ウルバト湖にてー吸血鬼の地味な日常

護道 綾女

第1話

 およそ三百年前の話ではあるが、当時大トリキア公国は危機に瀕していた。当代大公の唐突な崩御を端に発する内乱である。時を同じくして姿を消した公太子による大公暗殺とも噂されたが、それは今も定かではない。公国は大公とその公位第一後継者を同時に失い大混乱に陥った。これを好機と見て、最初に後継として名乗りを上げたのは、大公の甥であり公国第三軍団軍団長ニクラソン伯爵である。それに対し公女クリスティアンは息子アンダースを公位へと推した。  


 両派が睨み合う緊張感に、すべてが凍りつき静まり返った公都にあって、赤い満月の夜にそれは起こった。後にセレモニアル事変として語られるニクラソン伯爵邸襲撃事件である。まず、アンダースを推す公女側についた第一軍団の一派が伯爵家を襲撃した。幸い伯爵は不在のため難を逃れたが、これを期に第一、第三軍団は正面を切っての戦闘を開始することとなる。そして、公都で発生した戦火はやがて公国を二分しする内戦へと発展し、野火のように全土へと広がっていった。


 ニクラソン伯爵の不在の理由については様々な憶測が飛び交ったが、これについても定かな情報は記録されていない。歴史学者の数だけ説があると言ってもよいだろう。


 公都での戦闘においてはそれに伴う略奪行為も行われ多くの美術芸術品が失われた。それに脅威を感じた者たちは勢力や派閥を越え、それらの品々の疎開に向け立ち上がった。周辺国に協力を求め、その求めに応じ避難してきた美術品を受け入れた。


 内戦は二年続き、最終的には公女クリスティアン側の勝利で終結した。疎開していた美術品もやがて収蔵元へと無事帰っていった。しかし、ごく一部ではあるが行方不明となっている品々が存在する。それらは戦火に焼かれてしまったか、まだどこかに隠されたままなのかは誰にもわからない。それらは伝説となり、今も一攫千金を夢見て追い求めている者たちの心を引き付けている。


 帝国の西端に在する辺境の村クルクラレもそんな地域の一つである。水や食糧を求めてかウルバト湖のほとりにやって来た者たちで自然に発生した村と思われる。今でも住民たちは湖で獲れる水産物を頼りに暮らしている。西の大都市オキシデンからは遠く、古くから大トリキア公国の影響を受け、そちらから流れてきた者たちも多く彼らとの関りも深い。公国内戦時もこの村もいくらかの美術品疎開を受け入れたと言われている。この噂はの根拠としてはこの湖畔の小さな村には不似合いなほど立派な城塞と教会が建っていること。そして、そこを居城としていた領主ヴェストヴォ侯爵マグナス・エーン・ルーセンの公国との親交の深さから来ている。だが、それもやはり噂の域を脱していない。疎開計画自体が美術品の安全確保を優先するため公にされることは少なかったためだ。噂の真偽は侯爵家が握っているが、彼らは百年ほど前にこの地から姿を消している。後継者争いとされているがそれも定かではない。その後この地は帝国直轄領となり城塞と教会はつい最近まで無人となっていた。


 件の噂については大半の者は与太話で片付けているが、中には真に受けて一儲けを企みやって来る者もいるらしい。それはそれで村には釣り客と共にわずかながらの収入源となっているようだ。



 ミカエル・スタンネンは荷台に積まれた薪の山にもたれ空を見上げた。薄く伸ばした綿のような雲が視界の端に浮いてはいるが大半は青空が占めている。これなら目的地に到着するまでは天候の急変はなさそうだ。


 三年の兵役を終えたスタンネンは帝都を離れ西へと旅に出た。しばらく西方を訪ね歩くつもりだ。とりあえずは先に訪れた街のリュレブルガズで聞きつけたうまい鱒を釣るために、ウルバト湖湖畔の村クレクラレを目指すことにした。そして、そこでしばらくの間釣りをして過ごすつもりだ。


 これが今回盗賊ファンタマが化ける男の背景だ。素性は帝都のハッランド男爵の三男で義務となっている兵役をこなした後に街を出てきた貴族の青年だ。よく灼けた赤い肌と短い金色の髪。痩身長躯で黒い瞳、美男と言ってよいだろう。彼は可変の衣アラサラウスを纏いこの姿を作り上げた。今のところ、彼の話に疑いを持った者はいない。オキシデンの港の職員も、この荷馬車を操る御者もこの若干頭の軽そうな青年を受け入れてくれた。湖畔の村で鱒釣りに興じる話については半分は本気である。その上で、休暇ついでにあの湖の周辺で幾度も浮かんでは消える美術品疎開に関する噂に決着をつけるつもりだ。


