Ⅱ - Ⅶ ”必要の洞窟”

 二人からの「至急確認を!」という手紙は、翌日レイチェル家が夕食の準備をしているときに届いた。誰一人食欲はなかったが、何かをしていないと落ち着かないので、こうして食事の支度をしていた。


レイチェルがその手紙に目を通すと、家族に一言述べ、そのまま聖者の屋敷へ向かった。

あまりにも急用であったため、屋敷から弟子が出てくると「聖者様に合わせて!」と掴みかかってしまった。


聖者トシサダが現れた。この事件を機に、目の下のクマはひどく、大変疲弊していることが見てとれた。しかしそんな状態でも、きちんと彼女と応対した。


「つまり、其方たちの考えでは、その”必要の洞窟”にいるということか。」

「はい。だから、調査官をそこへ向かわせるべきです。」


彼は頷き、弟子イッセイに調査官へ連絡するよう指示した。そして、彼女の顔を見て「其方にも協力してほしい」と述べた。レイチェルにとって、その言葉が聖者から認められたと感じたため、うれしくなり、感謝を述べるとすぐさま屋敷を飛び出した。

そんな彼女を弟子はすぐさま呼び止めた。「時間がかかるから、これに乗って行きなさい。」と言われ、用意されたのは牛車ミノタウロスカーだった。


”タピオ”では、ミノタウロスという牛頭人身が経営している牛車ミノタウロスカーが、移動手段として親しまれている。自然豊かで穏やかな性格の人間が多いこの国では、言語を話せる生物を積極的に受け入れていた。他国として不思議な光景のため、一種の観光業としても人気であった。



 イッセイからの連絡が届き、110mほど登ったところで”三人衆ビッグスリー”は足を止めた。


「少女が一人こちらにくるようだが、大丈夫だろうか。」

「わざわざこんな作戦を伝えるくらいだもの。200mくらい走って登れるような子なんじゃない?」


そんな話をしていると、突如当たりが暗くなり、空から牛車ミノタウロスカーが現れた。


牛車ミノタウロスカー、初めて見たぞ。」


エイブラハムは息を飲んだ。無理もない。ミノタウロスは全長2mを超える猛獣であり、鋭く長い角は、触れただけで致命傷を与えることができるだろう。暴走されたらひとたまりもない存在をそばに、顔色ひとつ変えずに感謝を述べて、金髪の少女は降りてきた。

「まるで美女と野獣だ。」と評したのは、”犬のおまわりさん”の異名を持つブラッドフォードであった。牛車ミノタウロスカーは少女を下ろすと、調査官らに背を向け走り去った。加速とともに、ミノタウロスの足が空中に浮かび、そのまま空を駆けて行った。


「レイチェルです。捜査に加えていただき感謝します。」


そういうと少女は、一枚の手紙を取り出した。それはアイリーとミラからもらったものであり、同封されていたメッセージと地図をベッキーらに見せた。それを読んだ調査官らは「確かに一理あるかもしれないわ。早速急ぎましょう。」と言い、調査犬に指示を出し、目的地に向かった。



「おかしい。」


黒衣を纏った男は言った。予定では”タピオ”から少年少女を連れ出し、”必要の洞窟”に監禁するはずであった。監禁には二つ理由がある。一つは少年少女を極限状態にし、判断を鈍らせること。もう一つは、飢餓状態でも活動できるような耐久力のある子どもを抽出すること。これらはすべて、自身の新たな兵を育成するためであり、彼にとって一番手っ取り早い方法が監禁であった。


すでに決行してから1週間が経ち、すでに脱落者がいてもおかしくないはずであった。しかし、不思議なことに、多少の気力はなくとも、死者は依然として出ていない。


「ガキに問いただしても、何も答えません。」


同じく黒衣を纏った男がそういった。フケだらけで清潔感のない頭髪に、顔は痩せこけ、目は窪んでいた。しかし、その瞳からは狂気とも呼べる、野心的な様子が窺えた。

この男は、子どもに暴力をしてでも問いただそうとしたが「私の未来の部下に手を出すことは許さぬ。」と首領であろう男に注意され、歯軋りをしていた。「暴力に耐えてこそ、あなたの求める最強の兵ではないのか。」と付け加えたが、まるで聞く耳を持っていなかった。


