第58話 努力と疑念

 日が暮れ、夜空が星に包まれるころ、すでに野宿の準備が整っていた。


 今回、野宿の場所に選んだのは村から少し離れた場所にある森の中だ。そこは森の中だというのに樹木が一本も生えていない開けた場所で見上げればきれいな星空が見える。


 周りは月明かりがほぼ入らないほど樹木が生えそろい密集している。


 1本1本が立派な樹木で太く天に向かって伸び、壁の役割を果たしてくれるほど立派なものなので、ハルたちの存在を敵から視認されにくくしてくれる効果がある。百パーセント安全とは言えないが、何もない場所で野宿をするよりかはましだろう。


 野宿の場所が決まるとそこからはとてもスムーズだった。3日間も野宿をしていると、自然との野宿のノウハウが身につき自分の役割が分かるようになる。


 そのため、動きに無駄がなくなり初日の半分の時間で設営が完了した。


 ※


「今日の料理もおいしかった。ご馳走様!」


 一同は焚火を囲み、食事を終え体が温まったところだ。


 ハルは食事を作ってくれたリリーに感謝の意を伝え、膨れた自身の腹を撫でる。


 仕事柄、遠征がそこそこあるリリー。遠征先で料理を作ることが多いためか手慣れた様子で調理をしていた。限られた食材の中でこれだけ舌鼓を打てる料理を作れる人物は、そういないだろう。


 そしてマリーはというと……。

 

「リリー・ハロウィン、今日の食事もおいしかったです。ご馳走様でした」


 礼を言うとマリーはリリーの元へ近づき、こそこそとした声で話しかける。


「また、料理のコツを教えてください。きっとうまくなっておいしい料理を振舞えるようになりますから」


 マリーはハルに内緒で料理のコツをリリーから教わっていたのだ。


 と、いうのもマリーは料理が劇的に下手なのである。


 初日の料理当番はマリーだったのだが、出来上がった料理が黒くドロッとした謎の料理。見た目に惑わされず、口に含めばおいしいかもしれないと思い口にすればハルとリリーは宇宙を垣間見たのだ。


 剣術を磨くことに身をささげてきた影響か、他のことはさっぱりなのである。マリー自身もそれでいいと思っていた。イーチノを守る盾としていられるのなら他は何もいらないと思っていたからである。


 普段の料理も組内の料理当番が担当しているため、料理を作るという行為に触れることなど一切なかった。


 これからもこのままでいい。そう思っていた。


 しかしハルに好意を抱いたことをきっかけに、彼女は変わろうとしていた。強いだけでは振り向いてくれない。振り向かせるには異性として何か惹きつけられるものがなければいけないと。


 そこで最初に思いついたのはおいしい料理を作れるようになることだった。おいしい料理は異性の胃袋を掴み気持ちを振り向かせる最高の手段だと耳にしたことがあるからだ。


 自分の好意に気づいてもらうため、おいしい料理を作れるようになりたいと遠征2日目からは適当な理由をつけてリリーに料理を教えてもらっていたのだ。


 少しばかりだが、リリーの手助けを借りつつ料理ができるようになりつつある。最初は包丁で手を切ることすらあった彼女だが、今や食材を手を切らずに切れるようになっていた。


 努力のたまものである。


 そして無事クエストが完了し終えた暁には、リリーの手を借りずにマリーが簡単な手作り料理を振舞おうと計画しているのである。


 計画がうまくいくことを願うだけだ。


 食事の片付けも終え、後は眠るばかりの状態になった。


「すまないなマリー。クエスト前日だというのに見張り番を任せてしまい」


「気にすることありませんよ。逆に連日、見張り番をしてもらって申し訳ない気持ちでいっぱいですよ。今日ぐらいはしっかり休んでください」


 リリーは「恩に着る」と言い、周囲で集めた枯れ葉から作った自作ベッドに寝転んで瞼を閉じた。


 最初に出会った頃と比べればふたりの関係はよりよいものとなっていた。修行を通して互いに助け合う気持ちを芽生えさせ、そして名前で呼び合うようになっていた。顔見知りという範疇を超え、すでに友達と言っても過言ではない仲だろう。


 ふたりは心地の良い関係に満足していた。


「ハル、眠る前に少しだけ話せますか?」


 リリーが寝静まったことを確認したマリーは、眠りに着こうと立ち上がったハルを呼び止める。


「うんいいよ。何か相談ごと?」


 眠りに着こうとしていたところを呼び止められたハルは、あくびを噛み殺し嫌な顔せず彼女の願いを承諾する。焚火を挟んでマリーがいる場所から向かい側にハルは座る。


 何か困りごとだろうかと心配していると、マリーは言葉を返すことなく、唐突に立ち上がりハルの隣へと移動し腰を下ろす。

 