 ファンタマ自身も多くの同業者同様に噂には懐疑的だ。しかし、現在オキシデンではおかしな状況が起こっている。出所不明の―おそらく盗品―公国製と思われる宝飾品が貴族や資産家の中で密かに流通し始めている。そこで警備隊は速やかに公国側とも連絡を取り、真偽を確かめた。見た目はアントンソン公時代の様式と酷似している真偽は今のところは不明との報告が入った。アントンソン公とはセレモニアル事変の発端となった大公のことである。そして警備隊筋からクレクラレという言葉が漏れてくるに至って業界内がざわつき始めた。例の与太話の中に真実が含まれているのかと。


 興味を持ったファンタマは座興の一つにと噂の真偽について解明してみることにした。噂を信じていないファンタマとしてはどちらに転ぼうと悪い結果は出ることはなく。うまい鱒は確実についてくる。いい話だ。


「そろそろ、クルクラレに入りますよ」御者のオスモスの声が前方から聞こえた。


 小柄な中年男だが締まった体には十分な筋肉が付いている。いつもリュレブルガズとクレクラレの間を行き来しているらしい。行きは湖の魚や森の獣の加工品など村で頼まれた荷物を集めリュレブルガズへ運ぶ。帰りは頼まれた物資を集め持って帰る。それが彼の仕事だ。今回は荷台に空きがあるので便乗することが出来た。


 御者席に大振りの鉈が目についたため道中で何か出ることがあるのか聞いてみた。大型の獣はもちろんのこと物騒な人にも出くわすことがあるそうだ。オスモスによると最近になってのことだが野盗が出るのだそうだ。幸い人的被害はまだでていないのだが、荷物を荒らされた被害は何件も出ている。黒い仮面に黒装束の三、四人の集団で現れる。追いかけても霧のように消え失せてしまうようだ。


「俺は幸いまだ出くわしたことはないんですけどね。念のため置いてます。最近はどうなってるのか」オスモスはため息をつきこぼした。


「ここ十年閉まったままだった教会にやっと司祭様が戻って来て、まぁ正確には助祭様なんですが……ともかく、来てくださってみんな大喜びだったんですよ。それがおかしくなってきたのは旅の人が亡くなった辺りからですかね」


「亡くなった?」


「……刺し殺されて湖に浮かんでたんですよ。それから少しもしないうちにもう一人……まぁ、ここでも喧嘩ぐらいならよくあります。暴れた奴が酔い覚ましに詰所の奥に入れられてることはままありますが、続けざまに殺しが二件は多すぎます。おまけに野盗まで出だしてどうなってるのか」


「お祈りでもしないといけないか。そのために司祭様はやって来たのか。あぁ、司祭様が先か、それにしても神様も用意が良すぎるな」とファンタマ。


「変な冗談はやめてくださいよ。こっちはまいっちまってるんですから……」


「あぁ、悪かった、悪かった」


 ファンタマがオスモスをなだめているうちに道の両側に丸太小屋が現れ始めた。民家に商店だろうか戸口の傍に看板が掛けられた小屋が見受けられる。どうやらファンタマも野盗に遭わずに村に辿り着いたようだ。


 次第に道幅が広くなり人通りが増えてきた。ややあって荷馬車が止められた。両側には商店が並び何やら焼けた肉の香ばしい匂いが漂っている。警備隊の看板が目に入る。あれが暴れた酔客の収容所か。その隣には復活が叶った教会があり、開かれた間口からは祈りを捧げる信者の姿が見える。ここが村の目抜き通りなのだろう。


「騎士さん、この辺りが村の中心ですよ。降りますか?もし、泊まるところが決まっているならそっちまでお送りしますがどうします?」


 ファンタマはもたれていた薪から体を起こし前に体を捻った。


「宿はまだ決めてないんだ。いい釣り宿を知らないか」


「あぁ、鱒釣りでしたね。それならいい宿を知ってますよ。そちらに向かいましょうか」


「ありがたい、そうしてくれ」


「承知しました」オスモスが馬に鞭をくれて馬車がゆっくりと動き出した。


 目抜き通りを抜けて再び森の中へと入る。西へと向かう道へと入り少しすると木々の向こう側に湖が見えてきた。


「あれがウルバト湖です。もうすぐ着きますよ」

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