A面
気付いた時には落ちていた。
それが恋だという。
自販機で迷う姿に見覚えがあった。じっと見ていたが全然こちらには気付かず、同じようにじっと自販機を見つめている。徐にひとつのボタンを押した。
「猫実?」
声をかけると、静かに男はこちらを見た。俺の顔へと視線を向けたものの、返答はない。確かに、高校卒業から一度も会っていない。連絡も途絶えたまま。
そうか、忘れるもんなのか。
「高校一緒だった、犬飼」
こんな憐れな自己紹介はない、と思った。
猫実とは同じ高校だった。正確に言うと、高校三年間だけ同じだった。ギターを背負う姿に声をかけると、思っていたよりずっと面白く、楽しく、気が合った。
CDを貸し借りしているのをクラスメートに見られ、「お前ら全然タイプ違うのに仲良いよな」と言われ、自慢するように猫実と肩を組んだ。
「猫実って三組の女子と三ヶ月で別れたんだって」
「まじ? あんな美少女と?」
「犬飼、今なら狙い目なんじゃね? ほら前に可愛いって言ってたろ」
「え、猫実?」
放課後残った男子たちの雑談。俺の言葉にブーイングが巻き起こる。
「ちげーよバカ、三組の女子」
「ああ。別に、特に」
「興味うっす」
「俺、猫実との方が仲良いし」
「はいはい、お前は猫実とニャンニャンしてろ」
前に可愛いと思ったの、猫実の方だし。
なのに、卒業してから連絡が取れなくなった。え、CD返すって連絡しただけなんだけど。なんか俺したっけ。
猫実の大学に知り合いはいるけれど、猫実のことを知ってる奴は居なかった。組んでいたバンドも探したら、解散していた。
連絡が途絶えただけで、猫実との縁が切れた。生きているのか、死んでいるのかすらも分からない。いや、流石に死んだら連絡くらい来るのか?
大学でワンゲルサークルへ入り、卒なく就活をこなして、中小企業営業部へ配属になった。残業はあるけど想像の範疇だった。思っていたよりもずっと自分に向いている。
猫実は何やってんだろう。ギターはまだ弾いてるのか、曲は作っているのか。
再会という奇跡を手放すわけにはいかなかった。連絡先を教えたのに、全く音沙汰がない。そんな中、コンビニでふらつく猫実を見つけた。無理やり飲みの約束を取り付けて、少し自己嫌悪に陥る。でも楽しみが勝ち、一方でもしかしたら来ないかもなと冷静な自分が囁く。
猫実はやって来た。驚いたことにプレゼントまでくれた。
「犬飼のことが好きなんだ」
駅で言われた言葉が今も頭に残っている。言い逃げられたまま、結局そのまま。
また、連絡が途絶えた。
意味が分からん。
昼休憩中、唸りながらコンビニおにぎりを囓っていると、後輩の馬渕(まぶち)が顔を覗き込んでくる。最近、猛アタックを受けてるけど、好きな奴がいると断った。更に燃えているのを、躱す毎日。
「明日、ランチ行きません?」
「起きられっかなー」
「じゃあ明日ランチ一緒に行ってくれたら、犬飼さんのこと諦めます」
「本当かよ」
「本当です」
嘘か本当かも分からなかったが、これが良かった。この話に乗らなければ、猫実には会えなかった。
ランチを終えた俺は馬渕に連行され、アパレルショップをいくつか周る。その近くのアクセサリー屋に、猫実は居た。特に左耳に多くつけられたピアスに目がいき、持っていたピアスへ視線を向けた。
馬渕と別れ、そのピアスを買う。猫実がくれた名刺入れに比べれば、お釣りがくるくらいだ。
猫実は一緒にいた男性と気安く話していた。ザネくんと呼ばれているのは、仕事の名前か。
知らないことばかりだ。
じゃあ、聞くしかないし、伝えるしかない。
連絡を断つ理由を、一緒にいて楽しい理由を、ずっと傍らに居たい理由を。
ラーメン屋で固麺を頼む猫実を見る。なにか、と視線がこちらを向いた。
「それ、うまい?」
「食いたいの?」
「いや、俺も真似して固麺食べたことあったんだけどさ。微妙だった」
「あーちょっと分かる。でも微妙な感じが良い。美味すぎなくて」
「そういうもん?」
「美味すぎると、食べられないとき悲しくなるだろ」
猫実の語る理由に、生き方の片鱗を見る。俺との縁を切ろうとした理由も、同じようなもんだった。
好きだから傍に居たい俺と、好きだから遠くに置きたい猫実は、合わないのかもしれない。でも、行き着くところは同じだと思う。
目を覚ますと、タオルケットがかかっていた。脱いだTシャツがベッド下に放置されている。エアコンが動く音に顔を上げれば、カーテンの隙間から日の光が差し込む。
隣に猫実が居なかった。
どこへ行ったのかと、Tシャツを着ながら部屋の中を見回す。キッチン、トイレ、風呂、シューズクローク、ギターのケースの中。いや、居るわけねーだろって、誰もツッコんでくれない。
眠気が吹っ飛び、部屋着のまま飛び出した。携帯すら持たないまま、マンションを出る。
カンカン、と近くから踏切の閉まる音がした。コンビニの角を曲がる。早朝だからか、人通りがない。
ない、中に。
遮断桿へと手をかける姿。
ぶわ、と身体中の汗が吹き出る。考えるより先にその胴体を掴み、後ろへと引っ張った。よろけるように数歩、下がる。猫実の身体は夏なのに、もともと体温が低いのもあるのか、とても冷たかった。
「あ……犬飼」
何してんだよ、と怒鳴るよりも先に、猫実は俺の方を振り向き、少し笑った。
気が抜ける笑顔だ。
怒る気も、言及する気も失せる。
「……帰ろうぜ、腹減った」
「うん。あ、冷蔵庫、空だ」
「じゃあコンビニでなんか買お」
「財布ない。犬飼持ってる?」
「俺もない。……帰ろう」
ふ、と笑ってしまった。猫実も楽しそうに笑っていて、静かに手を繋ぐ。そのまま、二人で帰った。
END.
B面の恋
20220605
B面の恋 鯵哉 @fly_to_venus
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