狸寝入りと、手遅れと、夕陽がにじんで・・・

ninjin

狸寝入りと、手遅れと、夕陽がにじんで・・・

「ねぇねぇ、見て見て。これ、昨日、塾の帰りに撮ったんだけど、これって、狸かな?アライグマかな?」

 昼休みの教室で、坂崎瑠莉るりの机を囲んで、女子たちが何やらがやがやとやっている。

 僕は一つ飛ばした後ろの席で、昼の弁当を食べ終わり、やることもなく机に突っ伏して寝るでもなく考え事をするでもなく・・・。

 いや、正直に言おう。

 瑠莉たちの話に聞き耳を立てていた。

 それを悟られないように、「」、それが正解。

「どうしたの?何だか盛りあがってんじゃん」

 そこに如何にもさり気なく、何の違和感もなく、そして更には爽やかな笑顔を振り撒きながら現れた彰良あきらが、瑠莉たち女子の会話に割り込んでくる。

 もちろん机に突っ伏している僕には、その様子を実際に目にすることは出来ないのだけれど、その雰囲気からは彰良の声に振り返った女子たちが、その瞳をキラキラうるうるとさせ、次の彰良の言葉が自分に向けられるんじゃないかしらという期待感を持って、前のめりに彼の視線を捕まえようとしている光景が想像できた。

「その、何だか分かんない動物っての、俺にも見せてよ」

 彰良の言葉はどうやら瑠璃に向けられたらしく、その他の女子たちのがっかりした表情が目に浮かぶ。

「これなんだけど、どうかな?狸?アライグマ?」

 頭の中でのイメージ映像でしかないのだが、携帯電話の画面を彰良に向けて差し出す瑠莉に、必要以上に顔を近づけて覗き込む彰良の様子に(それは恐らく、瑠莉と彰良の頭同士の距離は五十センチも離れてはいないっ)、僕は思わず叫びたくなる。


 ――お前、そんなに近視眼じゃねぇだろっ


 ツッコみたくてもここまで寝たふりをしていた僕が、いきなり起き出すのも何だかなぁということもあり、僕はピクリとも動けない。

 随分と溜めを作ってからの、彰良の声が聞こえた。

「うーん、そっかぁ。確かにこれはどっちか判別がつかないねぇ。尻尾が写ってないし、ピントもズレてるし・・・。尻尾が写ってれば、すぐに解かったんだろうけど。で、見掛けた時の尻尾の感じは覚えてないの?縞模様じゃなかった?」

「それがね、慌てて携帯電話取り出してシャッター押したから、よく覚えてないのよねぇ・・・」

 瑠莉のレスは早い。しかも、その声のトーンは少し敬遠気味に聞こえる。

 ナイスっ、瑠莉。

 彰良っ、早くその近付けた頭を、瑠莉から遠ざけろっ。

「え?どうして尻尾で分かるの?」

 今度は別の女子、多分この声は美智佳だな。

「どうしてって、そんなもん、尻尾が縞模様ならアライグマだって直ぐ分かるんだよ。狸の尻尾はこげ茶の単色なんだ」

 彰良の答え、僕だってそれくらいのことは知っている。

 寝ている手前、そんなことは言えないが・・・。

「でもさ、それはそうと、恐らくは、アライグマなんじゃないかな?基本的に狸って、人が居る所には近付かないんだよね。でもアライグマってのは、人が飼っていたのが逃げ出したり捨てられたりして繁殖した外来種だからさ、街中に居ても不思議じゃないんだけどさ、狸って、元々日本の在来種だからさ、よっぽどの田舎か、里山みたいなところじゃないと、まず街中ではお目にかかれない筈だと思うよ」

