それぞれの立場 後編
翌日。兄妹の姿は五行社の社屋の前にあった。石鹸の売上げから上納分を納めに来たのだ。
学校が休みという事で清十郎も一緒だ。
結局、昨日はその場は何とか収まったものの、その後、終始真と芹香、静江の間は何となくギクシャクした空気が漂う様になってしまった。
それは列車に乗って川崎まで来た今も変わり無い。
「やあ、久し振りだなぁ、皆元気かな?」
清十郎がそんな二人を取り持つように空元気を上げる。
「……ああ」
「ええ……」
だが兄妹は二人とも上の空だ。
そんな二人に清十郎が肩を竦めながら社屋の扉に手を掛け開けようとする時、中から男たちの怒鳴り声が聞こえてきた。
「何だ!?」
驚いた清十郎が慌てて扉を開けて三人が中に入ると、中では速水と相馬が揉み合っておりそれを林田が間に入って必死に仲裁しようとしていた。
速水と相馬は互いの胸ぐらを掴み、
「飛行部隊が仕事をしていれば日本は焼け野原になぞなっとらんわ!! 一体お前は何の整備をしていたんだ、ばかでかいブリキの玩具か?」
「貴様こそ高射砲が何の役にたった!? 音と光だけ派手で掠りもしていないだろうが! 貴様は空が赤く染まる程に国土が焼き尽くされるのを、阿呆面さらして眺めていたんだろう?」
と罵りあっている。
その二人を林田が
「二人とも、二人とも落ち着いて!!」
と必死に押し留めているが、如何せん体格で負けて役にたっていない。
「一体どうしたんだ……」
それを見て真たち三人は呆然と立ち竦む。
だが、やがて二階部分から
「……っ貴様ら、いい加減にせんかぁっ!!」
と、凄まじい怒声が響き渡る。声の主は佐伯だ。
そのあまりの気迫に揉み合っていた三人も動きを止める。
佐伯は、
「……全員、今すぐ上がって来い」
とだけ言うと事務所に引っ込んでしまう。
それを聞き、掴み合っていた速水と相馬も顔を見合わせると手を放し、二階に向かって階段を登る。林田や真たち三人もそれに続いた。
****
「……それで、何があったのかね。林田君が説明してくれ」
事務所に全員が集まると、佐伯は自分のデスクの椅子に腰掛け、速水ら三人をソファに座らせると林田にそう訊ねる。
ちなみに真達三人は壁際の丸椅子に座っている。
林田は速水と相馬をチラリと眺める。二人はソファに並んで腰掛け、互いに顔を背けている。
それでも、佐伯に視線で促され林田は話し始めた。
「はあ……最初は単なる世間話で、兵隊に取られて何処に送られたかと話していたのですが、……互いに内地で防空に関わっていたと知ると、相手の部隊が役立たずだから日本は焼け野原になったんだ、と罵り合い出しまして」
それを聞き佐伯はため息をつき、速水ら二人を諭す。
「君達はたった二人で世界を相手に戦ったのかね。……違うだろう、我々は国として戦争を始めた、そして負けた、負けた結果こうなった。…………それだけの話だ。
……誰が悪いかといえば……全ての人間が当てはまる」
その言葉を聞き、今までじっと話を聞いていた芹香がピクリと反応して、小声で何事か呟く。
ただ、その呟きは佐伯にまで届かない。隣に座っていた真に辛うじて分かった程度だ。
佐伯は速水たちに続けて語り掛ける。
「確かに私達は負けた。完膚なきまでに。
だがこうして生きている。ならばより良き未来の為に力を合わせるべきではないかね?」
その佐伯の言葉を聞き、また芹香が何事か呟く。今度の呟きは先程より大きく、佐伯まで届いた。
「うん、 芹香君どうかしたかね?」
佐伯が芹香の方を向いてそう訊ねる。
芹香は暫く佐伯の顔を眺めていたかと思うと、おもむろに口を開いた。
「佐伯さんは、戦争の咎は全ての人間が負うべきと仰いましたが、……それは本当にそうでしょうか?」
「……どういう事かね?」
佐伯は芹香の瞳を見つめそう問い返す。
芹香は一度顔を伏せ何かを考えていたが、やがて顔を上げ静かに話し出した。
「私達には幾人かの戦災孤児の顔見知りがいます。彼らは戦争で親を無くし、家を焼かれ、全ての庇護を失いながら身を寄せ合って生きています。……それは私と兄さんも一緒ですが。
…………そんな彼らに、一体何の咎があるというんです? 彼らが責任を負うべき事を何かしましたか!?」
「………………」
切々と訴える芹香を見て佐伯は何も言わない。
そんな佐伯を見て芹香はさらに話を続ける。
「彼らはヤクザの手下をして糊口を凌いでいましたが、そのうち一人が先日、そのヤクザの敵対組織に嬲り殺しにされました。
……その子供はブンキチと言います。…… 死んでしまったブンキチには、もはやより良き明日を紡ぐ事も出来ない」
そこまで言って芹香は口を閉じると佐伯の顔をじっと見つめる。
佐伯もしばらく芹香の顔をじっと見つめていたがやがて口を開きゆっくりと語り出す。
「……なるほど、確かに芹香君が言った事は道理である。確かに子供に咎も責任も無い。
……しかしね、国家に限らず人間の集団とは、一種の利益共同体なのだよ。集団が損失を被ればその皺寄せは各所に波及する。…………たとえ、その個人に罪がなかろうと、ね」
「そんなのっ!!」
大人の勝手な言い分だ、と言い返そうとした芹香を真が遮る。
「芹香、そのぐらいにしておけ。
お前が佐伯さんに突っ掛かったところで、ブンキチが生き返る訳でも、戦災孤児が一人残らずいなくなる訳でも無いだろう? ……そんなの、お前の自己満足だ」
それを聞くと芹香は力なく項垂れてしまう。
そんな芹香に変わり、真が佐伯に頭を下げる。
「佐伯さん、芹香が失礼な事を言ってすみません」
それにつられたのか、速水と相馬も頭を下げる。
「俺らもすいませんでした……結局、戦争に負けたのに、今更どっちが役立たずだったかだなんて下らない事で」
佐伯は椅子から立ち上がり、頭を下げる三人の肩を順番に叩きながら、
「いや、私が謝られる筋の話ではないよ。
…………しかし、戦争……戦争か。……どうせなら私も、事故で片足を喪っての傷痍退役ではなく、戦場で死にたかった……。
……そうすればこんな惨めな気分にはならなかったろうから。……はは、戦いもせず生き残った私がこんな事を言うのは虫が良すぎるな」
と、酷く虚しげな表情で呟く。
それを壁際から見つめる芹香と清十郎。二人がそれぞれ何を考えているのか、それは誰にも分からない。
今は、まだ。
第二章 完
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