短編小説『真の愛』

川住河住

お嬢様は執事に謎解きを命じる

 屋敷の玄関前を掃除していると、左ハンドルの高級車が門をくぐるのが見えた。

 ほうきを動かす手を止めて、私は深々と頭を下げたまま到着を待つ。

 車が玄関先に停まるとすぐにドアは開き、中から着飾った女性が飛び出してきた。


「ただいま!」


 その人が私の胸に飛び込んできた瞬間、心臓の鼓動は速まり、顔が熱くなるのがわかった。胸の高鳴りに気づかれないよう、そっと体を離してから平静をよそおって話す。


「おかえりなさいませ、お嬢様」

まことさん! 聞いてちょうだい! お見合いの席で不思議なことがあったの!」

「お話は聞かせていただきます。しかし、その前に着替えをなさってください」

「着替えなんてあとでいいわ。そんなことより……」

「お嬢様。どうかお願いします」

「……わかったわ。部屋で待っているからすぐに来てちょうだい。これは命令だからね」

 名残惜なごりおしそうにこちらを振り返りながら屋敷の中に入っていく。


 そんな姿もまたかわいらしいと思ってしまうのは、惚れた弱みだろうか。

 しかし、この想いは届かない。

 決して届くことはないのだ。

 なぜならお嬢様は、私のことを……ただの使用人としか見ていないから。



 ◇



「お嬢様。お茶をお持ちいたしました」

 ティーセットを持って部屋に入ると、お嬢様はすでに着替え終えていた。

 テーブルの上には透明な小袋が置かれている。袋の中には丸や四角、星や花などいろいろな形のクッキーが入っている。帰りに洋菓子店で買ってきたのだろうか。

「お見合いの席でなにがあったのか、教えていただけますか」


 お嬢様は、パッと笑顔の花を咲かせて語り始めた。

「今日の相手はⅠT企業の社長さん。場所はいつもの料亭。でもね、いつもいるはずの若女将がなぜかいなかったの」

「はあ。たまたまお休みだったのでは?」

「それはないよ。わたしがお見合いの日には、必ずいるようにお願いしてるんだから。わたしのことを世間知らずなお嬢様だと思ってなめてかかる男の人も多いから。そんな時、上手く対処してくれる人がすぐそばにいてくれたら安心でしょ?」

