悪役令嬢に憧れて

銀次

第1話 危機一髪!狙われた令嬢

「お~ほっほっほ!!わたくしを誘拐しようなど、百年早いですわ!」

 右手の甲を左頬に当てながら、シルヴィ・ヘレネ・ヘファエスティオンは甲高い高笑いを響かせた。彼女はひとしきり笑うとその薄紫色のカールのきいた長髪を払い、なびかせる。その姿は、まるでローズマリーの花が風に踊っているようだった。

 先ほどまで髪に隠れていた左頬があらわになる。エネルギーに満ち溢れ水も弾きそうな白く美しい肌、その左頬全体には古い刀傷が刻まれていた。



 時はさかのぼり二時間前。

 都市から都市を繋ぐ長距離路線をその列車は走っていた。市民の重要な交通の便である列車だったが、今日は普段とは違い大量の人が運べる客車は無く、その代わりに三両の貨物車両と二両の貴族専用豪華客車が連結されていた。


「そろそろ通過するはずだ。みんな準備はいいか」ジャックスは懐中時計を確認しながら、長年共に仕事をしてきた仲間たちに声をかける。

 ジャックスの背後に待機する屈強な六人の男たちが頷きながら応じる。

 全員がジャックスの戦友だった。軍からの退役後は、傭兵や警備の仕事を行ってきたが、それも段々と限界に近づいている。いつまでも戦乱が続くわけではない。本来なら喜ばしいことだが、戦うことしか知らない彼らには死活問題だった。

 だからこの仕事に飛びついた。大変リスクのある仕事だが、成功すれば全員が老後をゆっくりできるほどの金が手に入る。失敗しても死ぬだけだと全員が腹を括っていた。

「隊長、来ました」部下の一人が列車が近づいてくるのを知らせる。汽笛の音が徐々に接近してくるのがわかった。全員が前に出る。

 彼らが現在いるのは、広大な牧草地帯で、そこを横断するように目的の列車が通過する線路が通っていた。この場所から数メートル先の線路はカーブになっており、そこを無事に通過するために列車は減速する必要があった。そして、彼らの待機する場所こそが、ちょうど列車が最も速度を落とし、かつ、最も安全に乗り込める地点だった。

 列車の姿が見えた。ジャックスたちは、貨物車両が目の前にくるぎりぎりまで仕事をさぼる農夫のように振舞う。

 そして車両が通過すると同時に、次々と貨物車両の手すりに手をかけ、飛び乗ることに成功した。そしてそのまま連結部から貨物車両内に侵入すると、車両内に満載された物資に身を隠しながら装備の確認をした。一人一丁ずつの拳銃に、二本の予備弾倉。準備は万端だった。

「なるべく静かに、殺しは避けろ。いいな」

 ジャックスたちは列車を進み始めた。最後尾の車両から次の車両に移る。同じく貨物車両で人の姿は見当たらない。すぐに次の車両に移る。そこも同様だった。ゆっくりと進み、次の客車へと続く扉にあと一歩で届くという所で人影が見えた。ジャックスはすぐに、隠れるように指示を出す。全員が速やかに物陰に隠れる。

 ジャックスが扉とラックの隙間に隠れた直後に扉が開き、肩にライフルを担いだ警備員がタバコを咥えながら入って来た。警備員は、ジャックスたちに気づいた様子もなくタバコを吹かす。どうやら仕事をサボって一服しに来たらしい。

 警備員がタバコを吸い終わりブーツの底で火を消す。そして客車に戻ろうとするのと同時に、背後にいたジャックスがその太い腕を警備員の首に巻き付け、気絶させた。

 部下が、気絶した警備員を隠す。

 ジャックスは、貨物車両から出て客車の扉にはめ込まれた窓ガラスから中を伺った。外から見える範囲でも、磨かれてピカピカと光を照り返す茶色い木の壁に打ち付けられたソファーや、高そうな酒の並んだミニバーカウンターが確認できた。まるで格式高いクラブか何かのようだとジャックスは思った。

 中にいるのは三人の警備員に執事服をきた若い男だった。執事は問題外として、警備員たちも襲撃されるなどとは、微塵も考えていないようだ。皆思い思いにだらけている。

 ジャックスは、やる気のない警備員たちを見て不愉快な気分になった。だが、同時に仕事がやりやすくなっているのも事実だ。

 ソファーに座っていた警備員の一人が立ち上がり、ジャックスのいる扉に近づいてくる。無用心なことに銃もなにも、武器になるような物は携帯していないように見えた。

 ジャックスは、腰のホルスターから拳銃を引き抜きタイミングを待った。警備員がどんどん近づいてくる。そしてまさに今、扉に手を掛けようとしたその時、ジャックスは扉を引き開けた。そして、突然の侵入者に面食らった警備員めがけて押し出すように蹴りを放つ。無防備な警備員は、もんどりうって床に倒れる。

「動くな!全員床に伏せろ‼」倒れた警備員の胸を踏みつける形で動けないようにしながら、拳銃を前に突き出しながら怒鳴る。ジャックスの怒鳴り声が響くと同時に六人の部下たちが入って来た。倍の戦力差に、警備員たちは大人しく降伏するしかない。