 更にワザとらしいくらい大仰な彰良の説明に、辟易とする・・・のは僕だけらしい・・・。

「すごーい。さすが、彰良くんって、何でも知ってるよね」

「そうなんだぁ。彰良くんの説明って、分かり易ぅい」

「彰良くん、他にもっとお話ししてっ」

 声の主はそれぞれ美智佳、奈央、恭子の三人のようで、言葉の最後には、確実にハートマークが見えている。

 おや?瑠莉の声は聞こえない。

 カタンッと椅子が鳴り、どうやら瑠莉が立ち上がったらしい。

「あれ、瑠莉、どうしたの?」と、奈央の声。

「もうすぐ昼休み終わっちゃうわよ。次の時間、美術だから、もう美術室行かなくちゃ」

 そうして瑠莉の足音が僕の机に近付いて来て、ペシッと軽く頭をはたかれ、そのままツカツカと遠ざかって行ってしまう。

 寝たふりをしている手前、僕はどういうリアクションをして良いのか分からない。

 どう考えても寝たふり自体を瑠莉には見透かされていたみたいで、むくりと起き上がるのはワザとらしいし、『痛ぇな』と逆ギレするのは大人げない。

 いや、寧ろ、穴があったら入りたいってくらいに恥ずかしい・・・。

「やだぁ、もうそんな時間?急がなきゃ」

 女子たちも瑠莉の後を追うように教室を出て行く間、僕は机に突っ伏したままやり過すしかない。

「おい、健太郎、起きたか?俺らも行くぞ」

 彰良の声がして、漸く顔を上げることの出来た僕は、やり場のない憤り(?)を彰良に向けた。

「うるせぇな。人が気持ちよく寝てんのに起こすんじゃねぇよ」

「おいおい、俺に絡むなよ」

 彰良は爽やかな笑顔でそう応えた。

    ◇



 二時間通しの美術の時間が終わり、画板とデッサン用の鉛筆を仕舞っていると、彰良が声を掛けて来た。

「なぁ健太郎、今日さ、放課後、ちょっと付き合えよ」

「え、ああ、良いけど。けど、お前部活は?」

「今日はサボるわ。お前に大事な相談があるんだ。良いか?」

「・・・そうか・・・。分かった。何だ相談・・・。いや、いっか、帰りで」

「うん、そうだな。帰りに。じゃ、また後で」

 そう言うと、彰良はいつもの爽やかな笑顔を残して先に立ち去ってしまった。

 何となく、彰良の『相談』には思い当たるところがある。

 その思い当たる『相談』とやらを考えると、彰良のやつはよくもまあ、あんな笑顔を僕に向けられるものだと思う。

 それは恐らく、いや確定的に、瑠莉のことに決まっている。

 僕は胸の中がザワザワするのを感じて、慌てて美術室を見渡すが、そこにはもう瑠莉の姿は無かった。

    ◇



 瑠莉と僕は幼なじみで、幼稚園、小学校、そして今この中学三年生になるまで、凡そ十年間の付き合いだ。

 彰良は僕らが小学四年生の二学期に、彼が転校生としてやって来てからの付き合いになるので、それから彼此五年が経つ。

 バスケ部のエースで学年トップクラスの成績、しかもイケメンの彰良が、何故に僕とつるんでいるのか、それは僕にも分からない。

 確かに小学生の時は同じミニバスチームでプレーをしていたし、二人で中学、高校もコンビを組んで、更にはプロを目指そう、そんな子どもながらの夢を語り合ったこともある。

 だから、僕が中学のバスケ部の監督と大喧嘩して部を辞めると言った時も、何とか引き留めようとしてくれた彰良だったが、僕が部に戻ることは無かった。

 だが、バスケットを辞めたことで終わりになると思っていた彰良との付き合いは、どういう訳だか今も続いている。

 超絶イケメン、秀才、スポーツマン男子と、バスケットを辞めたら何の取柄もないただの不良(品)みたいな僕がつるんでいることに、僕だけでなく、クラスの女子たちにも疑問だったに違いなく、女子たちは彰良が独りか僕以外の誰かと居る時には彰良にすり寄っていく癖に、僕が居ると必ず遠巻きに見ているだけだった。

