おれの一等星
晴田墨也
第1話
おれは涼太を救いたい。何からって、その、ばかみたいにやかましく低俗な舞台から。
「さて、今日の脱アイドル勧誘のお時間です」
「お断りします帰ってくれ神様」
「やだーっ! 泊まっていく!」
「変なことしなければいいよ」
「したことないだろ、失礼な奴だな」
「怪しい勧誘をしてきただろ、たった今」
電気と熱でぎらぎらしている場所で、歌って踊ってにこにこと物腰柔らかに振る舞う男を、おれは子供の頃から知っている。
「あんな場所でお前を理解しない凡愚を相手にし続けるのは苦しかろうに。強情だな」
「いつも言ってるけど、共演者の人達を凡愚って言うのはやめて。テレビって色々難しいんだぞ、ああいうところで生き残ってるのはみんなすごい人達なんだ」
「お前よりは皆ばかだろう」
「そんなことないですー。ていうか、あんただって俺の出てる番組とか見てるだろ。こないだのライブなんか最前でサイリウム振ってたくせに」
「……よく見えたな」
「ファンサはいっぱいしたいからね」
「その観察力、別のことに生かせばいいのに」
「もー、しつこい」
涼太は昔から賢い子だった。家は貧しかったが、おれの社を管理する人間が取り付けた古ぼけた灯りの下で、毎日のように図書館の本を読んでいた。おとなしい子どもを珍しがって顔を出したおれをも成長の糧とする貪欲さが、気に入っていた。
貪欲さの向きが変わったのは中学生になった頃だったか。ダンスというものに興味を示した涼太が、教本やら何やらを見ながらおれの社で練習をするようになった。おれは、ダンスというものを見たのはそれが初めてだったが、俺の知る踊りとは違った激しい動きをするやつはなかなかどうして、面白いものだった。褒めながら眺め続けていたら、まあ、自信をつけたらしい。
思えば、おれが褒めたからこんなことになってしまったのかもしれないが。
とにかく、涼太は自分のダンスはなかなか悪くないのだと気づいてしまった。涼太の仲間も勘付いてしまった。そうして、高校に上がった頃、奴らは動画投稿サイトとやらにダンスの動画を投稿して——そこからの勢いは見事なものだったと思う。つい数年前まで片田舎のダンス小僧に過ぎなかったあいつらは、今や時代の寵児と呼んで過言でないほどの人気を博していた。
おれはむろん、涼太のダンスは好きだし、歌も好きだった。涼太の友達の孝も哲治も才溢れる男達だ。三人が楽しそうにしている今を悪く言う気は毛頭ない。
だが時折、口惜しくなる。
「てか、明日も朝から収録だから。もう寝ていい?」
「ああ……何の収録だ?」
「へへ、それがさ、技術や歴史なんかについての真面目な雰囲気の番組なんだけど、今回は町工場の特集なんだよね!」
「ほう」
寝たいと言い出したくせに、よほど翌日の仕事が楽しみなのか、涼太は身を起こして話し出す。何でも、JAXAの国際宇宙ステーションでも使われたくらい高い技術を持ったところで、残念ながら取材は別のタレントが行ったらしいが、解説をするために憧れの教授が来ることになっているので、その人と話すのが楽しみなのだと。
「大学行ってた頃に論文読んだことがある人だから、すっげー楽しみなんだ」
「そういうことならさっさと寝ろ。おれに付き合っている場合か」
「えー、自分で勝手に俺の部屋に入って喋ってたんじゃん。いいけどさ」
「おやすみ」
「おやすみー」
「……明日、楽しめるといいな」
「おう!」
電気を消してやると、いくらも経たないうちに寝息が聞こえてくる。それだけ疲労していたのだろう。おれは、こっそりリビングに戻って窓の外を眺める。都会の、やけに広くて白っぽい家具ばかりが置いてある、立派な部屋だった。暗い中にたくさんの小さい光がちらちらと浮かんでいる。あの子が育った場所とは違った風景だった。
……涼太は賢い子だった。勉強も得意だったし、小さい頃は「大人になったら宇宙工学をやる」のだと言っていた。「ロケット」を飛ばすのだとも。今は縁もない。明日の仕事のような、昔のあの子が目を輝かせそうな話も滅多にない。大学も、二足のわらじは性に合わないから、とほとんど通わないまま中退し、そのまま社会へ飛び込んでいった。
