エピローグ 桜沢花

「それじゃ所長、お疲れ様で〜す!」

「お疲れ様でした」


「お疲れ様」


 定時が過ぎ、部下の小宮さんとアルバイトの白瀧君が事務所を出て行く。彼らを見送った後、私は事務所内の電気を消して所長室へと戻った。


 PCを立ち上げネットニュースに目を通す。それが終われば次に掲示板やSNS。一通り見て回ったが、内島アキラの噂は風化していないようだった。


 ……。


 あの事件から今日で丸一年。ネットのどこを見ても周囲の怯える声が聞こえる。未だ衰えぬ恐怖の声に報道番組でも特集を組まれるほどだ。傍観者達の恐怖や戸惑いの声が聞こえる度に自分の中で何かが満たされていく感覚がある。それなりにリスクを負った甲斐があった。内島アキラという名前がここまで働いてくれるなんて。


 だけど、まだだ。まだ足りない。私の溜飲はこんな物では全く下がらない。分かっている。一時の高揚感の後、また満たされない日々へと突き放されると。


 こんな事をしても私の親友は帰って来ない。私を置いて、自ら命を絶ってしまったから。


 ……人は理解の及ばない物に恐怖し、レッテルを貼り、攻撃する事で自らの居場所を確かめる。私の友達……はなもその被害者だ。


 私は高校生の頃、華と知り合った。私は他人と打ち解けられず孤立していた。そんな私に声をかけてくれたのが華だ。花と華。同じ名前だという事で私達はすぐに打ち解けた。


 華はある新興宗教の幹部の子として生まれた。過激な活動で世間から疎まれていた団体だ。ただ、そんな過激な者は一部の者だけだった。華の周りは少し変わった人達ばかりだったが、決して悪い人達では無かった。


 華もクラスでは避けられていた。皆、彼女の実家に反応したからだ。それが何かも理解せず、ただ分からない物だということで華は避けられていた。しかし彼女は明るかった。そのような扱いには慣れた様子で「私を知ってくれる人がいればそれでいい」と言った。私はそんな華のことが好きだった。友達になろうと言ってくれた華の事が。


 華はオカルトが好きだった。本来であれば実家から幽霊や都市伝説などのオカルトの類いは固く禁じられていたようだが、私といる時だけは調べられると言って、2人で色々な事を調べた。心霊スポットに行ったり、聞き込みをして都市伝説の真相に迫ったり。そんな日々がずっと続けばいいと、そう思っていた。


 だけど、別れは突然やって来た。彼女の親が地方議員に賄賂を渡していた事が報道され、新興宗教への嫌悪感が一気に燃え上がった。後から調べて分かった事なのだが、賄賂を渡すよう要求していたのは議員の方だった。しかし、当時は宗教団体を叩く風潮が世間を支配していた。


 華の家は当時者であったから、誹謗中傷は苛烈を極めた。犯罪者というレッテルは人の加害性をこうも高めるのだと感じた。


 世間は彼女をも犯罪者として扱い、謝罪を要求し、存在を否定し、死ねと言った。誰も反論する事なく、皆が正義に酔いしれ、彼女達家族を攻撃する事が是とされた。あるいは声を上げられずただ傍観していたか。いずれにせよ、彼女の味方は誰もいなかったのだ。


 私は両親に彼女と連絡を取る事を禁じられた。唯一学校でだけ会えたのだが、皆の目があるからと彼女は私を避けていた。登校した彼女を待っていたのは壮絶なイジメだ。教師に言っても、割って入っても止まらない。正義という感情によって全員が愚かになっていた。


 ある日、私は彼女を引き止め、想いをぶつけた。彼女を助けたいと。私にできる事ならなんでもすると。



 ……彼女の答えは「大丈夫」だった。



 その数日後、彼女は自ら命を絶った。彼女の両親も彼女を追うようにまた……。



 その後世間を待っていたのは「沈黙と風化」だ。口をつぐみ、話題に出す事を避け、やがて皆が彼女達の事を忘れていった。


 唯一最後に報道されたのは地方紙の小さな記事だけ。



 私は忘れない。お前達がしたことを。



 私は許さない。世間という仮面を被った名も無き殺人鬼達を。



 これは私の復讐であり、私自身を繋ぎ止める行為だ。この程度の事でも私はやらなければ、いつか私は憎悪に飲まれてしまうだろう。いつか私はとんでもない過ちを犯してしまうだろう。



 私は……。



「桜沢……さん?」



 背後から声をかけられ、振り返る。そこには白瀧君が立っていた。息を切らせたように顔を真っ赤にしながら。私は、冷静であるように自分に言い聞かせてから声を上げた。、


「どうしたのですか? 忘れ物でも?」


「い、いえ……」


 彼は耳まで真っ赤にした顔で俯きながら言った。


「あの、桜沢さんにお礼してなかったので……その、今度食事でもどうかなと……すみません、最近桜沢さん忙しそうだったから今しか言えないと思って」


 そのあまりに可愛い申し出に思わず笑いそうになってしまった。彼は私の本性に薄々気付いている筈なのに、まだこんな事を言ってくれるのか。


「……いいですよ」


「本当ですか!?」


 彼の顔がパッと明るくなる。彼は目星の店があると一生懸命説明してくれた。次の週末に食事の約束をする。嬉しそうに部屋を出て行こうとした彼をつい呼び止めてしまった。


 不思議そうな顔をする彼になんと言っていいか迷って、私は咄嗟にこう言った。



「また明日」


「はい! 明日もよろしくお願いします!」



 白瀧君が扉を出て行く。



 ……。



 彼らにもっと早く出会っていれば、私も今とは違っていたかもしれないな。



 いつの間にか私は、ありもしない可能性に思いを馳せていた。

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内島アキラを知ってるか? 三丈 夕六 @YUMITAKE

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