第6話 銀鏡

 店内に入ると、甘い焼き菓子の香りが鼻をくすぐってくる。

 こちらに気がついたスタッフが、一番奥の席に通してくれた。こういう時、できる男はソファー席を女性に譲るらしいと、かつて本で読んだ覚えがある。しかし、俺はできない側の人間なので、迷いなくソファーに座った。やっぱりこっちの方が座り心地がいいんじゃ。

 俺のカスみたいな行動に戸惑ったのか、夢咲は数秒どこに座るか悩み、最終的には俺の隣に座った。いや、それはおかしい。


「どうかしましたか?」

「どうかもなにも、なんで隣なんだよ」

「座り心地がよさそうだったので……」


 そう言われれば、黙るしかない。そもそも、彼女がどこに座ろうが、俺が口出しすることではない。でも、二人で四人席に座る時って、大抵対面で座るもんじゃないの? 常識を疑うべきなのだろうか。

 モヤモヤした気持ちに襲われながら、メニューを見る。どうやら、シナモンロールが店一押しの品らしい。そんな上等なもの食べたことがないので、正直かなり気になる。


「夢乃さん、なに頼むんですか?」

「シナモンロール」

「…………ふふっ」


 なんか笑われた。


「なんだよ、文句か?」

「いえいえ、可愛いなぁ、と思いまして」

「そうでもないだろ……」

「普段むすーっとしてるのに、シナモンロール……ふふふ」


 変なツボに入ったらしい。

 いやまぁ、笑ってもらえたのならいいんですよ、へへ……。


「あのー……すみません」


 俺が道化の心を理解していると、申し訳なさそうに店員が寄ってきた。


「少々席が混み合っておりまして……相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」

「あー……どうするよ、夢咲」

「仕方ありませんね。いいですよ、店員さん」


 実は、俺は相席にそこまでの抵抗感はない。バスや電車に乗った時、隣に座られてキレる奴はいないだろう。感覚的にはそれと同じだ。


「ありがとうございます。一名様、ご案内します」


 一名様、ねぇ……この店に一人で来るとは、度胸があるのか、怖いものなのか、どちらにせよ面白い。ただこれだけは言っておく。経緯はどうあれ、俺は二人で来ている。そちらは独り、こっちは二人。この差が大きいんだよねぇ!

 脳内でカスみたいなマウントを取っていると、店員の誘導に従って一人の女子生徒が向かいの席に座った。


「どうも。……あれ、君たちって」


 その、外にはねた黒髪ショートの女子生徒は、なにを思ったのかこちらをジロジロと凝視してくる。なんだよ、喧嘩か? フィジカルには結構自信あるぞ、おぉん?


「確か……三組の夢咲胡桃さんと…………えーっと…………」

「失礼過ぎるだろこいつ」

「ふっ、ふふ……」


 こっちの子も大概だった。

 ところで、俺はこの女子を見たことがある。トイレからの帰りに、一年四組の教室に入っていくのを偶然目撃した覚えがある。一度見た顔は忘れない……可能性が高い俺が言うのだから多分間違いない。


「お前、一年四組の人だろ」

「お、僕のこと知ってるんだ。その通り、僕は一年四組の銀鏡涼。君の名前も聞いてもいいかな?」

「……夢乃リア」

「りあ? なんか女の子っぽい名前だね。ひらがな?」

「カタカナ」

「ふーん……夢乃リア、リアね……よし、覚えた! よろしくね、リア君。ところで、胡桃ちゃんと二人だったみたいだけど、もしかして付き合ってるの? お邪魔しちゃった?」

「いや、付き合ってないけど……」

「ならよかった。あ、僕注文するけど、もう決まってる?」


 銀鏡のマシンガントークを受けて、俺も夢咲もかなりグロッキーだ。これが真のコミュ強の力だというのか。もう無理、ここから逃げたい……。


「…………俺は、シナモンロールとオレンジジュースで」

「私は、ショートケーキとアイスコーヒー、ブラックでお願いします」

「了解了解。すみませーん!」


 銀鏡が注文に気を取られているうちに、こそこそと夢咲に耳打ちする。


「おい、もう帰ろうぜ……」

「まぁまぁ、悪気はないんですから……それに、ここで帰ったら奢れないじゃないですか」

「なに、奢りたいの?」

「……ちょっと」


 理解できない領域に、彼女は立っているらしかった。

 俺が戦慄していると、注文した品々が運ばれてきた。……なんか多くない? テーブルが埋め尽くされんばかりの皿が、目の前に並んでいる。言うまでもないが、その九割以上が銀鏡の注文だ。どういうことなの……?


