第2話

オスモスの言葉通りほどなく陽光に輝く水面が現れ、進行方向に向かって右側に木造の建物群が姿を見せた。釣り具小屋と船小屋に桟橋、食堂の前を通り二階建ての宿の前で馬車は止まった。その向こうにもう一棟小屋があるが玄関口や屋根から下がった飾りなどを見ると宿の主人の私邸だろう。


 船宿「スパインファーム」の主人マーティンは釣り船を出しているため不在だった。だが、オスモスに彼の妻ネルを取次してもらい部屋を得ることが出来た。オスモスはマーティンに頼まれていた品々を降ろし去っていった。ここでもファンタマは砂漠に嫌気がさし、帝都を出た貴族の三男坊ミカエルとして無事受け入れられた。


 ネルは細身で小柄の女性で肩までのある髪は暗めの金色だ。鹿のように軽やかに動きファンタマを引き連れ二階へと上がっていった。案内されたのは二階奥の湖に面した部屋だ。大きな窓の向こうはすぐウルバト湖だ。見下ろすと右手に桟橋、その先の湖岸には噂の城塞と教会が少し霞んで見える。左手の岸にはここと似たような桟橋が幾つか目に入る。


「釣りについては道具も船もお貸しすることが出来ます。主人のマーティンに声を掛けてもらえばよい釣り場にも船で案内することが出来ます。釣ったお魚は隣の食堂に持ってきてくだされば、煮るなり焼くなりお好みの通り調理いたします。ただし、お味は山奥の庶民風になりますのでご了承ください」


「果物や香草をたっぷり使った濃い味かい?」


「はい、その通りです」


「大歓迎だよ。基本干されている砂漠風味からは少しの間は離れていたい」


「よほど懲りたんですね」ネリは声を上げて笑った。


「暑いだけだよ、あんなところは。まぁ、それで済んだのは運がよかったのかもしれないが」


 ファンタマは出征時の話はこれ以上口にしないようにした。いろいろと有用な情報は耳にはしているがここも帝国内である、どこに元同僚が潜んでいるかわからない。知ったかぶりは死を招きかねない。以後はしばらくネリの説明を大人しく聞いていた。


「他に何か気になる事はありますか」


 定番の説明を終えてネリは最後の一節を口にした。


「特には……そうだ。あの、向こうに見える城と教会は何だい。お金持ちでも住んでいるのかい」


 ファンタマは先の湖岸に見える城塞と教会を指差し示した。件の物件に対する村人の現状認識を知っておきたい。


 ネリは僅かに顔をしかめたように見えた。何か禁忌に触れたか。


「あれはビルダム城塞と言って昔は国境警備のために使われていたようです」ネリはファンタマの一瞬伺い、すぐに前方へと戻した。

「教会は少し離れていますがその付属です。その時は領主様もおられたのですが、いろいろあって現在は無人……あ、いぇ今はお客様がきてますね。城塞には学者先生たちが調査に訪れています。教会は司祭様とその従者の方々が再建のため来られて改装中です」声音からは警戒心は消えた。明るいといってよい。


 例の財宝伝説を気にしてのことかもしれない。泊り客に興味本位で動かれては迷惑だろう。湖に浮かぶようなことになればたまったものではない。


「なるほど……」


 それに無人でないのなら呑気に忍び込むわけにはいかないようだ。しばらく様子を伺う必要がある。


「村に恩恵はあるのかな」


「城塞の先生たちは時折こちらへ買い物や礼拝に来られる程度なので、わたし達には関係ありませんね。いらした司祭様は村に閉鎖されていた教会があることを知るや代わりに配下の助祭様を遣わしてくださって助かっています。週に一度礼拝にも来られています。先代のニクラス様が亡くなって以来、何かあればその都度隣村の司祭様にお願いしなければならなかったので大変でした」


「よい方か来られたんですね」


「はい、みんな大喜びしております」


「俺でも礼拝に参加すればその司祭様にお会いできますか」


「司祭様なら日曜の礼拝にお見えになります。ミカエルさんも参加されますか?」


「えぇ、是非に」


 村で話題の人物たちを目にしておいて損はないだろう。


「わたし達も夫婦で参加しますので一緒に行きましょう。案内しますよ」


「それはありがたい」



 クルラクレという村は暮らすのはともかく休暇で過ごすには静かでよい場所と言えるだろう。よそ者への警戒感はあるようだが、少し頭が軽めの貴族の青年を装い、釣り道具を担ぎ歩いている程度なら怪しまれることはなさそうだ。不審者ではないことを示すためにも挨拶は欠かせない。到着して二日間は釣りをしながらふらふらと歩き回り―実際は明確な方針を以て―湖畔周辺の集落の地形を頭に入れておいた。