「それなら体調でも崩したのか、急な用事でも入ったのかもしれませんね」 

「もしかしてデートかな。最近、バーで素敵な男性と知り合えたって言ってたから」

「不思議なことの答えは見つかったようですね」

「ううん。不思議なことがあったのはその後だよ。お相手の若社長さんがお食事の途中でなにも言わずに突然帰っちゃったの」

「お見合いの途中でお帰りになるなんて……いったいなにがあったのでしょう」

「わかんない。わたしは失礼なこと言ってないしやってないからね。本当だよ?」

 お嬢様は、クッキーを一つ食べてから紅茶を飲んで一息ついた。


 それから澄んだ瞳でまっすぐに見つめてくる。

「ねぇ真さん。どうして若社長さんは帰ってしまったのかしら」

「さあ。私にもわかりません」

「いじわる」

「申し訳ありません。他にやるべき仕事がありますから」

「なら命令です。この謎を解きなさい」

「かしこまりました」

 お嬢様のご命令ならば断わるわけにはいかない。





 私は最初に思いついたことをそのまま告げる。

「若社長にも急な用事が入ったのではありませんか? トラブルが起きてすぐ戻るように連絡があったのかもしれません」

 お嬢様は少し考えるそぶりを見せた後、首を大きく横に振った。

「それはないよ。私たち、お見合いの前にスマホの電源を切っていたから。連絡が来ていたとしても気づかないよ」


「では、その時の若社長の顔色をご覧になりましたか?」

「うん。ちょっと青ざめてたかな」

「なら若社長さんは、お腹を壊してしまったのでしょう」

「それも違うと思うなあ」

「なぜですか?」

「もし本当にお腹を壊していたなら部屋を出てすぐにトイレへ駆け込むでしょ。でも仲居さんの話だと、若社長さんはなにも言わずに玄関から出て行ったみたいだから」


 答えを出すには、まだまだ情報が足りない。

 詳しい話を聞きながらもう少し考えてみよう。

「お嬢様。他に不思議に思ったことはありませんでしたか?」

「うーん、お料理は同じものを食べていたし、どれもおいしかったからなあ。若社長さんはお酒を飲みたいと言ってたけど、今日は車で来てるから飲めないってなげいてた」

 お嬢様は楽しそうに話してくれたが、悲しいことに欲しい情報はまったく得られなかった。


「あ、そうだ。今日は新作デザートのプリンも食べられたよ」

「若社長さんも召し上がりましたか?」

「もちろん。でも、一口食べたらすぐに出ていっちゃったんだ」

 まさかプリンになにか入っていたのだろうか。

 薬物? 毒物? 