 いや、僻みやっかみで言っているのではない。ただの事実だ。

 別にそのことを、僕はどうとも思っていない。多分。

 そして、僕は彰良のことが嫌いではない。

 実は今だって、休みの日、公園のバスケットコートで、バスケの練習をしていたりする。そのことは瑠莉以外は誰も知らないのだが・・・。 

 瑠莉とは幼なじみ(それは事実として間違いない)で、そして彰良と僕は親友と言っても過言ではない。

 それから、瑠莉と彰良の関係は・・・。恐らくは・・・。

 また胸の辺りがザワつきはじめた・・・。

    ◇



「んで?相談って、何だよ?」

 駅前のマクドナルドの二階一番奥の席、コーラを片手にハンバーガーをかじりながら、僕は如何にも何も知らない、そして間抜けで鈍感な男を装って訊いてみた。(いや、実際に間抜けで鈍感なのかも知れない・・・)

 すると彰良は辺りをキョロキョロと見渡して、声を潜めて言うのだ。

「健太郎、声が大き過ぎるって」

「誰も聞いちゃいないよ」

「いや、そういう問題じゃなくってさ・・・」

 何の話か、どんな相談か、そんなことはおおよそ察しがついているのだが、僕の中では彰良にそのことを言わせたくないような、はぐらかしたいような、何なら『ああっ、大事な用事思い出したっ』って叫びながら、ここから飛び出したいような、そんな気分なのだ。

 すると彰良は自らを落ち着かせるように大きく息を吸って、それから「ふぅ」と音にまで出してその息を吐くと、その瞳にグッと力を込めて、視線を僕に合わせて来た。

「なぁ、健太郎。お前さ、坂崎・・・瑠莉ちゃんのこと、どう思う?ってか、どう思ってる?お前ら、幼なじみだよな?」

「はぁ?」

 僕はワザとらしく、大袈裟に驚いて見せる。

 演技だ、演技。

 その質問は、予想通りだ。

 僕の反応に、彰良は少しホッとした表情を見せたが、続けて訊いてくる。

「それとさ、瑠莉ちゃんってさ、今好きなやつとか、居るのかな?どうかな?その辺のこと、お前、何か知ってる?」

「何で俺がそんなこと知ってんだよ。知る訳ないじゃん」

「いや、だって、お前ら、幼なじみで、仲良いだろ?」

 彰良の質問は想定通りだったが、今この瞬間、本当に逃げ出したい気分になってきた。

「・・・瑠莉ちゃんに好きなやつが居るか居ないか、それは良いや・・・。でも、お前は何とも思ってないんだな?」

「だからぁ、何言ってんだよ、お前は?瑠莉と俺は幼なじみってだけで、言ってみれば、兄妹みたいなもんだって」

「・・・そっか・・・。うん、分かった。それじゃあさ、俺、瑠莉ちゃんに告ろうと思う・・・。『俺と付き合って下さい』って・・・」

 あーあ、言わせちゃったし、聞いちゃったよ・・・。

 ん?でも待てよ。今自分でも『兄妹みたいな・・・』って言ったよな。

 そうか、今はどっちが兄だか姉だか弟なのか妹なのか知らないけど、僕は幼いころからずっと、瑠莉のことを妹みたいに思っていたような気がする。

 けど何で、今、ザワザワしてるんだ?

 妹でも姉でも良いけど、こんな良いやつが、しかも僕の親友つれが瑠莉に告白しようとしているんだ。喜ばない理由が何処にある?

 頭の中ではグチャグチャと、胸の辺りはモヤモヤと、そして視線を彰良に向けることが出来ない。

「なぁ健太郎、上手くいくかな?どう思う?」

 僕は彰良の声に慌てて答える。

「あ、お、おう。お前なら大丈夫さ。うん、大丈夫、上手くいくさ」

 あちゃあ、何を言ってんだ。

「そっか。何か、健太郎にそう言って貰ったら、勇気が湧いてきた。ありがとな」

「お、おう・・・」

    ◇



 マクドナルドを出て、お互いに家の方向が逆の僕らは、『じゃあな』とそこで別れたが、僕はそのまま家に帰る気にもなれず、ただ何となく街をぶらつき、その後、完全に陽が落ちて辺りが真っ暗になった午後八時頃、家の近所の児童公園のベンチにひとり腰掛けていた。

