げる高田さん。他の人達もぴんと来なかったか、反応は鈍い。

「あの暗闇では、切り付けられた当人だってカッターかどうかは見えないよね」

「明るくなってから言ったわ」

「確かにそうだけど、あの段階ではカッターは未発見。他の可能性は浮かばなかった?」

「そ、そうよ。教室にある刃物といったら」

「ハサミがあるし、僕は五徳ナイフも持ってるよ。第一、やられてすぐ、刃物で切られたって分かるものかな? 刺されたのならともかく」

 刺されたとは我ながら縁起でもない発言と思ったが、後悔はない。僕の推理通りなら、高田さんは石井さんに酷いことをした。

「音が聞こえたのよ。直前に、ちちちって。カッターの刃を出す音だわ」

「なら、実験だ。さっきみたいにざわついてて、雷も小さくだけど鳴っている。そんな状況で、本当に刃を出す音が聞き取れるのか」

 僕は村岡へ目配せをした。電気のスイッチを頼むという意味だけど、伝わったかな。さらにカッターナイフを渡してもらおうと、黒澤さんに手を差し出す。

 だが、受け取る前に高田さんが応えた。

「分かった。認めるわ。この騒動、自作自演のお芝居よ」

 ハンカチを外し、隠れていた箇所が露わになる。近くで見て、赤い傷口に見えたのは、赤ボールペンで引いた線と分かった。

「暗くなってからタイミングを見計らって、叫びんだの」

「線を書いたのはいつ? ああ、予め書いていて、長袖で隠していたんだね。何でまくったんだろうと変に感じたんだ」

 そういえばみんなは驚いていないのかな、この成り行きに。まだ信じられないというのか? ならば巻き込まれた石井さんは? 彼女を見ると口元を両手で覆って、何か泣きそうになっている。僕は高田さんに理由を聞いた。

「何でこんなことを」

「それに答えるには、逆に質問しなくちゃね」

 自作自演という大それたことをしておきながら、堂々としている高田さん。さばさばしたとか、開き直ったとかではない。

「石井さんが絶対的に不利な立場だったのに、何故彼女の味方をしたの?」

「――」

 ミステリ好きとして真実を知りたかったから……ではないな。石井さんを信じたからだ。では何故信じたのか。

 転校前の心残りを片付けるには、今がちょうどいい機会みたいだ。

「石井さんを好きだから」

 クラス全員がいる場で告白とか、恥ずかしいにもほどがある。けれどもじきに去る身だ、もう気にしない。

 と、肝を据えたつもりでいたんだが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。顔が熱くなるのを自覚した。

 そこへ――拍手と歓声がみんなから沸き起こった。

「おめでと!」「よく言った」「やっと告白しやがったよ」「用意した答を見付けてくれないかとハラハラしたわ」等々、色んな台詞が重なって聞こえて訳が分からない。

 戸惑う僕の横を通り過ぎ様、高田さんが僕の背を押した。よろけた僕は、石井さんの横に並ぶ形になる。

「あの、これって」

 石井さんを見て、次いで高田さんや原島、委員長達を見やった。

「素直になれる舞台を用意してやったんだ。感謝しろ」

 みんなグルだった。僕が石井さんに告白しやすいように、わざわざこんな大芝居を。ばかだねえ。でも、嬉しかったよ。僕だけ仲間外れにされたのに、全然嫌な気持ちがしなかった。


 その後、石井さんと遠距離恋愛をしつつ、高田さんがどうしてあそこまで協力してくれたのかがちょっと気になっている。探偵気取りの僕にも解けない謎だ。

 けど、高田さんが石井さんを認めていたのは、間違いない。


 終

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