 彼女の顔は少し赤く火照っているように見える。


 ひとつひとつの動作もどこかおしとやかで、いつもの聡明な雰囲気とは少し違う。


 いつもよりも女性らしさがある。


「ど、どうしたの? 何か悩み事があるなら話を聞くけど……」


 いつもとは違う雰囲気にハルは戸惑いながらも質問する。


「そうですね……。悩み事と言えば悩み事です」


 要領を得ない回答にさらに戸惑いを隠せないハル。


 何かを試されているのか、そんな気がしてならない。


 どんな言葉を掛ければよいのか戸惑っていると、マリーが言葉を紡ぐ。


「ハル、今日1日おかしくありませんでしたか?」


「お、おかしい? 別に普通だったと思うけど……」


「特にリリーに対して少し言動や行動がおかしかったように見えましたよ」


 その言葉にハルはドキッと胸を高鳴らせ、さらには目を泳がせる。


 心当たりがありすぎるからだ。


 日中、リリーと会話をする場面があった。しかし、彼女の言葉にうまく返事ができず、戸惑う場面が多かったのだ。


 そうなってしまった原因は、昨晩リリーと見張り番を交代する際に起きた『接吻』である。


 昨晩リリーはハルに対し接吻をした。唇と唇がくっついたのだ。


 最初はリリーがバランスを崩し、唇同士がぶつかっただけかと思った。しかし彼女が眠る間際『強い奴は好きだ』という言葉で、彼は確信した。単なる事故ではなく彼女が故意に接吻をしたのだと。


 それからというもの、リリーの顔を見れば接吻したときの柔らかさとほのかな甘い香りが頭の中を過ぎり、うまく会話が嚙み合わなかったという訳である。


 一応ハルは何事もなかったかのように振舞っていたつもりだったが、マリーには感づかれていたようだ。


「い、いやそれは、その……」


「昨晩何かあったんですか?」


 再びハルの心臓はドキッっと跳ね上がる。


 昨晩のことがバレたら何かややこしいことになる。きっとリリーとマリーの友達関係も崩れ去るかもしれない。知られるのは危険だと直感したハルは、頭をフル回転させ言い逃れる術を考える。


「黙っているということは、何かあったと捉えていいんですね?」


 まずい。このままだと彼女の空気に流されるまま肯定してしまうことになってしまう。それだけは避けなければならないとハルは咄嗟に思いついた言葉を放った。


「その、昨晩リリーと見張り番を交代するときに彼女の過去について聞かされたんだよ。結構悲惨なもので、いつも通り接していいのか戸惑っていたんだ」


 嘘は言っていない。実際、リリーから過去に何があったのか、傭兵になったきっかけなどいろいろ聞かされた。その内容もシリアスなものだったということも嘘ではない。


 ただ一点、嘘をついているとしたら戸惑っていた理由が過去の話を聞いたからではなく、接吻をされたからという点である。


 なんとか誤魔化しきれることを望み、ハルは心の中で何とかなれと願った。


「そうでしたか。リリーが自分の過去を話すだなんて、相当信頼されているようですね」


「そ、そうかなぁ」と適当な返事をしつつ、安堵のため息を吐くハル。


「過去というのは他人知られたくないもの。特に信頼に乏しい相手に対してはなおさらです。過去の話をしたということは信頼をしている意味でもあるのですよ」


 なんとか誤魔化しきれたようだ。


「私はてっきり、何かされたのかと思いましたよ。押し倒されたりだとか、強引にキスをされたりだとか」


 その言葉に背筋が凍り、顔も青くなる。


「しかしまぁ、何もないのであればよかったです。明日も早いですからハルもお眠りになってください」


 そう言い残し、マリーは焚火の炎を強くするために小枝を集めに行ってしまった。


(あ、あぶなかったぁ!!)


 無事バレることなくこの場を乗り切ったことに安堵のため息を付くハル。


 最後の一言に、頭がおかしくなりそうだったが、何とか冷静さを保ち表情を乱すことなくやり過ごせた。


(この数日間で一番疲れた。今日はもう寝よう。明日は大事なクエストが待っているんだ)


 体が疲弊していなくとも、心が疲弊した彼は体を横にした途端、あっという間に夢の中へといざなわれた。

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