出雲とヤマトの接点

 ヌナカワが夫オオナムチとの離縁をしてからというものの、健は努めてまつりごとに参加し、コトシロヌシの近くに居るようにした。

 ひとつは出雲の交易関係から高志や、その女王ヌナカワを孤立させないこと。

 もうひとつはコトシロヌシを観察することであった。


 ヌナカワの実子――という設定だが、息子である自分まで出雲と距離を置くような真似をすれば、高志や科野に謀反の疑いすら掛けられかねない。

 あくまで両国は出雲と歩調を合わせているとアピールする必要があると感じたのがひとつ。

 加えて科野は先代の王サカヒコが実質的に統治してくれているので、健も安心して留守を任せることができたというのもある。

 コトシロヌシに張り付いていれば彼が行うまつりごとに同席する機会も増えるし、ヤマトや各国の動きも耳に入る。

 健や乙姫にはそんな目算があったのだが、それは容易く崩れる。



『今度はなんか南方くんが出雲に入ったスパイみたいになったね』

「そんな冗談言ってる場合じゃないって。大変なんだからこっちは」

 ある日のこと。

 タケミナカタ用の私邸では、健が手回し式の充電器でスマートフォンのバッテリー残量を補充しながら乙姫とメッセージアプリを介した無料通話で会話をしていた。

 防災用ソーラータイプの充電器や予備のバッテリーは全て乙姫に預けたためだ。

 このあたりの待遇の差も、妻の尻に敷かれているという所以でもある。

『それでヤマトの動きはどう? あとあのお兄さんは?』

「いや、それがさ。逆に近くに居過ぎてこっちの動きも筒抜けだから。迂闊にヘンなことしたら全部コトシロヌシさんの耳に入るから、何も出来てないんだよ。僕が何か相談しようとしても、必ずそばに側近の人が居て離れないんだもん」

『なにそれ? じゃあ何も出来てないの? ぜんぜん意味ないじゃないのよ』

 通話先でも乙姫が容易に呆れていると分かった健は腐った様子で問い返す。

「だったら、弥栄さんの方こそ何か動きあったの?」

『諏訪湖のほとりで湧いてた温泉に入れるお屋敷が大きくなってたわ。守矢の人達がもっと立派にしてくれてたみたい。例の御柱もその周りにちゃんと立ってるよ。なんかお風呂も聖域って感じがしてるし、女中さんが監視してくれるから落ち着けるよ』

「そっちこそなんだよ。州羽に温泉旅行に行っただけじゃん」


 三輪山の麓に新たなクニが勃興し、交易路を寸断したせいで、浪速や墨江の港との往来は木の国の南端、すなわち紀伊半島を周回した海路か、淡海――琵琶湖を経由した陸路に限定される結果となった。