 物思いに耽るほどものを考えられる頭を持ち合わせていない僕は、ただ何となくボンヤリと胸のモヤモヤが落ち着くのを待っていた、そういうことだ。

「おい、少年」

 不意に後ろから声がして、振り返ると、そこには私服姿の瑠莉が立っていた。

「なんだ、瑠莉か。驚かすなよ」

「『なんだ』って、何よ?今あんたんちのおばさんに、うちのお母さんから届け物だって持って行ったら、あんたがまだ帰ってないって言うからさ、心配で探しに来たんじゃない。手の掛かる弟を持つ姉としてはだねぇ、心配もする訳なのよ」

 そう言って笑う瑠莉なのだが、いつの間にやら僕の方が彼女の中では『弟』になっていたらしい。

 そうは言っても、今しがた漸く次第に気持ちが落ち着いてきたところだったのに、瑠莉本人が現れてしまって、僕は笑うに笑えない。

 僕が黙っていると、瑠莉は何かを察したのか、更に声のトーンを明るくして僕を促す。

「さ、さ、ほら、おばさんも心配してるから、ほら、早く帰ろ」

 僕は言われるままに立ち上がり、促されるままに家路についた。

 僕の家の前まで辿り着き、そして瑠莉との別れ際、彼女の一言に、ドキッとさせられる。

「あ、そうそう。『狸寝入り』は、良くないと思うわよ。それとも、気付かないフリ?」

 な、何を言ってる?

 僕は口をパクパクしながら、瑠莉の後ろ姿を見送った。

    ◇



 それから二日後の金曜日、放課後。

 僕は瑠莉に呼び出されて、校舎の屋上に居た。

 瑠莉が如何にも素っ気ない素振りで言う。

「あたしね、昨日、彰良くんに告白されちゃった・・・。何か聞いてる?」

 胸がズキンッと音を立てた。

 しかし、その音はどうやら瑠璃には聴こえなかったようで、ホッとするような、それでいて寂しいような・・・。

「そっか・・・」

 僕も瑠莉に負けないくらい素っ気なく応えるのだけれど、目の前はグラグラと音もなく風景が壊れていくみたいだった。

「それでね、あたし、返事しなくちゃなんだけど、どうしよっか?健太郎は、どうしたらいいと思う?」

 それを、僕に訊くか?

 でも、何か、答えなくちゃ・・・。

 演じ切るしかない。

 最後まで、素っ気なく、さ。

 だって、妹(姉ちゃん?)も親友も、失いたくないんだから、さ。

「良いんじゃね?彰良だろ?あんないい奴、他に居ないだろ?」

「・・・そう・・・」

 暫く続いたとても居心地の悪い沈黙の後、先に口を開いたのは瑠莉だった。

「・・・うん、分かった。じゃあ、そうする・・・」

 僕はそっぽを向いて、表情を隠すしかない。

 嗚呼、僕は何てバカなんだっ。

 今初めて気付いたよっ。

 僕は瑠莉のことが好きだったんだってっ。

 でも、もうどうすることも出来ないじゃないか。

 僕の口は、僕の心にも無い言葉を紡ぎ出す。

「ああ、そうしなよ。お似合いの二人だと思うぜ。瑠莉に呼び出されて、なんかもっと重大な話かって、心配しちゃって損したぜ。そんな良い話だったら、態々こんなとこまで呼び出すなよ。ビックリするじゃんか・・・」

    ◇



 言えないよ、誰にも。


 僕が僕の恋心に気付いたと同時に、僕の初恋は終わりを告げた。


 言えないよ、そんなこと、誰にも。


 言えないよ・・・。


 瑠莉が立ち去った屋上でひとり、沈みかけた夕陽が、やけにぼやけて見えた・・・。



      おしまい

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