第三章

接収

 五行社の社屋で速水と相馬が諍いを起こしてから十日ほどの時が経っていた。

 月日は瞬く間に流れ兄妹が終戦後の日本に流れ着いてから、三月ほどが経って六月も半ばに入ろうとしている。

 世情は相変わらず混迷を極め、少し前には食料を求めた民衆による大規模なデモ活動まで起きていた。


 そんな世相を反映してか天気もジトジトとした雨が降り続き堂島家にも陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 そんな空気にもめげずに兄妹は今日も石鹸作りに励んでいた。


「うぅあっちぃ~。

 こう蒸し蒸ししていると石鹸もなかなか固まらないな」

「仕方ないわ、そういう天気だもの」

「まあこれが大金に変わると思えばやる気も出るな」


 先日の一件以来、大原が石鹸をコンスタントに大量購入する様になったのだ。

 どうやらどこぞの大規模な施設にまとめて安く売っているらしい。それに加えて佐伯の伝手で、川崎や蒲田の闇市でも石鹸をおろせるようになったので、兄妹の手元には既に千円以上の金が入っていた。


 ****


 ぶつぶつ言いながらも二人が石鹸作りの作業を続けていると、表から車のエンジン音とドアを開け閉めする音が聞こえてきた。


「あら速水さんかしら」

「そうかもな。良し、出迎えてこよう」


 二人は作業を一度中断するとそう言って立ち上がり玄関に向かって行った。

 何者かがバンバンと玄関の戸を叩く。それに反応してお重が小走りで玄関に向かい扉を開ける。


「はーいどちら様?」

 お重はそう言って玄関の扉を開ける。ちょうどその時兄妹も玄関にたどり着いた。


 そこには 米軍の高級将校と思わしき軍服を着た壮年の白人男性と、ライフルを担いだ米兵が二人、さらには真のよく知った顔の下士官、マーク・イシイ兵長が立っていた。


「あ、あなたは!」

 そう驚きの声を上げる真を見てイシイは 一瞬、目を見開くのだった。


 ****


 真の存在に一瞬驚愕の表情を浮かべたイシイはすぐに平静を取り戻し、戸惑うお重に向かって

「すまないが家主を呼んでくれ」

 と告げた。

「し、少々お待ちください」

 とお重は言い残し、静江を呼びに中へ駆けてゆく。


 そんなお重を見送って、真はイシイに話しかけた。

「イシイ兵長。一体どうしてこの家に?」

 イシイはそんな真の問いに答えずに厳しい顔で、真に対し質問をする。


「……ここは君の家か」

「いいえ僕たちは居候ですけど」

「……そうか」


 二人がそんなやりとりをしているうちにお重が静江を連れて戻ってきた。


「お待たせいたしました、この家の主人の堂島と申します。……それで米軍の方が一体何の御用でしょうか」

 静江は毅然とした佇まいでイシイらにお辞儀をするとそう静かに訊ねる。


 そんな静江を依然厳しい表情で見つめながらイシイは一枚の書類を鞄から取り出して、それを突き出しながら話し出した。


「GHQは占領軍将校用住宅として都内の住宅の一部を接収する指令を出した。そしてこの住宅もその指定を今日付けで受けた。そのためあなた方には十日後までにここを退去していただきたい」


 その言葉を聞いて静江達の顔が青ざめる。

 平静を保っているのは米軍側とこの事態を予測していた芹香だけだった。


「そ、それはどういうことですか! ここは私の家です 。突然そんなことを言われても困ります!!」

「これは決定事項だ。それに君たちがここに住んでいることは我々も承知している。だから期限を設けたのだ」


 イシイは静江の抗議にも一切動じず淡々とそう告げる。


「……猶予はいただけるわけですね」

「ああ。ただ先ほども言ったように 十日後までに荷物をまとめて立ち退いてもらいたい。以上だ」


 それだけ言うと手に持っていた書類を静江に渡しイシイは踵を返し外へ出ようとする。

 しかしイシイの肩を掴みそれを止める者が居た。

 それは意外にも真であった。


「待ってくれよ。いきなりそんなこと言われても納得できないぜ」


 イシイは無言で振り返ると真の手を払い除けた。

 真の行動に対し二人の米兵が銃を構える。

 それに対して将校が何事か兵士に命令する。

 それに対しイシイは何事か言ってこちらに向かって来る二人を止めると真を振り返り、


「とにかくこれは決定事項だ。我々にも変えることはもうできない」


 と憐れみの表情で語りかける。

 そんなイシイの表情に真は何も言えなくなってしまった。


「では我々はこれで失礼する。……くれぐれも期日を守るように」


 イシイはそう言い残すと静江達に向かって軽く敬礼し他の将兵共々、表に停めてあったジープに乗って立ち去っていった。

 後に残った真達には気まずい沈黙だけが残された。

 そんな中、真がポツリと呟いた。


「……なあ芹香。あの偉そうな米兵は他の兵隊に何て言ってたんだ」

「……これから私の物になる家をジャップの血で汚すなって。やるなら表に引き出して素手でやれって。

 ……それをあのイシイって人が止めてたわよ」

「……そうか」


 真はそれ以上何も言えなかった。


 ****


「そんなの到底納得できません!!」


 清十郎が学校から帰宅すると静江は住人全員を集めた。 静江は清十郎に昼間はあった出来事を語って聞かせるが、それに対して清十郎はそう声を荒らげる。


「清十郎。気持ちはわかるけど落ち着きなさい」

「これが落ち着けますか!! 米軍が僕達の家を勝手に接収した挙げ句、出て行けだと!? こんなの横暴過ぎる!!」


 激昂する清十郎を宥めようと静江も口を開くが清十郎は一向に聞く耳を持たない。


「清十郎君、とりあえずお茶でも飲んで落ち着いて」


 そう言って芹香は清十郎にお茶を差し出す。

 その言葉に清十郎は従い差し出された湯呑みを手に取ると一気に飲み干す。清十郎はそれで落ち着いたのか少し静かになった。


「それで母上はどうするつもりなんですか?」

「……向こうの言う通りにするしかないでしょう」

「そんな!」


 清十郎の問いに対して静江がそう答えると、清十郎は信じられないといった表情で静江を見る。


「そんなのあんまりじゃないですか。僕達の家なのに……」

「……清十郎、仕方がないのよ。この国は敗戦国。……私たちは負けたのだから」


 静江の言葉に清十郎は黙ってうなだれるしかない。


 兄妹はそれをじっと見詰める。

 憐憫と達観の色を、それぞれに浮かべながら。

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【リメイク版】タイムスリップ1946 ほらほら @HORAHORA

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