第6話

 ウルバト湖を囲む森の木々はさほど密生しておらず、枝葉の間から陽光も十分に差し込み足元は明るい。そのため下草もよく育っているが歩行に支障をきたすほどではない。唯一にして最大の障害は点在する茨の茂みのようだ。そこは直進することが出来ず周囲を迂回することが必要となる。歩くだけなら面倒なだけで済むのだが、狩りの場合はそうはいかない。獲物がそこに逃げ込まれては追うことが出来ない。無理をすればこちらが怪我をすることになる。そこでノリのような犬の出番となる。胴長短足の滑稽な体形はしているが、ちゃんと犬としての牙は持ち合わせている。指示を出せば人が入れない隙間に潜り込み獲物を捕らえ帰ってくる。


 朝に犬小屋から連れ出されたノリは上機嫌で二人の前を歩いている。左右に若干蛇行しながら歩を進める。行く手に茨の茂みが近づいてきた。右へ迂回するためリッチはノリの首輪から伸びた紐を軽く引いた。なぜか、ノリはその場に立ち止まりリッチが紐を引っ張っても応じない。


「ノリ?」


 リッチの言葉にも上の空でノリは他に気を取られているようだ。そこにどこに潜んでいたのか丸々と太ったウサギがファントマたちの左側に現れた。ウサギは素早く茨の茂みの中に飛び込んだ。それに釣られてノリも茨の中へと向かう。小柄の犬に見えても思いのほか力は強いようだ。リッチは不意に引っ張られたことも相まって、つんのめるように前に引っ張られていく。ノリはウサギを追い茨の隙間に消え、直後に不安そうな鳴き声が聞こえた。ノリを止められないリッチも茨に向かい突っ込んでいく。


「うわぁぁぁぁ」リッチは躓き叫び声だけを残し姿を消した。


 ファントマの前からは誰もいなくなった。ウサギと犬のノリはともかくリッチまでがかき消すように姿を消した。どういうことなのか。人が密生する茨の中をすり抜けるなど可能なのか。


「リッチ!どこにいる。大丈夫か」訳が分からないがとりあえず呼びかけてみる。 


「あぁ……なんとか助かったよ。少し尻は痛いが俺もノリも無事だ」


「どこにいる?」


「下だ。茨の茂みの下に穴が、いや洞窟になっている。そこに落ちたようだ」


 茂みの下に穴?にわかには信じられないが、確かに声は下から聞こえてくる。


「ひどい怪我はないか」


 この茨の中に飛び込んでいっては無事ではすみそうにない。


「床が柔らかくて落ちた時に尻を打った程度で済んでる。心配ない」


「切り傷とかはないか」


「……ない。ついてたようだ」


「そうか、待っててくれ」


 目前の茨の茂みに目をやる。大きな棘を付けた太い枝が絡み合っている。これを無傷で通り抜けるなどよほどの幸運だ。


「まず、この茨をどうにかする。茨の下からどいておいてくれ」


「わかった」とリッチの声。


 腰の鞘から剣を引き抜き、両手でしっかりと支え茨の茂みの左から右へと力を込めて振りぬく。剣への手ごたえが全くなく右へ抜けた。茨にも動きはない。仕損じたか、そんな馬鹿なはずがない。しかし、実際に手ごたえはなく茨は揺らぎもしなかった。


 次は太い枝にゆっくりと切っ先を突き立てた。剣の刃は何の抵抗もなく茎の裏側に通っていった。枝が切れているように見えるが剣を抜いてみると傷はどこにもついていない。この茨の茂みに実体はない。何者が仕掛けたかはわからないが、よくできた幻影だ。それが リッチが落ちた洞窟の入り口を幻影が隠している。


 どこまでが幻影なのか。茨の茂みに突きこみゆっくりと右へ歩きだす。やはり剣への抵抗はなく、茂みの葉一枚、枝の一本も動かない。剣を突き立てたまま周囲を歩いてみるが本物の茨は見つからない。


 ファンタマは剣を鞘に納め茂みの傍に立った。そのまま彼は幻影の茂みに前から倒れ込んだ。抵抗はないはずだ。あったとしても彼を包み込んだアラサラウスが守ってくれるだろう。予想通りファンタマは何の抵抗もなく茨の茂みを通り抜けた。アラサラウスの巧みな空気抵抗の調整により柔らかに着地した。


 見上げてみると天井に空いた穴から陽光が差し込んでいるように見える。穴はきれいな長方形でそれを茨の茂みが覆い隠している。床は外から入り込んだ落ち葉が積み重なりできた腐葉土が層をなしている。