 その調査のため単身、科野の州羽に『帰郷』したヤサカトメこと弥栄乙姫は、この時代の父であり、科野の先代の王サカヒコの元を訪ねていたのだが。

 どう聞いても実家への慰安旅行のような振る舞いに健も愚痴や文句のひとつも言いたくなったのも事実だ。

『ずいぶんな言い方じゃない? お風呂なんかついでに決まってるでしょ? あたしだってちゃんと仕事してるんだから』

 すっかりと妻の尻に敷かれた恐妻家タケミナカタは、慌てて取り繕う。

「いや、そういう意味で言ったんじゃないけど」

『南方くんの言い方は、そういう意味にしか受け取れないやつだったよ』

「うん、まぁ、それはゴメンとして……そんで弥栄さんは何かわかった?」

『ヤマトじゃなくて例の三輪の名無しのクニなんだけどね。出雲から来た舟が浪速の港を経由して続々と入ってるって噂なんだよ。ちょうど南方くんが熊襲へ行ってた間くらい』

「出雲の舟? だって交易品の荷物置き場とか飯場はんばだった納屋はヤマトのせいで焼け落ちたんだよ? そこを再興するんじゃなくて三輪に?」



 それは、乙姫が科野に戻ってすぐの頃に遡る。

 彼女は温泉を堪能し、高志ですっかりと冷えていた身体を芯まで温めた。

 しかし、ここ州羽の海にも冬は訪れていた。

 乙姫がスマートフォンの地図アプリで見ると、眼前に広がる諏訪湖は現在よりもさらに水量が多く、沿岸部も広範囲に渡った。

 それでも厳冬には湖面が凍るくらい標高があるのだから、体感的には高志とさほど変わらないくらい。強いて言えば、凍てつく日本海の潮風が無いだけまし、といったほどだ。

 そんな彼女もこの時代の両親代わりとなっていたサカヒコとその妻と会話をした際に、新たな情報を仕入れた。

 それが先程の出雲の舟が多数、浪速の港にやってきては、武具や土器を乗せた牛馬が三輪を目指しているという話だ。

 交易で科野と各国を行き来する民が見聞したものらしい。

 話の信憑性や真偽の程は定かではないが、確度の高い情報なのは間違いなさそうであった。



『それでね、どうもあたしは出雲とヤマトってプロレスしてるんじゃないかって気がしてきたの』

「プロレス?」

『だって本気でヤマトを倒したいとか出雲を乗っ取りたいなら、お互い殲滅戦に持ち込んでもいいはずだよ。だけど、長門の豊浦とようらとか、筑紫島の北の方でチャンバラしてるだけなの、兵力が拮抗してるとかっていうにしても、向こうも本気な様子が見えないし、コトシロヌシのお兄さんも一気に攻め返すこともしないし』

「お互いの陣地を焦土にはしたくないでしょ? 統治するにしても焼け野原だったらうまし国に戻すのも大変だろうから」

『それって戦争って呼べる? 普通は絶対欲しいものがあるなら強奪するじゃない。そこがモヤモヤするのよ。だからそれを調べるために、あたしが科野のスパイを放ったから。いちおう国王である南方くんの耳にも入れとかないとね』

「スパイ? マジで」

『そうよ。これからとっておきの情報が明らかになると思うわ。あのコトシロヌシと<大国主>にまつわる古代神話の謎ね。これはファンタジーじゃないわよ。れっきとしたミステリーだと考えて。要するに……』




 乙姫は州羽でも精力的に情報収集に当たった。

 それは当然ながらスマートフォンで得られる未来の情報と、家臣から得たこの時代の情報をひとつずつ突合させていた。

 特に対象としたのは、スセリ姫からの忠告もあったコトシロヌシ。

 掴みどころなく飄々として温厚そうでありながらも、冷静かつ冷淡で冷酷な面もある。それは数少ない面会ではあったが、乙姫自身も感じていたことだ。


「あのお兄さんが『今は葛城の鴨にす』っていうのが、どうしても引っ掛かるんだけどなぁ。それに宮中八神殿に、ひとりだけ出雲系の神様なのに祀られてて、オマケに出雲国の風土記には出てこない……」

 だが彼は国譲り神話では父である<大国主>に代わり、素直に国を譲った。

 結果として、国譲りに反対したタケミナカタがヤマトから追われることとなる。

「本当に海に身投げしたのかな? 青柴垣の舟をひっくり返したのは、出雲のクニをひっくり返したって暗喩とか? 呪いの柏手も手打ちって意味なら、それで手を打つってことにもなるだろうし……」


 なんとなくスマートフォンを眺めているものの、考えに夢中になるあまり、視界から入る文字の情報は全く脳まで到達できずにいた。

「コトシロヌシ、コトシロヌシ……」

 そうやって何度も彼の名を呟く。

 まるで恋患いをした少女のような振る舞いだ。

 だが恋多き娘・弥栄乙姫も、さすがに彼には不信感が募りもはや恋愛対象では無くなっていた。


「ん? ちょっと待って。これなに?」

 無意識に彼女の指は別の情報サイトに辿り着いていたようだ。

 すると出雲の王<大国主>ことオオナムチの情報に奇妙な一文を発見した。

「オオモノヌシ?『日本書紀』では大国主の和魂にぎたまとされて……国造りの際に御霊を三輪山に祀れば上手くいくって<大国主>が祀ったって……自分で自分の魂を三輪に祀ったってこと? ていうか三輪山ってあの通せんぼしてる三輪のクニなの?」