宇宙工学の研究者になってロケットを飛ばす、という夢は、叶わなかった。
おれは涼太のことを可愛がっていた。なにせ、出会ったばかりの頃のおれは無力な存在だった。おれが今おれとして在るのは、涼太が「神様」と名付けて、繰り返しやってきて観測し続けたからなのだ。可愛がらない理由がない。
涼太がおれを定義したからおれはおれでいられる。小さかった涼太が「神様」と呼んだからあいつの考える範囲の「神様」ができそうなことができる。ちょっとした奇跡が起こせるのもそう、人型を取ってライブに潜り込んでいるのもそうだし、きっちり鍵がかかっているはずの部屋に侵入できるのもそう。おれのすべては、涼太に依拠して出来ている。
とはいえ、生まれてしまったからには当然、自我がある。おれは、自分の正体が「神様」でないことを知っているし、万物が流転する中で生じたエネルギーのちっぽけな塊に過ぎないということも知っている。おれが起こせる「奇跡」はそれを使っているだけなので、例えば涼太達が大人に見出されたのがおれのせいでないことも、あんまり大それたことをやろうとしたらおれは「おれ」を保てなくなってしまうことも、理解している。
それでも、考える。おれがあいつのダンスを褒め倒さなければ、あいつは夢を叶えたかもしれない。おれがあいつを何らかの形で今の仕事から解放してやれば、今からだって遅くはない、大学に入り直して宇宙工学の研究者になる道があるかもしれない。面倒ごとは確かに多いが、多分、おれがおれを維持するのに使っているだけのエネルギーを使い果たせば十分成し遂げられる程度だと思う。大仕事だけれど、おれには出来る。
出来るけれど、まだやっていないのは、ひとえに涼太が望んでいないからで、……それが「おれの望み」でしかないことを理解しているからだ。
涼太は言う。
「夢を一つ叶えるには、別の夢を捨てないといけないんだよ。何かを得るには代償が必要だって、漫画でも言ってた」
それはまあ、道理だ。人間が金を使って何かを得るように、動物が狩りという労働を行って獲物を得るように。おれがおれになる前の記憶も経験もほとんど忘れる代わりに、涼太の定義した「神様」として存在しているように 。等価交換はおおよそすべての世界における理だ。
涼太は研究者になる夢を捨てて、ダンスと歌で食っていくという夢を叶えた。どちらかを選び、どちらかを選ばなかったというだけの話だ。
……それでも。この男の賢い脳みそが賢くない人間の中に埋もれていくのが、惜しかった。
涼太は、芸能界というのも結構頭を使うのだと笑うけれど。おれはやっぱり、今よりずっと小さな手で、図書館の本をめくりながら興奮気味にロケットの推進力や何かの話をしていた姿が、忘れられない。
☆
収録だとか生放送だとかいうのに、おれは着いていかないことにしている。こういう仕事をやり始めたばかりの頃、涼太が「やっぱ神様って写真とか動画に映らないのかな。ほら、幽霊とかって変な映り方するって言うじゃん?」と言ったときに、多分そうだろう、と返してしまったからだ。そう認識されているならばそうなる。なので、仕事中はおれも好きにしている。たいていは、社のある村へ戻って、そこらの家の雑事をこなしている。
今日は、涼太のじいさんの畑を手伝い、その隣の家の草刈りをこなし、それを見たはす向かいの家のばあさんに呼ばれて西瓜を食わせてもらい、その礼として雨どいの修理を手伝って、暗くなったし夕飯を食っていくかと聞かれたところで、そろそろ涼太が家に帰ってくる頃だと思ったので断って帰って来た。蒸し暑いので直接ベランダに姿を現し、首だけ部屋に突っ込む。
「わっ」
「うわ!」
「何だお前、またカップ麺か」
「びっくりした。なんで上半身しか部屋に入ってこないのさ」
「驚くかと思って」
「はいはい、驚いたよ……」
こいつは都会に来てから手軽に食えるものばかり食うようになってしまった。嘆かわしい、と首を横に振り、おれは勝手に冷蔵庫を開ける。
「野菜をちゃんと食っているかどうか、じいさんが心配してたぞ」
「村に行ってたの? 怪しまれないようにしなよ」
