第4話 もう、花はいらない





 🌙



 気が付くと、僕はしばられて、床に転がされていた。そこはまだ、文芸部室だった。目の前には、池袋先生も転がされている。どうやら、気を失っているようだ。


 時計が見当たらない。まだ、日が沈んでいない。気を失ったのは数分程度、か。


「死体が消える。なんてあり得ないよな。やっぱり生きてたんだな。あいつ」


 ボソリと、声がする。

 目をやると、日暮里にっぽりが、僕を見下ろしていた。


 視界が悪い。僕らは本棚と本棚との隙間に、転がされている。これでは、部室の前を誰かが通りかかっても、見つけては貰えないだろう。


「悪いけど、死んでもらう」


 日暮里は、生気の無い顔で言う。その声は酷く穏やかで、それでいて、絶望の気配に満ちていた。

 日暮里の目には、薄く涙が浮かんでいる。まるで、追い詰められてどうしょうもなくなったウサギみたいな顔だ。

 そうか。

 日暮里は本気なのだ。このままでは殺される。


 身をよじっても無駄だった。

 手も足も縛られて、携帯端末も取り上げられている。

 でも、まだ全ての希望が奪われた訳ではない。僕の指先が、ポケットの中の希望に触れる。日暮里は、それに気がつかなかったらしい。


 コトリと、砂時計がひっくり返る。

 日暮里は僕らを監視する一方、じっと砂時計を眺めていた。サラサラと落ちる砂は、まるでカウントダウンみたいだった。僕と池袋先生の命の火が消えるまでの不吉な秒読みみたいに。

 あと何回、砂時計がひっくり返ったら、日暮里は僕らに手を下すのだろう? 今すぐに命を奪う程、日暮里は愚かではないだろう。でも、まもなく日が暮れる。生徒たちの気配もなくなった。目撃される心配がなくなった時、日暮里は僕らを殺害し、何処かに死体を運び出すのだろう。

 もう、どれぐらい時間が過ぎただろう? いつしか、時間の感覚が薄れてきた。

 ふいに、コツ、コツと、部室のドアがノックされた。日暮里は軽く舌打ちをして、ドアから顔を出す。


「あ、日暮里先生。はがね君を見ませんでしたか?」


 聞こえたのは、月子の声だった。僕を探しに来たのだ。

 声を上げるか?

 駄目だ。周囲に人の気配がない。叫べば、月子までもが囚われ、殺されてしまうだろう。叫ぶという選択肢は選べない。


「いいや、見てないが?」

「そうですか」

「それより、いつまで残ってるんだ。早く帰りなさい」

「あ、はい」


 暫しの沈黙。

 やがて、月子の足音が遠ざかってゆく。

 キュッ、と、足音を響かせて、日暮里が僕の顔を覗き込む。


「残念。最後のチャンスだったのにな。何か言い残すことは?」


 曇った瞳が僕を見下ろしている。

 僕は顔を上げ、じっと日暮里を見つめ返した。


「魚は釣れました。日暮里先生は、小さな魚でしたよ」

「……あ? 魚?」


 やがて、僕の侮蔑を理解したのか、日暮里の眼に怒りが浮かぶ。

 その瞬間──ジリリリリリリッ!! と、火災報知器が鳴り始めた。


「な、何が……!?」


 日暮里が狼狽うろたえる。

 直後、ドアが開き、文芸部室に大勢の男達が乱入してきた。男達はたちまち、日暮里を囲んで取り押さえてしまった。

 あまりに突然の事に、日暮里は困惑して喚き声を上げる。雪崩なだれ込んだのは、警察官だった。



 🌓



 数分後、僕は縄を解かれ、解放された。


「何故……だ」

 呟いた日暮里に、僕はゲーム機の画面を見せつける。


『Help!』


 画面では、僕のアバターがそう叫びながら、手を振っていた。


「僕には切り札があった。最初から」


 そう言って、月子を見やる。


「照れるからね」


 月子も、悪戯いたずらめいた顔で、携帯ゲーム機の画面を見せつける。そこには、僕のと同じゲーム画面が映し出されていた。

 そう。僕はゲームの通信機能で月子にメッセージを送り続けていたのだ。月子は文芸部室の前を通りかかった時に僕の状況を悟り、全ての準備を整えてから、ドアをノックしたのである。



 🌔



 日暮里は、違法薬物の常習者だった。

 北村真美は、ある日、その事に気がついたらしい。だが、日暮里から脅されていた。


『自殺しろ。喋ったら、お前の家族を殺す。必ず殺す』


 だからこそ、誰にも喋れなかった。

 困り果てた北村真美は、池袋先生に助けを求め、自殺を偽装。自宅でかくまわれていたのだ。

 勿論、警察は北村真美から事情を聞き出そうとしたが、北村先輩は家族が傷つく事を恐れるあまり、決して口を割らなかったそうだ。



 🌕



 帰り道、月子は僕にハイタッチを求めた。


「まさか、一週間もせず、解決するなんて」

「うん。月子がいてくれたから」


 僕はハイタッチに応じる。

 そうして、僕らは暫し、無言で歩いた。


「ねえ」


 ふいに、月子が沈黙を破る。


「うん」


 僕は答える。


「月ってどう思う?」

「どうって、月は月だよ」

「私は好きよ。綺麗だから」

「……そう。僕にはよくわからないよ。月は見慣れ過ぎていて、特に綺麗だとかは思わない。夜、空を見たらだいたいそこにあって当たり前な、光ってる塊。だって思う」

「……それは、いつも見えているからよ」

「そうかもしれない」

「きっと、ある日突然月が消えてしまって、何年も経ってしまったら、皆、月は綺麗だったって言うと思うわ。そういうのって、なんだか身勝手な感じがするけど、きっと間違いない」

「………………そうかもしれない」


 僕は思わず考え込んでしまった。

 人は、大切な物が目の前にあっても気が付かなかったりする。それが、あって当たり前だとか、勘違いしてしまう。そしてある日突然、それを失った時に、初めて言うのだろう。

 月は綺麗だった。

 北村真美という人は、大切な物が何かをわかっている人なのだろう。そして、大切な物を守り通した。月子が慕う理由が、少しだけ分かった気がした。

 僕は顔を上げ、月子の手を握る。月子は少し驚いて、でも顔を赤らめて、照れた微笑を浮かべる。

 僕は強く願う。

 大切な物を大切にしよう。目の前にある大切な物に、気づける自分でいたい。


「ねえ。近い内に、ゲームの大会があるの。また、鋼君の力を貸してくれる?」


 月子は照れ隠しみたいに言う。


「ゲーム、ね」

「嫌? 鋼君が必要なの」


 月子の綺麗な瞳が、僕をとらえる。僕は心臓の高鳴りをそのままに、口を開く。


「それは僕の台詞だよ」

「え?」

「なんでもないよ」


 言い合って、僕らは走り出す。長い夜道の先には、見事な満月が浮かんでいた。







               おしまい。


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月の花 真田宗治 @bokusatukun

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