 いや、さすがにそれはあり得ないか。


まことさん」

 名前を呼ばれて前を向くと、お嬢様が真剣な表情で見つめていた。 

「デザートに食べたプリンなんだけどね。思い出したことがあったの」

「なんですか?」

「たぶん、隠し味に洋酒が入ってたと思う」

 料理やお菓子の隠し味に酒を入れるのは、なにも珍しいことではない。風味を良くするためや香りを引き立てるためなど、用途はいろいろある。


「もしかして若社長さんは、プリンに洋酒が入っていたから急いで帰ったのかしら」

「飲酒運転で事故を起こす恐れがあるから先に帰った、ということですか」

「ええ。あの人は、大好きなお酒を我慢していたでしょ。つまり自分で車を運転して料亭へ来たということよね。それなのに、洋酒の入ったプリンを食べてしまったら……」

「お嬢様。残念ながらその可能性は低いと思われます」

「あら。どうして?」

「食べ物に入れられた程度のお酒では酔いません。もし仮に酔っていたとしたら、すぐに帰ろうとはしないでしょう。水を飲んだり横になったりするはずです」

「……そっか。これもハズレか」





 お嬢様は、ため息をつきながらスマホをいじり始めた。

「そういえばお見合いの席に飾られている花がいつもと違ったんだけど、これってなにか関係あるかな。でも、名前がわからないんだよね。真さんわかる?」

 お嬢様が持つスマホの画面を見ると、白い花弁がいくつも折り重なった花が映っていた。

 しかし、この花はたしか……。


「お嬢様。これは、ゼラニウムという花ですよ」

「さすが真さん。なんでも知ってるのね」

「恐れ入ります」

「そんな真さんには、ご褒美をあげましょう。あーん」

 お嬢様は、花形のクッキーを取ってこちらの口元に運んでくる。

「申し訳ございません。そういったことは……」

「これは命令よ。はい、あーん」

 お嬢様の細い指でつままれたクッキーが私の口の中に入ってくる。

 歯で噛むとサクッとした食感が伝わり、舌の上にバターの風味と砂糖の甘みが広がっていく。また、かすかに洋酒の香りがふわりと漂った。

「おいしい?」

 その問いかけに私は黙ってうなずく。

「お口に合ってよかった。料亭からお詫びにいただいたクッキーなの」

「お詫びとは、若社長さんが勝手に帰ったことですか?」

「ううん。これは、若女将がいなかったことへのお詫びだって言われたわ」

「なるほど。そちらのお詫びでしたか」

「これね、若女将の手作りなんだって。お店で出せるくらいおいしいよね」

「若女将の作り、ですか?」


 ふと違和感を覚えた。

 急用が入って出かけるという人が手作りクッキーをすぐに用意できるものだろうか。

 いや、できない。たとえプロの菓子職人でも難しいと思う。

 もしできるとしたらこの日のために事前に準備していたとしか考えられない。

 その瞬間、頭の中で不思議なことの答えが見つかった。

「お嬢様。謎はすべて解けました」





「さてお嬢様。なぜ若社長さんが突然帰ってしまったのか。今からその理由をお話します」

「ええ。聞かせてちょうだい」

 お嬢様は、両手を膝の上に置いた状態でイスに座っている。


「若社長さんがお見合いの席から突然出ていったのは、あるメッセージを受け取ったからです」

「ちょっと待って。スマホの電源は切っていたと言ったでしょう。それなのに、どうやって連絡を受け取ることができるの? そんなの絶対にできないわ」

「いいえ、お嬢様。メッセージを伝える方法は、電話やメール以外にもあります」

「電話やメール以外の方法……それって手紙? でも若社長さんは、ずっと私の前にいたのよ。そんなものをもらったり読んだりしたら気づかないわけがないわ」

「気づかなくても無理はありません。メッセージは、

「え……。まさか若社長さんが召し上がったプリンにだけ、なにか入っていたというの?」

「いいえ。お二人が食べたプリンは、おそらく同じものでしょう。ただし、若社長さんにだけ伝わるメッセージがプリンの中に隠されていたのです」


 お嬢様は口元に手を当ててしばらく考え込むと、神妙な面持ちで聞いてくる。

「もしかして、隠し味の洋酒のこと?」

「さすがです。よくお気づきになりましたね」

「でも、お菓子に洋酒を入れるのは珍しくないでしょう。そんなのメッセージなんて言えるのかしら」

「お嬢様。いつも屋敷で食べているものが料亭で出されたら驚きませんか?」

「突然なあに? どういうこと?」

「例えばそうですね。ポテトサラダは、いかがでしょう」

 この屋敷で作られるポテトサラダは、一般的なものとは少し違う。つぶしたじゃがいもに薄く切られたにんじんやきゅうりといっしょにマヨネーズで混ぜ合わせるところまでは同じ。ただし、食べる時に特製ソースをかけて食べるのだ。

「特製ソースの作り方は屋敷の料理長しか知りません。しかし、もし料亭で特製ソースのポテトサラダが出てきたら驚きませんか?」

「それは、そうね。ビックリすると思う。料理長が来ているのかと厨房ちゅうぼうを探してしまうかも」

「若社長さんは、料亭でそれと似たような体験をなさったのです。家でしか食べられないはずの洋酒の入ったプリンが出てきて驚いた。だから、すぐに帰ってしまったのです」


「つまり若社長さんのことを知っている人が料亭にいたということね。それはいったい誰? どうしてそんなことをしたの?」

「目的は、若社長さんに自分がここにいると伝えるためです。先ほどお嬢様が言った通り、慣れ親しんだ味の料理が出てきたら作った人が近くにいると考えるのが自然です。しかし若社長さんにとっては、その人が料亭にいることが不都合だったのです。いえ、お嬢様といっしょにいるところを見られるのは不都合と言うべきでしょうか」

「私がいっしょにいたらダメってどういうこと?」

「もし泥棒が盗みを働いた後に警察官の姿を見たら逃げたくなるでしょう。若社長さんには、若い女性と楽しく食事している姿を見られたくない人がいたということです」

「え、それって恋人? 誰かしら」

 お嬢様は突如わいた恋バナに興奮した様子だが、その意味を理解しているのだろうか。

 若社長は、恋人がいながら年下の女性とお見合いするバカ社長だということに。


「お嬢様もよくご存じの方ですよ」

 お酒が好きな若社長の嗜好に合ったお菓子を作ることができる気の利いた女性。

 お嬢様も気づいたようだ。

 いや、気づいてしまったようだ。

「そんな……まさか……」

 彼女の目は大きく開き、顔から血の気が引いていく。


 バーで知り合ってからお付き合いを始めたのでしょう。手作りのプリンを食べさせるくらいですから、それなりに深い付き合いなのかもしれません。急用でいなかったというのは嘘です。若女将はプリンを作る必要がありますし、お詫びのクッキーも用意しなければなりませんから。おそらく料亭の関係者たちも協力していたのでしょう」