「そんなのはいくらでも誤魔化せる。今頃あいつら、西瓜が足りないなとか、雨どいが直っているなとか不思議がっているだろうよ」
「便利だなあ」
「おい、トマトがあるじゃないか、きゅうりも。水気の多いものばかり買って、調理せずに腐らせる気か」
「明日の朝食べるって」
「切ってやる、今食え」
「はいはい」
涼太にとっておれは常に神様だ。だからおれもこいつの想定する神らしい振る舞いをすることが多い。それはそうとおれには自我もあるので、涼太をすこやかに生かしたい感情がある。ややこしい。最近じゃおれも、おれが望んでいるからこうなのか、望まれているからこうなのか、そもそも「こう」と言っている範囲はどこまでなのか、大概よくわからなくなっていた。
まあ、いいのだ。おれは結局、こいつを気に入っているだけの存在なのだし。他の誰にとって神らしくなかろうともこいつにとってそれっぽければ成立する存在なのだ。
「ところで」
サラダを作ってやり、涼太の箸がそれをカップ麺の汁に沈めたのを確認して、おれは隣に座り込む。
「どうしたんだ」
「何が?」
「何か困っているか、迷っているか、凹んでいるかしているだろう」
涼太がぎゅうと唇を引き結び、尖らせ、頬を膨らませた。
「……なんで」
おれはひょいと片眉を跳ね上げ、鼻で笑うことを選ぶ。
「何年近くにいると思っている。お前の感情の機微くらい、ある程度把握できるようにもなるさ」
これは、おれとしての感覚。定義されたからではなく、純粋に慣れだった。声のトーンが低い。心ここに在らずの風情が滲んでいる。進路に悩んだ中学時代も、在学中にデビューすることを迷っていた時も、初めてつけてもらったダンスの先生とやらと喧嘩した時も、そういう気配があった。
「言え」
「……食ったら……」
「構わん」
神様は気が長いものと相場が決まっているらしいしな。
涼太がカップ麺を食っている間、暇なのでテレビをつける。ちょうど、孝がスポーツ系バラエティに出ていた。涼太の様子を窺うが、のんきに「あ、タカだ。これさ、見た目より難しいらしいよー? 結構苦戦してたみたいでさ」なんて言っているから、悩みは仲間とのいざこざではないようだ。相槌を打ちながらチャンネルを回す。
いくつか見ていると、哲治が出ている番組にたどり着いた。こちらはニュースを解説するバラエティで、アイドルである哲治は解説に対して疑問を呈する役を割り振られているようだった。
涼太が言うには、テレビの世界ではある程度言うことは決められているらしく、どんなに簡単なことであろうとも疑問を投げかける役ならば投げかけなければいけないのだとか。哲治は実際、ばかではない。ついでに司会者に「若い子はなんとかかんとか」とか言われて黙っていられるほど性根の優しいやつでもない。だが、仕事なので苦笑いで済ませている。それか、涼太や孝のために口をつぐんでいる。こいつも凡愚に埋もれるには惜しい男だ。
「……テツはすごいよなあ」
おれがフン、と鼻を鳴らした途端、隣から、ぽつり、と言葉が零れた。お、と思う。カップ麺もサラダの皿も空にした涼太がのそりと立ち上がり、流し台で洗い物を始める。
「何がだよ」
急かすことはない。おれはテレビの画面から目を離さないようにして気のない声を出した。流し台の水音に紛れて、涼太が少しだけ声を張り上げる。
「テツはさ、台本を絶対に守るんだよ。そういうところ、プロだなって思う。……俺、今日の収録で、台本にないことばっか喋っちゃってさ、後からマネージャーさんに怒られちゃった。来てた先生とか、司会者さんはいいよって言ってくれたんだけどさ」
調子に乗っちゃったなー、と笑う声は、思ったより元気そうだ。物思いの原因かと思ったが、と内心で首を傾げる。
「台本がすべてではないだろう」
「でもほら、俺らまだ新人の枠だから。大御所さんならやっても怒られないかもしれないけど、まだワガママはあんまり言えないっていうか……うん、でも、めちゃめちゃ楽しくてさ、今日の収録」
涼太が一人で笑う。
「ほら、ロケットの部品を作った町工場のやつ」
「ああ、言っていたな」
