弱いということ

 その日の夜、堂島家ではいつものように夕食が行われていた。

 テーブルの上に並んでいるのはお重が作った料理である。

 どれも美味しいのだが、どこか元気のない真の様子に気が付いたのはやはりというべきか芹香だった。


「どうしたの兄さん?何かあった?」

 芹香はそう心配そうに問いかける。

「いや……別に」

 真は芹香が話を聞けば、きっと気に病むと思い黙っているつもりだった。


 しかし、

「嘘。絶対何かあったでしょ?」

と詰め寄られ、つい今日の出来事を話してしまう。

「……実は今日、米軍の軍人が子供を助けているところを見たんだ」


「へえー。その子が助けられたのなら良かったじゃない」

 真の話を聞いた芹香はそう答える。

「ああ、ただ問題はその子供だ」

「喧嘩とかしてたの?」

「いや違う。喧嘩じゃなくて一方的に殴られてて」


 若干顔を曇らせる芹香。

「……そう」

「それで殴られてたのがケイタの子分の子供だったんだ」

「えっ」

 その言葉を聞いた瞬間、それまでまだ平静を保っていた芹香の手が止まる。そしてそのまま俯き黙り込んでしまった。


 その様子を見て真は続ける。

「 俺は面倒事に巻き込まれるのが嫌で見てるだけだった。

 アメリカの軍人が来てくれなかったらきっとあの子もタダでは済まなかったろう」

「そっか……」

 芹香は小さく呟く。


「……なあ、芹香。

 俺はやっぱり間違ってるんだろうか?」

 今まで真は妹の、芹香の幸せを第一に考え行動してきた。

 しかし、それは自分たちに力が無く自分たちより弱い存在が無かったからだ、自分たちより弱く迫害を受ける者を前にした時、果してそれは正しいのか、真には分からなかった。


「……そんなことないわ、兄さんは間違ってない」

 芹香は少し間を空けてそう答える。

「そうか……。ありがとう」

 その日、二人はそれ以上何も言わず黙々と箸を進めた。

 込み入った事情があると思ったのか堂島家の人達も特に口を挟むことはなかった。


 そして食事が終わると真は自室へと戻り布団を敷き横になった。

 頭に浮かぶのは昼間見た光景とブンキチの言葉。

 弱い立場の人間の為に誰も動いてくれない。それは施設にいた頃自分が思っていたことではなかったのか。


「結局、俺もその辺にいる人間と変わりがなかったって事か」

 真はそう呟くとゴロリと寝返りを打った。

 真には何故か、口一杯に苦味が広がるような気がした。


****


 それは後日真が石鹸の追加の納入に行った時に大原から聞かされた話だ。


 何でも孤児が一人誰かにめった打ちにされて殺されたと。

 特徴からすぐにブンキチだと真には分かった。


 ブンキチが死んだ。真はその事実をすぐに受け入れることができなかった。

 ケイタが竜兵会の下働きをしていたことは知っていた。そのせいでブンキチたちが嫌がらせを受けているのもだ。


 だが、まさか本当に殺されてしまうような事態になると誰が思うだろう。

 何故ブンキチが死ななければいけないのか。真はその答えを知るために竜兵会の事務所に向かった。

 ケイタに話を聞くためだ。


 ****


 竜兵会の事務所は中山道沿いの焼け残った三階建てのビルだった。

 竜兵会のビルの前に辿り着くと入り口には見張りらしき男が立っていた。

 真が近づいてくるのを見て男は言った。


「ここはお前のような子供が来ていい場所じゃないぞ坊主」

「ケイタに会いに来た。

 通してもらえないか?」

「駄目だ。帰れ」

「どうしても会いたいんだ。頼むよ」

「……」


 真はそう言って男を見上げる。すると、

「……ちっ。入れ」

 舌打ちと共に真は中に入ることができた。

 ビルの一階は広いフロアになっており、受付カウンターのようなものがあった。

 おそらく客の応対をする所だろう。

 その奥に階段があり二階へ行くことができそうだ。


 真は恐る恐る二階に上がる。

「おい!何勝手に上がってきてんだよ!」

 突然声をかけられた。

 見るとそこには十人近くの男たちがいた。

 皆一様に不機嫌そうな顔をしている。そして真の姿を見るとさらに不快だという表情を浮かべた。


「ケイタはどこですか?」

「……てめえ誰だよ」

「僕は田尻真です。

 ここにいるケイタの知り合いで」

「ああ?あいつの子分か?」

「いえ、違います」

「なら関係ねえな。さっさと帰んな」


 取り付く島もないとはまさにこのことだ。

「お願いします。

 少し話をさせてください」

 そう言って真は男に詰め寄った。

「うるせぇ!」

 だが、男はそう怒鳴ると真を突き飛ばした。


「うぐッ!?」

 不意を突かれたこともあり、受け身を取ることができず倒れこんでしまう。

「ふん、ガキが舐めた真似しやがって。」

 そういうと男は他の男たちと一緒に部屋を出て行った。


「おいケイタ! お前の知り合いってやつが来てるぞ」

 男の一人が去り際に三階に向かって怒鳴り声を上げる。すると、しばらく間があってから一人の少年が現れた。


 ケイタだ。ケイタは目元を真っ赤に腫らしていた

「ケイタ」

「……おう」

 真の声を聞き、気まずそうにケイタが答える。


「話があるんだ」

「悪いけど今は忙しいんだ」

 そう言って踵を返そうとするケイタを真は肩を掴み引き留める。


「待ってくれ」

「…………」

「ブンキチが死んだっていうのは本当か?」

「!!」

 そう言うと、ケイタの顔色が変わった。どうやら図星だったようだ。

「教えてくれ、本当のことを」


「なんで知ってるんだ?」

「ヤミ市の店主から聞いた」

「……」

「一体どうしてなんだ?」

「……」

「答えてくれケイタ」


「……知らねーよ。

 ただブンキチの奴、俺のことを馬鹿にした連中が許せないって言っていたらしいぜ」

「ケイタ……」

 ケイタは自嘲気味に笑みを浮かべながらそう言った。


 その言葉を聞いて真は拳を強く握り締める。

「そっか……。じゃあブンキチは?」

「ああ、死んだよ」

 真の問いかけにケイタは素直に答えた。それを聞いた真は俯き黙ってしまった。

「…………」

「………………」


 そんな真を見てケイタは言った。

「話はそれだけか?」

「……警察は?」

 真はなんとかそれだけ声を絞り出す。


「一通り調書を取っておしまいさ。

 前も言ったろ、孤児の扱いなんかそんなものだって」

 真がケイタの顔を見ると恐ろしい程の無表情だった。


 少しもどりながら真は訊ねる。

「ケ、ケイタはこれからどうするんだ?」

「別に。今までと変わらねぇ。

 竜兵会の手伝いをして食いつなげるだけ食っていく」


 そんなケイタに真は詰め寄る。

「ケイタ、竜兵会はただのチンピラ集団だ。

 それは、本当はケイタが一番分かっていることじゃないか。

 そんな所に居ても使い潰されるのが落ちだぞ」


「だから何だってんだよ」

 真の言葉にケイタは苛立ったように吐き捨てた。

「俺はここでしか生きていけない。

 ここ以外に行くところなんてない。

 お前らみたいに商売して生きていく方法も知らないしな。

 ……それにあいつらも食わせなきゃならない」

 そう言うとケイタはドアを開け、真を置いて何処かに立ち去ってしまった。


「ケイタ……」

 真は何も言えないまま立ち尽くすしかなかった。

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