<大国主>と<大物主>。

 名を変えて行動するにしては少しばかり安直だと感じたが、そもそも彼の名前ではなく称号や愛称に近いものだというのは、乙姫もこの時代で見聞きしており、神話の解釈としてはほぼ同一視されているのは間違いないようであった。

「やだ! しかもオオモノヌシって神武天皇の義理のお父さん? あのモテ男はまだ隠し子でも居るわけ? っていうかなんで出雲の王族がヤマトの王族と一緒になってるの?」


 いや、息子のコトシロヌシも宮中八神殿に祀られている。

 ヤマトがのちの大和朝廷となり神話を編纂した際に、出雲への一定の敬意や配慮があったのは間違いないであろう。

 しかし他のクニとの差はどこにあるのか。

 豊秋津島で最も強大なクニだったというだけで、この扱いになるのか――。


 乙姫はインターネット上に散りばめられた彼に関する情報を集めてまわった。

 無論、調査の手は再び、その子コトシロヌシにも及ぶ。

 あるページに到達すると、彼女は指を止めた。

「うわ~、またなんかヘンなのに出てきた」


 奈良県と大阪府に跨る葛城山。

 西暦四百六十年。

 時の天皇である雄略天皇がそこで出会ったのが一言主という神。

 一言主神と事代主神の同一性を疑う文献もあるが、同一視した見解も多い。

 まして彼は『葛城の山に坐す』のだ。

 出雲の国体が崩壊した後も、葛城で生き永らえた可能性は限りなく高い。

「マジで怪しくなってきたわ、この親子……そうなると南方くんも気をつけるように伝えとかないと」



 しかし、いずれも後世の研究者や学者が考察のひとつとして論じたに過ぎない。

 もしくは全てが到底、真実だとは言えない記紀神話や風土記の描写である。

 乙姫にはまだ決定的な何かが足りないように感じた。

 

「直接、三輪や葛城を調べてみたいけど、さすがにあたしが自分で行って危ない目に遭ったら怖いし、どうしよう……」

 しかし、思い立ったらすぐに行動に移すのが彼女の信条。

 この時代の父であり前の王サカヒコが居る屋敷に向かうと、そこに家臣たちを呼びつけた。

 元から仕えていた者、従属した守矢の者、新たに合流した集落の者のうち、彼女が特に普段から小間使いや雑用を依頼している気の置けない――とは彼女が勝手に思っているだけかもしれないが――家臣たちだ。



「姫。いったい今日は何の御用か?」

 また浴場を造れとか、自分の屋敷をリフォームしろ、と無理難題が来るのではないかと、構える家臣たち。

 乙姫は普段と同じく気軽な注文といった風情で、三人の顔を順に指で差す。

「ねぇ、あなた達でちょっと三輪と葛城の様子をしっかり見て来てよ。特に大事なのは王様がなんて名前の人で、どんなことをしているか。どこのクニと交易してどこのクニと敵対しているのか。ヤマトや出雲の動きも併せて教えてちょうだい」

 三人の男は言葉を返すでもなく、互いの顔色を窺っていた。

「なに? あたしの指示が聞けないの?」

 腰に手を当てて三人を見返す乙姫。まさに女王然とした仕草だ。

「そうではないが……」

「じゃあすぐに偵察に行って。あなた達もここで名を上げたら州羽の中でも有名になれるわよ? あたしがお父さんとタケミナカタくんに口添えしといたげる」

 三人のうちの一人が諦めたように言葉を続ける。

「……交易の民を装うということでよろしいか?」

「それだと怪しまれるわ。もっと平民っぽい、地元の人に馴染むような感じの変装をして紛れ込むのよ」

「往復の道程も含めて五十の昼夜を数える程の時間をいただきたい」

「もうちょっと急げる? なるべく駆け足でね」

 しばし唖然としていた男達だったが、力無く頭を下げた。


 乙姫が呼びつけたのはイスハイ、カタクラベ、モリタという三人の男。

 後にタケミナカタとヤサカトメの御子神として、諏訪地方の民間伝承で祀られていく三柱の神々であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

越の翠華 ~僕と古代出雲大戦 邑楽 じゅん @heinrich1077

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