「そう! 宇宙ステーションのドッキングに使うボルトを作ってるとこだったんだけど、すごかったんだよ! SDCプラズマ表面硬化処理って技術で、ええっとこれは金属の表面に窒素や炭素を侵入させて表面の質を変化させる技術なんだけど、チタンのいいところを損なわないで耐摩耗性を上げられるんだ。名前は聞いたことあったんだけど、仕組みとかよくわかってなかったからいっぱい質問しちゃった。解説の先生もさぁ、すっげえいい人で」
そそくさとこちらへ戻って来た涼太は、俺にはいまいち理解できるようなできないような話を嬉しそうに話す。おれは頷いて聞きながら、少しだけ懐かしい気分になった。こいつのこういう、小難しいことを嬉々として話すところを見るのは随分久々のような気がする。
「でも、おかげでちょっと迷っちゃったんだ」
かくん、と。小さな石ころに躓いたみたいに、突然、涼太の声が落ちた。見上げると、視線が窓の外に行っている。夏の始まりの水気の多い空。都会では地上が明るすぎてほとんど星の見えない、空。
「先生が収録終わった後に呼び止めてきてさ。奥さんが俺達のこと知っててくれてるらしくて、俺が大学中退してる話も、宇宙工学に興味があることも知ってたんだって。それで……それで、俺と今日話してて、俺が本当に宇宙工学っていうか、こういう技術に興味があるのが分かった、って言ってくれて、大学に入り直さないか、って言ってくれたんだよ。研究室に来て一緒に研究しないか、って」
苦く笑う気配がする。
「おかしいよな。大学辞める時も、辞めてから今までも、全然未練なんかないと思ってたのに。……宇宙工学の研究なんて、やってたってみんながみんな大発見も大発明もできるわけじゃないし。人前で歌うのもダンスするのも好きだから、これだって縁がなきゃできない仕事だから俺はこれで生きていこうって決めたのに」
バカだよなぁ、と小さく呟いた声が部屋に溶ける。おれは、……何を言えばいいかわからなかったから、体を離して、よいせと膝立ちになって頭を撫でた。時間稼ぎだ。何にもならない行為だが、涼太は嫌がらなかった。
こいつは、多分どちらかに背を押してほしいのだと思う。アイドルならアイドルの道をちゃんと歩け、と言ってほしいのだ。それか、もとの夢を追え、と言ってほしいのだ。
……けれど、そんなことはおれが決めていいことではない。
おれは迷って、とりあえず、間を持たせるために問うてみる。
「……今の仕事、嫌か」
「好きだよ、嫌なことはあんまりない。ってか、まあ好きなことを仕事にしている中でくっついてくるんなら仕方がないか、って思える範囲。毎日刺激的だし、面白いよ」
「ロケットは飛ばしたいのか」
「出来るんならね。……でも俺、もう現役だったら卒業してるくらいの歳だし。もう受験勉強の内容もあんまり覚えてないしなー」
「そうか」
「……そう思っては、いるんだけど」
こいつは賢いので、昔おれに教えてくれた脳科学の話を覚えているはずだ。人間の脳はそう簡単には衰えないこと。忘れることはあっても、覚え直すことは可能なこと。歳をとってから大学に入って、ちゃんと卒業している人間が幾人もいること。おれがなぜそんなことを知っているかって、中学生の頃のこいつがどこかの本で読んできておれに話して聞かせたからだ。忘れるはずもない。
考える。おれは、涼太に幸せに生きてほしいのだ。どの道を選んだって、この子が笑っていてくれればそれでいい。それには、どうすればいいだろう。迷っている涼太のために、万能ではない「神様」のおれが出来ることは何だろう。
「……アイドルやりながら大学に通い直すのは……出来なくはないと思うけど、どっちかが中途半端になっちゃうと思うんだ。あんたは俺のこと褒めてくれるけど、そんな要領がいいわけでもないし」
膝を抱えた涼太がそんなことを呟く。
「でも……今はまだ辞めたくないんだ、俺」
それも、本心だろう。中学生の頃からつるんでいた仲間と努力して掴んだ居場所だ。好きなことをやって生きている今を手放したくない気持ちもわかる。
「……でも、……やっぱり、……」
