それぞれの立場 前編

 真はそれから暫くして我に返ると、悄然と階段を降り表に出る。

 すると、そこにはやはり見張りの男が立っていた。


 男がこちらに気づき訊ねてくる。

「ケイタには会えたみたいだな」

「ええ……」

 男は一拍間を置いて、こちらを伺うと一言、

「あいつとは親しいのか?」と言う。


 真は男の意外な言葉に戸惑いながらも、

「それほどでは……、でも良いやつなのは知ってます」と答える。


「……そうか」

 男はそれだけ言うと黙り込んでしまう。

「あの、あいつは、ケイタはどうなるんでしょう?」

 そんな男に真は思わずそう訊ねてしまう。


 すると男は虚空を見つめ、

「あいつは背負い過ぎなんだよ……」

 と呟くと目を瞑ったきり、真を無視して何も答えなくなってしまった。


 ****


 その後、その場を離れた真はフラフラと何処を目指す訳でもなく道を歩いていた。

 やがて、秋葉原を過ぎ上野に至るヤミ市の道端で真は何者かに

「おい、君!」と話し掛けられた。

 真がそちらを振り向くと先日のイシイ兵長の他、見知らぬ米兵が二人立っている。


「あなたは……」

「やはり君か」

「……先日はどうも」

「ああ、……あの時の子供はどうしている?」

 イシイはそう訊ねてくるが、真は思わず固まって黙り込んでしまった。


「……どうした?」

 イシイが不審そうに訊いてくる。

 真は何とか声を絞り出す。

「彼は死にました。……何者かに嬲り殺しにされました」

「なにっ!!」

 イシイは大きな衝撃を受けたようだ。


 真は堪えきれなくなって続けて言ってしまう。

「彼の仲間がチンピラの手下をして、仲間の食い扶持を稼いでいました。……その対立組織の嫌がらせ、らしいです」


「…………」

 イシイは何も答えない。

 真は誰に言うでもなく続ける。

「……もし、戦争が起きなければ彼は……どう生きたんでしょう」


  それを聞くとギクリと動きを止めたイシイは苦しげにそう呟く。

「……それでも私は、……私達は、祖国の為に日本と戦うしかなかった」

 

 真は不思議そうに訊く。

「不思議に思っていたんですが、あなたは日本人ではないのですか?」


「…………私は日系二世だよ。私にとって日本はルーツではあるが、祖国はアメリカだ。

 ……それを証明するために同胞たちは多くの血を流して戦った」

「そうですか」

 イシイの告白に真はそう答えるしかなかった。未来からやって来た自分には語る資格は無いと感じたからだ。


 ふと真の脳裡に、先日の道を駆けて行くブンキチの後ろ姿がチラリとよぎった。

 彼ならばイシイの告白になんと答えたのだろう。真はぼんやりとそう夢想するのだ。


****


 その後、イシイと別れ堂島家に帰宅した真は、何かをする気分にもなれず、横になろうと自室に向かう。

 その途中縁側で、木枠に詰めた石鹸を取り出し切り分けている芹香に出くわした。


「あっ、兄さんやっと帰った! 一体何処をほっつき歩いてたの?」

 芹香が作業を止め訊ねてくる。

 真は上の空で

「ああ……」

とだけ答えてその場を離れようとすが、そんな真の腕を芹香が掴み、

「待って、何があったの?」と重ねて訊く。


 ゆっくりと芹香を振り返った真は、ブンキチが死んだ事を話すべきか考えていた。

 話せば芹香にショックを与える事は間違いない。芹香はそういう優しい子だと真は良く知っている。話すべきではないと真は思った。

 だが真も自分の今までの行動が正しかったのか分からなくなり、全ての事に自信が持てなくなっていた。庇護すべき存在だと感じていた芹香の意見を欲する程に。


「……教えて兄さん。何があったの?」

 芹香が真の眼を強く見つめながら訊ねる。

 真には、そんな芹香と視線を交えている事が出来ず、ふと目線を下に落とし

「ブンキチが死んだ……」とだけ呟いた。


****


 その後、大声で驚き取り乱す芹香に真はポツリポツリと今日の出来事を語っていく。ブンキチが死んだ事からケイタの態度、ついでにイシイとの会話まで全てをだ。


「…………」

「………………」

 真の話が終わっても芹香は何も言えなかった。真も何も言わず黙って芹香を眺めている。


 どれ程時が流れたろうか、やがて芹香が口を開きぽつりと呟く。

「……何なんだろう」

 そんな芹香に真は真意を問う。

「……どういうことだ?」


 芹香は切り分けた石鹸を一つ手に取り言う。

「私たちみたいに悪い大人に食い物にされる子供を無くす為に力をつける…………そう思って今までやってきた。

……だけど、実際には子供一人助けられない。そんな私って一体何なんだろう」


「芹香…………」

 そんな芹香に真は何も言えなかった。

 今までは芹香の身さえ無事なら他人はどうでも良かった。だがそんな考えもブンキチの死によって揺らいでいた。何かを言える筈も無かった。


 そこに廊下を曲がった先から静江が現れる。

 二人はそれに気付くと何でもない振りをしようとするが、静江は一言

「二人とも申し訳ありません」

と言って深々と頭を下げる。


 意味の分からない兄妹が口々に頭を上げるように言って訳を訊ねると、静江は

「申し訳ないのですが二人の話はほぼお聞きしました」

 と言い、頭を下げたまま言葉を続ける。

「……それら全ては勝手に戦争を始めて負けると、その結果を何の責任も無い子供に押し付け見て見ぬふりをしている、……私たち大人の責任。二人が責任を感じる必要はありません」


 そんな、静江に絶句する真を横目に芹香が声を上げる。

「静江さん、頭を上げて下さい。

 静江さんがブンキチを殺した訳でも、ケイタたちを利用している訳ではないでしょう。

 ……それに静江さんが頭を下げてもブンキチが帰ってくる訳でもないですし」


「…………」

 その言葉に反応して静江はゆっくりと頭を上げる。その瞳には深い憂いの色が湛えられていた。

 そんな静江に芹香が一言、

「世の中の大人が皆、静江さんみたいだったらこんな世の中になっていなかったかも知れませんね……」と呟く。


 真はそんな二人を呆然と眺める。どうすれば良いのか必死に考えながら。

 しかし、いつまでもその答えはでないのだった。

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