 老舗料亭なら若女将が子どもの頃から働いている人も多いだろう。中には、自分の娘のように想っている人もいるかもしれない。そんな人たちが若女将を不幸にする存在を許すはずがない。もしお嬢様を不幸にする奴が現れたら私だって似たようなことをするだろう。


「プリン以外にもメッセージはありました。それが白いゼラニウムです。いくつも重なった白い花弁がウエディングドレスや白無垢しろむくの花嫁を連想して縁起がよさそうに見えます。でも実際は、逆なんです」

 これ以上の真実は必要だろうか。

 辛いことや悲しいことをお嬢様に知ってほしくない。

 しかしお嬢様は、真っすぐに私を見つめていた。

 どんな真実からも決して目を背けないといった風に。

「白いゼラニウムの花言葉は……『あなたの愛を信じない』」




 お嬢様の目から涙がこぼれていき、声には震えが混じっている。

「知らなかった。若女将のお付き合いしている人が……」

「お嬢様はなにも悪くありません。悪いのは、恋人がいるのにお見合いした若社長です」

「もう料亭には行けないのかな。これからどんな顔して若女将と会えばいいんだろう」

「大丈夫です。お嬢様がにっこり笑っていれば、若女将も笑い返してくれますよ」

 不安な気持ちを吐き出し続けるお嬢様に、私は少しでも元気になるような言葉をかける。

「若女将は、とても優しい方ですね。そして約束を守る律儀な方でもありますね」

「どういうこと?」

「お嬢様は言ってたじゃないですか。なにかあったら対処してくれるよう若女将に頼んでいたと。そして実際に守ってくれたじゃないですか。わかる人にだけわかるメッセージを送って」

 おそらく若女将は、お嬢様に対して嫉妬や敵意を向けていない。

 少しは抱いたかもしれないが、今はまったく持っていない。少なくとも私はそう思っている。


 そうでなければお詫びのクッキーの説明がつかない。

 もしもお嬢様に悪意を持っていたとしたらわざわざクッキーなんて用意しないだろう。そんなものを渡したら若女将がお菓子を作ることができるとわかってしまうのだから。

 実際、そのおかげで私はプリンが彼女の手作りと気づくことができた。

 しかも花形のクッキーには洋酒が入っていた。きっとこれは若女将からお嬢様へのメッセージだったのだ。

『お見合いを台無しにしてごめんなさい。でもこの男は、やめておきなさい』という。


「……そっか。うん、そうだね。今度会ったらクッキーおいしかったって伝える」

 お嬢様の顔には、いつもの明るい笑みが戻っていた。

 それを見届けた私は、ティーセットを片づけて部屋を出ようとする。











「真さんが男の人だったら今すぐ結婚したっていいのになあ」











 お嬢様の言葉が私の心に突き刺さる。

 歯を食いしばってなんとか涙が出るのはこらえた。

 失礼を承知で背を向けたまま答える。

「お嬢様の前にもきっと現れますよ。素敵な男性が……」

「そうだといいな。その時は、真さんに一番に紹介するね」

 お嬢様の悪意のない言葉が私の心を傷つける。

「ありがとう、ございます」

「わたしが結婚してもこの屋敷で働いてくれる? ずっといっしょにいてくれる?」

「ええ……もちろんです……」

「絶対よ。絶対にずっといっしょにいてね。これは命令よ」

 

 いつかお嬢様が結婚することになったらマーガレットの花束を贈ろう。

 最初で最後の告白。

 お嬢様は、私の想いに気づいてくださるだろうか。

 マーガレットの花言葉は――。

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短編小説『真の愛』 川住河住 @lalala-lucy

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