幼い夢の力強さを知らぬおれではない。幼い言葉に縛られて未だ「神様」として在るのだから、当然だ。人間の思いは力点となる。言葉にしてしまえばなおいっそう強くなろう。もっとも、一つのものを二つの力点で引っ張っていたらいつかは千切れてしまう。それでは困る。
おれは口をへの字に曲げてまた考えた。どうすればいいのだろう。どうすれば、二つの心に引きずられた体がばらばらにならずに済むのだろう。すっかり大きくなった子どもを撫でくり回しながら一生懸命考えた。そうして、
「うん?」
はたと、気づいた。
「なに?」
「お前、今はって言っただろ」
「え?」
涼太は言った。今はまだ辞めたくないんだ、と。そりゃあそうだ。力いっぱい歌って踊って、人を楽しませて、人に愛されて。練習でぶち当たる壁のことだって愛してさえいる今、アイドルをやめるなんて考えもしないだろう。
けれども、裏返せばそれは、今でなければいいという意味ではないか。
「事務所との契約って何年なんだ」
「え、えっと、こないだ更新したのがたしか五年?」
「あと五年経ったらお前はええと……二十九だろう。そこから受験勉強をすればいいじゃないか」
「は?」
きょとん、と目を丸くする涼太に、おれはにやっと笑って見せる。
「浮世の義理を破るわけにはいかないだろうが、次の契約を結ぶかどうかはお前次第だ。だから、あと五年はこっちを一生懸命やるといい。そうしてどんどん売れて、事務所にとってお前が大事なものになれば、大学に通い直す間の活動休止くらい受け入れてくれるだろう」
「え、でも俺、大学入ったら絶対研究やりたくなっちゃうよ。休止じゃ済まなくなるって」
「そりゃわからんだろう。それに、仮に三十で大学に入ったとして、研究に本腰を入れることには四十が近くなる。休止するまでの間にお前がどれだけお前の価値を上げられるかによるが、その頃になったら研究者系アイドルとして売り出してもらえるかもしれん。実際ほら、だいぶ上の世代で農業系アイドルをやっている奴らがいるだろう」
「あれはまた違うと思うけど」
「今はまだ新人の枠だから仕事と学業との両立が難しいのは道理だが、案外その頃になったら多少わがままを言えるようになっているかもしれない。だから、今の契約が終わるまでの間は、この道を突き進んでみたらどうだ」
欲張りな発想だ。だが、神様というのは傲慢だと相場が決まっているらしい。涼太が昔読んでいた神話などを考えてみれば、おれの提案など贅沢のうちにも入るまい。
「それとも何だ。五年間では、そこまで上り詰める自信がないか?」
涼太はあっけにとられているようだったが、意地の悪い言葉にはっとしたようだった。
「……俺達がデビューしてから今までの人気の上がり方、知ってるだろ」
「この調子でいけるとは限らんだろう。今すぐ辞めたいなら少々強引に手伝うのも辞さないがどうだ」
「それは嫌」
「残念だ。五年頑張るほうは?」
「…………」
口をつぐむ子どもを見下ろしながら、おれは肩をすくめる。無理だ、とか、やらない、とか、即座に言わない時点で答えは決まっているようなものだろうに。
だが迷うのもわかる。これからこいつがどれほど立派な星になるのか、それともどこかで燃え尽きるのかはわからない。おれだって、こいつだって。
だからおれは、わざとらしく涼太の横に座り込んで頭突きをした。
「安心しろ」
おれは万能じゃないけれど、たぶん、これくらいのハッタリなら許されるだろう。
「お前はおれに愛されている。神様に愛されている奴が万事上手くいかないわけがないだろう」
胸を張れ、と。くだらない言葉で選択に自信を持たせてやるくらいは、きっと。
☆
そうして、五年が経った。おれは何もしていないが、涼太達はそれなりに才能があったのか、国民的とまではいかずともまあまあの人気のアイドルとして活動している。
五年間はアイドルとして精一杯やる、と決め込んだ涼太をずっと見ているうちに、アイドル業界というのは確かにばかでは務まらないのだとわかった。涼太達と同時期にデビューした奴らの中には、立ち回りを間違えてあっという間に消えていったものも少なくない。その点、涼太達はやはり、賢かったんだろう。上手いことここまでのしあがってきたのだから、大したものだった。
「よし」