「おいおい、あんたまで入って来てどうするんだ。誰が助けを呼びに行くんだ」 リッチが呆れ顔で声を掛けてきた。


「ここは人の手で作られた地下施設だよ。探せば必ず出口が見つかる」


「何だって……」


「天井の穴は長方形で魔法で作り出した茨の幻影で隠してある。壁はきれいで滑らかだ」ファンタマはそれらを指差しリッチに示した。


 幻影はよく出来ていて本物のように枝葉の隙間から陽光が差し込んでいる。


「いわれてみればその通りだ」リッチは上を見上げ、壁を手のひらで触れた。壁は傷んではいたが煉瓦で覆われている。森の地下がこんなことになってたとは……どうして今までわからなかったんだ」


「たぶん、好き好んで茨の茂みに突っ込んでいく奴はいないからだろ」


「……確かにな」


 ノリにしてもウサギに興奮し釣られての行動だ。ウサギがいなければリッチと共に大人しく歩いていただろう。


「立てるか」ファンタマは壁にもたれて座っているリッチに呼びかけた。


「問題ない」


 リッチは立ち上がり尻の土を払った。


「ノリはどうだ」


 犬は一声吠え尻尾を振った。


「問題ないとよ」とリッチ。


「それじゃ出口を探すとするか」


「物騒な仕掛けとか魔法人形とかいないよな」


「……」その点は失念していた。魔法仕掛けの幻影を目にしていたにかかわらず「用心して動くことにしよう」




 茨の穴付近こそ腐葉土が積り壁も傷み汚れていたが、少し離れただけで壁や床にタイルが貼られ手の掛けられた隧道であることがわかった。 ただし、長年放置されているようで床や壁は埃にまみれている。ファンタマは光球を呼び出し、隧道を奥へ進んだ。これにリッチはさほど驚きはしなかった。術式を覚えに外に出る者が大勢おり、この村でも珍しいわけではない。相手が帝都の騎士となればなおさらだ。


 リッチが立ち止まり床を見つめる。


「何だ、おかしいぞ」リッチが声を潜め呟いた。「さっきの場所に戻ってくれないか」


「あぁ、わかった」


 二人は踵を返し元の穴の下に戻った。リッチが床を真剣な目つきで床を見聞する。


「間違いない。穴の下は俺たちがすっかり荒らしてしまったが、少し離れるとほら……」腐葉土が積もった床を指差す。きれいな半円形のくぼみがある。


「足跡か……人の」


「おそらくな」


「よく気が付いたな」


「俺は釣りは苦手だが狩りはやる。獲物を追うことにかけてはそれなりの自信はある」


「なるほど」


 改めて奥へと向かう。リッチに教えられファントマにも足跡が見えるようになった。何者かがここを通路として使っているようだ。いたのではなく、今現在使っている。付いている足跡をたどり奥へと向かう。これで放置された古い魔法仕掛けや動人形と遭う確率は減ったが、人もまた面倒な相手だ。


 歩いているうちに天井の穴は一カ所ではないことがわかった。ここに使っている者たちはこれらの穴を使い、巧みに外へ出入りをしていたと考えられる。例の野盗たちか。それなら速やかに姿を消したことも頷ける。枝道を行きつ戻りつ元の進路へ、そうして探索をし歩いているうちに床に座り込んでいる人影が光球に照らし出された。


 二人で顔を見合わせ慎重に前に進む。この距離なら相手は光を感じているはずだが、反応はなく項垂れたままだ。更に近づくとその理由が分かった。既に死んでいたのだ。随分、昔に亡くなったのだろう骨になってしまった頭には乾いた皮が貼りつき割れて崩れ下の頭骨が露出している。右足の膝から下が反対方向へ曲がってしまっている。 これが彼をここから動けなくした原因か。


「気の毒に俺と違って落ち方が悪かったんだろうな。ここまで来て力尽きたか」リッチはため息をつき胸の前で祈りを捧げた。


「心当たりはあるか?」


「何人かある……子供の頃から森に湖に入ったっきり帰ってこない者が何人もいるんだ。村を上げて探しても見つからないってことが何度かあった」


「その中の一人はここに来てしまっていた……」 とファンタマ。


「そのようだ」


 リッチはしばらく黙り込み立ち止まっていた。ファンタマはそれを見守っていたが、やがて彼は歩き出した。


「出口を探そうか。俺たちまでいなくなるわけにはいかない」 とリッチ。


 それからも地下を歩き、足跡を追い辿り着いたのは一見何もなさそうな壁の前だった。しかし、なぜかこの前に足跡が集まっている。どうやら目的地につけたようだ。後は中に守り神などが待機していないことを祈るのみだ。

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