「ず、随分頼まれましたね……?」

「あぁ、朝からなにも食べてなかったから、もうお腹空いちゃってさ。普段はここまで頼んだりしないよ」

「な、なるほど……そうですよね」


 だとしても説明になっていないレベルの量ではあるが、まぁいいとしよう。

 気を取り直して、シナモンロールを口に運ぶ。ふむ……よくわからん。美味しいは美味しいのだが、これ以外のシナモンロールを食べたことがないから比較ができない。

 しばらくシナモンロールに舌鼓を打っていると、銀鏡がなーなーと声をかけてきた。


「そういえば、中間テストまで後二週間だね」

「そうですね」

「え、そうなの」

「予定表に書いてあったじゃん」


 そう言われると、書いてあったような気もする。嘘、俺の記憶力、悪すぎ……⁉


「その中間テストなんだけどさ、一昨年はじゃんけんだったらしいよ」


 俺が愕然としていると、銀鏡が変なことを言い出した。俺の聞き間違えでなければ、一昨年の一学期中間テストは、じゃんけんだったらしい。…………はぁ?


「なに寝ぼけたこと言ってんだよ。そんなわけないだろ」

「いやいやほんとだって! 先輩から聞いたんだから」

「じゃあ嘘吐かれたんだよ」

「えー、絶対ほんとだって。それで、この話には続きがあってさ」


 基礎が嘘なのに、続きの話なんて積み上げてどうするというのか。


「百二十回じゃんけんして、一度も負けなかった人がいるんだって」

「はい嘘、解散解散」

「銀鏡さん、それは流石に……」

「嘘じゃないのに……」


 銀鏡は拗ねたように、残っているケーキを口に運んだ。

 彼女には悪いが、百二十回じゃんけんをして一度も負けないなんてことは、どう考えてもあり得ない。二の百二十乗分の一だぞ。天文学的数字、という言葉がこれほど似合う時も中々ない。


「でも確かに、なにをテストするんでしょうね?」

「普通の学力テストだろ」

「でもそれだと、才能が関係してこないですよね?」

「……まぁな」


 確かに、そう考えるとテストがじゃんけんっていうのも、二パーセントくらいは信憑性があるのかも知れない。だとしても、百二十連勝は嘘。

 こう言ってはアレだが、銀鏡は騙されやすい性格らしかった。


「ふぅ……ご馳走様。それじゃ、僕はもう行くから。話せて楽しかったよ」


 いつの間に食べ進めていたのか、あれだけの皿を全て綺麗にした銀鏡は、伝票を持って立ち上がった。何品頼んだか知らないが、とんでもない値段になっていそうだ。


「あぁ、それと……テストではよろしくね」


 最後によくわからないことを言い残して、銀鏡は去っていった。休日だというのに、なんだかどっと疲れた気がする。これはもう、帰って宴の続きをするしかない。


「じゃあ、俺たちも帰ろうぜ」

「そうですね……あ」

「なんだよ」

「伝票、一緒になってしまっていたみたいです。銀鏡さん、どうしたんでしょうか……」

「店員に聞いてみればいいんじゃないか」


 ちょうどよく近くを歩いていた店員を呼び止めて、確認を依頼する。すると、その店員は銀鏡の会計を担当していたらしく、その時に俺たちの分も支払っていた、とのことだ。

 俺には関係ないけどよかったね、と夢咲の方を見ると、何故か機嫌がよくない。餅のように頬を膨らませているほどだ。


「なに、どしたの」

「…………私が奢りたかったんですけど」

「あぁ、そう……よくわからんけど」

「夢乃さん、明日も来ませんか?」

「行くわけないだろ」


 馬鹿なことを言わないでほしい。

 ところで、銀鏡が最後に残した言葉が、妙に頭に残っていた。厳密には、言葉そのものよりも、その時の彼女の表情が、だ。この数十分で得た彼女のイメージと、不思議なことにイマイチ噛み合わなかった。

 ただ、俺は人と関わった経験が薄い。だから、誰しもが抱えている二面性を、過剰に捉えているだけなのかも知れない。あまり深く考えない方がいいだろう。

 ————そのように結論付けはしたが、休みが終わって、更に一週間が過ぎても、ふとした瞬間に脳裏を過った。


 そして、中間テストまで後一週間。

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