 日曜日の朝、宿の部屋を出たファンタマは隣の食堂で朝食を取り、マーティンとネリの夫婦と連れ立って教会へ向かった。遅くついたわけでもないのだが、礼拝堂内の座席は既に半分以上埋まっていた。中央の通路を挟んで二派に分かれているようだ。マーティン夫婦は左側に座りファンタマはそれに続いた。


 ネリによると湖の東側と西側で座る場所が大体決まっているらしい。スパインファームの位置はほぼ中央なのだが東側に含まれてるらしい。そのため左側に座っている。両派で諍いがあるわけではない。ただ近所の人達と座っているそれだけの話のようだ。


 右側の最後尾に男女の集団が席に着いていた。全員が深緑の作業着姿だがどこか垢抜けた雰囲気だ。


 二人に聞いてみると


「あの人たちがビルダム城塞を借りてる先生たちだよ。通路側にいるのが責任者のグワンマイヨン博士だ」とマーティン。


 最も年嵩で茶色の髪に薄い灰色の瞳で痩身の男。顔には柔らかな笑みのしわが寄り穏やかに礼拝が始まるのを待っているようだ。


「その隣が助手のケロトッツ、有体に言えば用心棒だな」


 こちらは少し赤みがかった肌に短い黒い髪の男。細身で背が高い。


「他は補助の要員らしい」


「博士はここに何をしに来たんだい」


「森の植生を調べに来たらしい。用心棒まで連れて来たのは自衛のためだろう」


「自衛……野盗のことなら話に聞いてる」


 ファンタマはオスモスに聞いた話を二人に話した。二人とも迷惑気に顔をしかめる。


「あぁ、そうだな。だが、あんな連中より俺たちとしちゃ熊やさかってる雄鹿の方が怖いよ。あの先生たちもそうだと思う」


 一連の事件は村を疑心暗鬼へと陥れ、解決を見ないまま不安だけがくすぶっているようだ。


 背後でのざわめきが耳に入ってきた。ここで彼らが嫌う話題は中断となった。後ろに目をやると、教会の戸口に赤い衣に乳白色の前垂れといったいで立ちの聖職者が立っていた。


「司祭様がお見えになったようね」とネリ。話題が他に移り彼女は笑みを浮かべる。


「あの方がニコラ・ジャンソン様で侯爵家の教会再建のためにやってこられたんだ」とマーティン。


 白い肌に若干の赤ら顔、白い髪の上に白い帽子を乗せている。小柄な中年男だ。礼拝堂が静まり司祭は中央の通路を従者を後ろに従え進んでいく。司祭は祭壇の前で祈りを捧げた後、祭壇へ上り説教を始めた。。静寂の中に声が強く響き渡る。力強く叫んでいるわけではない。穏やかに語りかけるような口調だがよく通る声なのだ。礼拝堂の中央より後ろに座ったいるファンタマも労せず聞き取ることが出来る。信徒席の誰もが神妙に司祭の言葉に聞き入っている。僅かに首を右に振りグワンマイヨン博士一行に目をやった。礼拝前は椅子にもたれ腕を組み、いささか斜に構えた様子の彼らだったが、今は姿勢を正し列席した村人たちと同様司祭の説教に聞き入っている。実に帝国人らしい振舞いだ。思わず笑いが漏れそうになったが、慌ててかみ殺した。自分も帝国騎士であることを忘れてはいけない。


「いつもこんな感じかい」


 厳かな礼拝が滞りなく終わった後にファンタマは二人に聞いてみた。


「日曜は特別よ」ネリが答える。


「平日のクリーン様の時はもっとざっくばらんな感じだね。あの方は俺たちと同じ平民のでらしい」とマーティン。


「教会の再建というのは村でも手伝っているのかい?」


 今回の件とは関係なさそうだが噂の中心にある教会は目にしておきたい。入り込む機会があればそれに越したことはない。


「村から申し入れはしたんだけどね……」


「断られたよ」


「なぜ……」


「二コラ様によると、我々は教会再開のため一時こちらに身を寄せている身、手助けを申し出てもらえるならいずれ派遣されてくる者たちに掛けてやって欲しい。そして、その者達と共にこの地を盛り立ててやって欲しいと……」


「まぁ、実際のところは仕事をやってもらっても日当などは払えないってことだ。自分たちの生活で手一杯なんだ。そんなものかまわないって者もいるんだが、あちらさんが気になるらしい」とマーティン。


「それで全部お断り。けど、簡単な差し入れとかは受け取ってもらえるので、少なからず力にはなれてると思うわ」


「なるほどね」

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