涼太以外の人間にも見えるような状態で街を歩くのは久々だ。おれはチケットを財布にしまい直してライブ会場に向かう。三人のイメージカラーを身につけた人間がぞろぞろとひとつの建物に入っていくのを見るのも、今日でしばらく見納めだ。
涼太が活動休止を発表したのは、去年の暮れだった。今年いっぱいでアイドルとしての活動を無期限の停止とする、と言い出した時の世間の動揺はなかなかなものだったが、本人はけろっとしたもので、休止した直後の年明けの受験に向けて赤本など用意しているものだから笑ってしまった。孝と哲治も呆れて、もう少し早めに休止するか受験をもう一年延ばすかしたらどうだ、と言ったのだけれど、平気だよと言って今まで来ている。休止直前最後のライブの合間を縫って受けた模試の結果も悪くないので、結局誰も文句は言えなかった。
入り口でチケットを確認され、持ち物検査を受ける。身分証明書とやらは用意できなかったので、上手いことスタッフの認識をいじくって通り抜けた。人間が相手でよかった、と思う。最近流行りの生体認証とかいうのを使われると誤魔化すのが非常に面倒になるので。
会場に着いてからしばらく待っていると、ぎらぎらした電気と熱が瞬間的に舞台を焼く。きらびやかな衣装に身を包んだ三人が飛び出してきて、あの頃より洗練された動きで人々を魅了する。歌声もすっかり青さが抜け、のびやかさに色気が滲む良い具合の仕上がりになっていた。熱狂がおれの周りでうずまく。大きな音と鮮やかすぎる色と。汗の飛び散る様すら見えるほどの場所で、おれはこの数年間を、あるいはおれが「おれ」として在った時間の全てを考えた。
おれはずっと涼太の幸せを願っていた。あいつがいっとう良いように過ごせることだけを願って、アイドルなぞ辞めろと何度も言ってきた。小さい頃のあいつが、ロケットの話をしながら垢だか鉛筆の芯だかで薄黒く汚れた手でノートに何やら書いていたのを眺めるのが好きだった。アイドルになってからも、番組を作る奴らが涼太の昔の夢を知って持ち込んでくる企画を喜んで受けていたのを、今も昨日のことのように思い出せる。小さかった子どもが大きくなって、立派になっていくのをずっと、見ていた。
だがおれは、……結局のところ、涼太が楽しそうに過ごしているのを見られれば、何だってよかったようだ。眩い白が目を焼く、見上げた先にいる涼太がファンの声に応える。この姿だって、なんだかんだ言ったけれどやっぱり、愛していた。
今になってほんの少しだけ、惜しいと思う。いい顔をしていた。力いっぱい己の持てるものを出し尽くして、人を楽しませて、自分を見て笑顔になる人々を見て目を細める顔が、宇宙の話をする時と同じ色をしていた。
昨日の公演でもあいつは言っていた。アイドルになったことを後悔したことは一日たりともない、と。たくさんの素晴らしい出会いを得た、例の教授だけではない、アイドルをアイドルたらしめるすべての人に出会えたし、番組の中で出会ったあちこちの人々も皆、自分の今までとこれからの人生の大事なパーツだと。孝にはロケットじゃないんだからパーツなんて言うなよ、と笑われて、けれども、哲治は言い得て妙だと頷いていた。
最終的に、アイドルを休んで別のことをすると決めたのは涼太だ。おれはあの日、どちらも掴んでしまえ、と焚きつけただけで、あいつらを成功に導いたわけではないし、そんな力は初めからない。人間の成し遂げたことを壊すのは簡単でも、作り上げるほうはおれなどの存在すべてを賭けたっておいそれと出来はしない。決めて、努力して、ここまで辿り着いて、幕引きを今としたのは、みんな、涼太だった。
だからおれは何も言わない。ただ、三人の晴れ姿をしっかりと覚えておく。目を細めて、贅沢な望みの叶え方をしたあいつを、覚えておく。
ま、案外数年経ったらこっちに戻ってくるのかもしれないが。それならそれで、とおれは思う。
何を成し遂げようと、どの道を選ぼうと、笑っている涼太が見られればおれは、満足なのだ。
おれの一等星 晴田墨也 @sumiya-H
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