オリスたち子どもたちは、彼ら黒衣を纏った集団とは異なる少し離れた場所で捕まっていた。少女は泣き、少年は震えていた。しかし、その状況は一人の少年の登場で一変する。

その少年は、最初この集団に加わっていなかった。黒衣の集団に連れて行かれる子どもたちを見かけて、こっそりついて来たのである。


「みんなを連れ出す力はないけれど、誰一人死なせない。」


そう言った彼は、大人の目を盗んでは、手に入れた食料を子どもたちに分け与えた。決して満腹と言える量ではなかったが、彼らにとってはご馳走であった。これを繰り返したおかげで、彼らは餓死することなく今日まで生き延びることができたのだった。そんな少年を、子どもたちは敬意を込めて”お兄ちゃん”と呼んでいた。


はじめ、オリスは少年を信用していなかった。「奴らの仲間かもしれない。どこから持って来たかわからない食いもんだぜ。毒が入ってるに決まってる。」と疑ったが、少年が自ら食料を食べるところを披露したことで、彼を納得させた。


”お兄ちゃん”は、不安がる子どもには「大丈夫。聖者や調査官が君たちをきっと助けてくれるから。」と励ました。しかしその行動にまたしても疑いの目を向けたのはオリスだった。


「なんで、俺たちがここにいることを知ってるくせに、通報してくれなかったんだよ。」


もし自分たちの跡をつけるよりも先に、聖者や警察に通報すれば、事態はもっと早く解決したかもしれない。それなのに、そういう行動は一切せず、食料を運んでくるだけ。その行動が、彼には納得できなかったのだ。そのことを追求すると”お兄ちゃん”は一言「こちらにも事情がある。」と話を逸らそうとした。

その行動にカチンと来たオリスは怒鳴りながら、彼の胸ぐらを掴んだ。するとそれを見て怖がった子どもたちが泣きそうになった。しかしそれよりも早く、彼らの仲裁に入ったのは、アイーダ・カスパロフという少女であった。彼女は北側に住んでいる泣き虫な少女で、肌は雪のように白く、赤ら顔が特徴的だった。


「もうやめてよ。”お兄ちゃん”は私たちを助けてくれたじゃない。それだけでいいよ。」


そういうと他の子どもたちも頷いた。オリスが指摘する点は確かに気になるが、それ以上に自身のピンチを救ってくれた”お兄ちゃん”という存在が、何よりも彼らに勇気を与えてくれたのだ。

それをきき、オリスは手を離した。今は、こんなことで争っている場合じゃない。どうにかして、抜け道を探さなければ!


 しかし、子どもたちの一時的な平和は終止符を打たれた。先ほどのフケだらけの男が現れたのだ。


「聞こえたぞ。まさかそのガキが作戦の邪魔をしていたとはな。」


野心的な目を光らせ、彼は言った。こうなった以上、子どもたちを生かしておくの危険かもしれないと、男は首領に相談した。それを聞いた主人は「やむをえまいな。」と承諾し、部下四人は一斉に杖を取り出した。

子どもたちは一斉に悲鳴をあげた。アイーダは啜り泣き始め、オリスはただ歯を食いしばるしかなかった。一人の部下が呪文を唱えた。杖から丸く光る球が発生し、子どもたちの方へ放たれた。


しかし、その光は彼らに届くことはなかった。彼らの前に、防壁ができたのである。


「”お兄ちゃん”!」


少年は、子どもたち全員が入ることのできる防壁を作り、彼らを守ったのだ。ただ、完全に防ぐには壁の厚さが足りなかった。このままでは貫通してしまう。


ところがそれと同時に、黒衣を纏った部下が悲鳴をあげ、攻撃は止んでしまった。


「そこまでよ。」


ベッキーら調査官が到着したのだ。攻撃をした黒衣を纏った部下は、調査犬に噛まれ、暴れ回っていた。他の部下も慌てて、調査官に攻撃しようとしたが、わずかに調査官の呪文の方が早く、彼らはまんまと拘束されてしまった。


「あれが調査官”三人衆ビッグスリー”!」


子どもの一人がそう口にすると、次第に歓声が上がった。無事救出されたのであった。

レイチェルは即座にオリスの方へ駆け寄った。


「怪我はない?」

「大丈夫だし。」


彼はそっけなく答えたが、レイチェルに抱擁されると、顔を真っ赤にして「離せよ!大丈夫だから!」と慌てた。


「首領には逃げられました。」


エイブラハムが舌打ちをしながら報告した。ブラッドフォードは、子どもたちの安否を確認した。多少の栄養失調者はいたものの、誰一人怪我もなく、無事であった。そのことを尋ねると「”お兄ちゃん”がいたからだよ。」と子どもたちは口々にそう言った。そして彼らの目を向ける方向を見ると、その場を立ち去ろうとする少年の姿があった。