 ジャックスは、部下に警備員たちを拘束させ、自身は先頭の客車に向かう。ミニバーカウンターを過ぎる時に、床にしゃがみこむ執事がぼそりと呟いたのが聞こえた。

「やめておいた方が良い。俺ならやめておく」その顔はわずかに笑っているように見えた。


 部下たちに後ろを任せて、ジャックスは先頭車両に乗り込んだ。予想に反して、車両内は高級そうなことには変わりはないが、どちらかと言えば地味目な内装になっていた。

 ジャックスの真向かいに、壁の方を向いてなにかをしている少女の姿があった。

「そこのお嬢さん。ちょっといいかな」ジャックスはなるべく少女を怖がらせないようにと、優しい声色を意識して話かける。

「はい?ああ、ようやく来られたのですね。もっと早いものと思っていましたわ」少女は、背後に現れた謎の男に臆することもなく言った。

「少し待っていてくださるかしら。ちょうど紅茶を淹れたところですの。よければ、あなたもどうかしら、気分が落ち着きますわよ」ポットの紅茶をティーカップに注ぎながら少女は話し続ける。

 これ以上話していても時間の無駄だと判断したジャックスは、右手に持った拳銃を見せびらかしながら少女の肩を掴んだ。

「悪いが、そんな暇はない。一緒に来てもらうぞ」

 そこで少女は初めて振り返る。華美な装飾は無いが高級なブラウス。体の線が浮き出る細いパンツスーツ。狩りの時に使うような頑丈そうなブーツ。そんな服装だった。貴族の、それも年頃の少女が着るにしては地味な恰好だと、ジャックスは思った。そして、服に気を取られていた意識を少女の顔に向ける。そこで彼は息を飲んだ。

 その少女を見て最初に目につくのは、その豊かできめ細かいカールのかかったうす紫の長髪だろう。そして、くりくりとしたとび色の眼は、深い知識をため込んだような光を宿している。

 

 少女の美しさに関心しながらも、ジャックスは仕事を続ける。彼はこれからこの少女を誘拐するのだ。依頼人の目的は知らないが、この少女を自分のものにしたいが為に誘拐という手段を選んだとしても、ジャックスは驚きではなかった。

 少女の服の襟をつかみながら、二両目の客車に戻る。部下たちも自分たちの仕事を問題なく続けているようだった。

「あら、随分とおまぬけな姿ね」少女は床で伏せている執事を見るなり言い放つ。

「おい、早く行け」緊張感のない少女にイラつき始めたジャックスは少女に前に進むよう促す。

「ごめんなさい。彼のこんな姿が珍しくてねっ‼」少女は言い終わらぬうちに、ジャックスの右足を勢いよく踏みつけた。

 突然の激痛にジャックスは服の襟から手を離した。少女は振り返り、右の拳をジャックスの腹にめり込ませる。そして呻きながらうつむくジャックスの顎にアッパーをくらわせた。少女とは思えない重い拳に、ジャックスはなすすべもなく昏倒した。


「お~ほっほっほ‼このわたくし、シルヴィ・ヘレネ・ヘファエスティオンを誘拐しよう等、百年早いですわ‼」ジャックスを殴り倒したシルヴィは、右手の甲を左頬に当てながら甲高い高笑いを響かせた。

 少女に大人の男が手も足も出ないという異常事態に混乱しながらも、ジャックスの部下たちが、シルヴィに襲い掛かってきた。

 

 一人目が大振りで殴り掛かる。シルヴィは、それをなんなく回避して腹を殴り、次に顎に拳を叩き込み気絶させる。二人目が突進してくる。しかし、闘牛士のように軽やかに回避すると、壁にぶつかり体勢を直そうとする男に回し蹴りを放ち、男の頭を壁にめり込ませた。

「ふざけやがって‼」三人目の男が拳銃でシルヴィを狙う。だが、シルヴィは狙いをつけさせないように右に左に素早く動く。その猫のような俊敏さに男は翻弄される。男がようやく狙いがつけた時には、シルヴィが目と鼻の先にいた。

 シルヴィは突き出された男の腕を両手でつかむと、背負い投げた。勢いのある投げに受け身をとれず、男は気絶した。

「次‼」シルヴィは、残りの男たちも倒そうと構えたが、そこに立っていたのは彼女の執事だった。

「お見事です。お嬢様」そう言う執事の足元には、別の三人の男たちが転がっている。

「もう少し、歯ごたえがあると思ったのだけれど」期待外れだと言わんばかりにシルヴィは、ため息をつく。

「まあ、いいわ。この方々の雇い主に話を聞かせていただきましょう」シルヴィの言葉に、執事がにやりと笑う。

 目的地には、後三十分程で到着するようだった。二人とも、今回の襲撃の黒幕が誰かはとっくに理解している。残るはその黒幕を捕まえるのみだ。

「覚悟していなさい。このわたくしが直々にふんじばって差し上げますわ。お~ほっほっほ!お~ほっほっほ‼」シルヴィの甲高い笑い声が響きわたる。彼女は笑えば笑う程に自身の体が悪役令嬢に近づいていくのを感じた。

 だが、真の悪役令嬢への道は長く苦しい。がんばれシルヴィ!負けるなシルヴィ!真の悪役令嬢になるその日まで‼

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