「君が”お兄ちゃん”だね。少し事情を聞かせてくれるかな。」


ベッキーがそう尋ねたが、少年はそっぽを向き「話すことは何もない」と言って、走り出してしまった。彼の言動が気になったレイチェルは、すぐに彼の背中を追いかけた。

「訳ありか?」とブラッドフォードが首を傾げたが、ベッキーが「ひとまず、子どもたちを無事下山させる方が優先ね。」と言い、ひとまずその場を去ることにした。エイブラハムだけは、オリスと一緒にレイチェルを待つことになった。


”お兄ちゃん”は北側に伸びる通りを進んだ。すると背中から、彼を呼び止める声が聞こえたので立ち止まった。声の主はレイチェルである。


「助けてくれてありがとう。」


どうして何も話してくれないのか尋ねると、彼は一言「人には知られたくないことの一つや二つあるものさ。」というだけだった。そのまま背中をむけ去っていく彼を、レイチェルはそれきり追いかけはしなかった。これきりの出会いだと思われたが、この後二人は1年もしないうちに、思わぬ展開で再会することになる。



 この事件はこれにて幕を閉じた。犯人は”ホーラ”の舞踏会に現れた宗教団体だった。彼らは舞踏会同様何も口を開かなかった。ただ一人を除いて。


「俺は反対だったんだ。あんな生ぬるい方法を取ってたから、作戦は失敗したんだよ。しかも、あいつはあっさり行方をくらましやがって!どうせ俺たちは捨て駒だったってことだろ!全く、腹が立つぜ!」


レグロ・エルナンデスといった男は、そう言いながら頭髪を掻き回した。あたりにフケが飛び散る。


「その人について、分かる範囲で教えてほしい。」

「悪いけど、何も知らない。」

「何も知らない?」


調査官ジャクソン・フランコは眉をしかめた。


魔法法務省は、主に三つの役割に分かれている。それぞれ裁判局、警察局、法務局である。

裁判局は事件の判決を行う組織である。

警察局は、実際に現場に行ったり、犯罪者を取り締まる組織であり、調査官はここに属している。ゆえに魔法国防省とも連携をとっている。

法務局では、魔術司法書のように法律のルールを決める組織であり、これは魔法内閣省と連携している。

国によって考え方が異なるが、最低限の規則は一貫しており、これらによって定められた規則と各国の規則に基づいて、裁判を行うのである。


ジャクソンはため息をついた。尋問に定評のある彼であったが、この野心的な瞳を持つ宗教家にはお手上げだった。事実レグロは何も知らなかった。


 誘拐された子どもたちは無事保護者の元も戻った。保護者の中には、魔法法務省まで足を運び、三人衆ビッグスリーに感謝を述べるものまでいた。オリスとレイチェルが共に自宅に戻ると、両親から熱烈な抱擁を受けた。年頃の少年は不機嫌な顔をしたが、離れはしなかった。


「レイチェルのおかげだ。本当にありがとう。」


この事件を解決するのに、彼女が関わったことを知ったコニーは感謝した。彼らの笑顔を見ることができて、彼女は嬉しくなった。ただ同時に”お兄ちゃん”と呼ばれていた少年のことが気になっていた。何か事情があるのは確かだが、それが何だったのか知る術はもうない。どこにいるのか、何者だったのか全くわからないのだ。


「これで少しは、南北関係が和らぐといいよね。」


コニーは彼女の表情を正しく読み取ることはできなかった。”タピオ”の南北関係は決して悪いわけではなかったが、特別仲が良いわけではない。聖者が不仲だからという噂もあったが、根拠としては薄い。


 事件が解決したことが、アイリーたちにも届くと、彼女はミラとハイタッチをした。慌ててミラが咳払いをして、照れを隠した。


「それにしても、その宗教団体は何か裏がありそうね。」


”悪復活の予言”というキーワードは、決して彼女たちの使命と切り離すことはできなかった。

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ヴァスドル・ウィッチ1 始まりの予言 名瀬きわの @kiwano

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