猫見町のお団子屋さん

佐倉涼@4シリーズ書籍化

第1話

 今日もみたらしは姿を見せない。

 杏子(あんず)は団子屋のカウンター越しに向かいのブロック塀の上を盗み見ると肩を落とした。そこには見慣れたみたらしではなく、最近現れたずんだが気持ち良さそうに細いブロック塀の上でバランスをとりつつ寝そべってくつろいでいる。

 春の陽光が暖かい、桜の花が風に乗ってひらひらと舞い落ちる季節。

 もうこれで一週間だ。みたらしはどこで何をしているのだろう。


「杏子ちゃん、焼き団子といそべ団子、それからみたらし団子を三本ずつお願い」

「はい」


 杏子は落胆する気持ちを押し殺し、やって来たお客さんの言う通りに団子を用意する。常連の林さんだ。林さんは近所に住む五十代の主婦で、いつもスーパーの帰りにうちの店でお団子を買って帰る。自分の昼ごはんと、子供達のおやつにするそうだ。

 ガラスケースから指定されたお団子を取り出してパックに詰め、手渡した。


「どうぞ、四百五十円です」

「はい、五百円ね」

「五十円のお釣りです。ありがとうございました」


 お団子を受け取った林さんは立ち去らなかった。少し首をひねると先ほどまで杏子が見つめていたブロック塀に視線をやる。


「みたらし、いなくなったのかい?」

「そうなんです」

「この前の夜、すんごい騒がしかったんだよ。あれは猫同士の喧嘩の声だったね。きっとみたらしは縄張り争いに敗れたのさ」

「えぇ……もう来ないのかなぁ」

「どうだかねえ。別の居心地のいい場所を探しに行ってるかも」

「嫌だなぁ」


 じゃ、と言って林さんは去って行った。杏子は見送り、ため息をつく。

 杏子の家は団子屋さんだ。一階が店舗、二階が自宅。物心ついた頃より店の手伝いをしている杏子は十四歳になった今、立派にお店の看板娘として働いている。常連さんの顔もいつも何を頼むのかもきちんと覚えているし、お金の計算も間違えない。土曜の本日は学校が休みなので杏子は店の番をしていた。

 猫見町の団子屋の杏子といえば近所の人には割と有名人だった。杏子はそれに恥じないよう働くだけだ。

 などと思っていたら、店先にまたもやお客さんが現れた。

 その人は店によくやってくる男の人だ。白と深緑の縦縞模様の着物を着て、くすんだピンク色の帯を締めている。柔らかな黒髪に茶色の瞳、そして白い肌。十代後半と思しき青年の名前は花見さん。


「や、杏子ちゃん。いつものお願い」

「はい」


 外見に似合う優しい声音で注文した花見に、杏子は緩みそうになった頬を引き締めて頷く。花見さんがいつも注文するのは三色団子とあんず団子。杏子団子は店のオリジナルで、杏子の名前の由来にもなっている。


「どうぞ、花見団子とあんず団子です」

「ありがとう」


 代金のやり取りをした後に花見は、店の横に設えてある畳張りの長椅子に腰掛けた。そこで買ったばかりの団子を頬張る。花見は三色団子を頬張りながら杏子に話しかけた。


「なんだか元気なさそうだね」

「え、そう見えますか」

「うん。みたらし、来なくなったの?」

「そうなんです」

「それでか」


 杏子は白い団子を食べながら納得した様子でこちらに視線を送ってくる花見に、控えめに頷いた。

 みたらしというのは杏子が名付けた猫の名前だ。白い毛に背中側にだけ茶色い模様のついたみたらしは、お団子にかかったあまじょっぱい砂糖醤油のたれにそっくりだ。

 みたらしはいつも、店の向かいの生垣の上で日光浴をしていた。目を細めて日がな一日お日様に当たるみたらしは、のんびり穏やかな性格の猫だった。

 ここ猫見町は名前の通りに猫が多い。勝手気ままに町内をうろつく猫たちは種類豊富で、杏子は店の近辺に現れる猫たちを団子に見立て、逐一名前をつけていた。

 これまでに現れた猫たちはみたらし、ごま、あんこ、いそべ、そして新顔のずんだ。

 その中でみたらしが一週間前から顔を見せていない。


「みたらしがどこで何をしているのか気になる、って顔をしているね」

「はい」

「僕がみたらしを見つけてあげようか」

「え」


 杏子は思わずカウンターから上半身を乗り出し花見を見た。茶色の瞳と視線がかち合う。その顔は冗談を言っているようには到底見えなかった。そんな事ができるのか。杏子の心を読んだかのように、花見の唇が弧を描いてクスリと笑った。


「簡単な事だよ。そうだね……このあんず団子を食べ終わるまで、ちょうど五分でみたらしの居所を言い当ててあげる」

 

 花見は残った最後の三色団子、深緑のものをパクリと頬張ると、棒をクルリと回す。それから話を切り出した。


「みたらしがいなくなったのはいつ頃?」

「えっと、ちょうど一週間前です」

「そう。ずんだが現れた時期は?」

「それも同じ、一週間前」

「その時期におかしな事は起きていなかった?」


 言われた杏子は少し考え、先ほどの林さんの言葉を思い出した。


「お店のお客さんが、少し前に夜中に猫同士の喧嘩の声を聞いたって……きっとみたらしが縄張り争いに敗れたんだろうと言ってました」

「ならもう答えは出ているじゃないか」

「でも、肝心の居場所がわかりません」


 杏子が言うと、花見はあんず団子を頬張りながら考える。


「杏子ちゃん。猫っていうのはね、縄張りの中に居心地のいい場所をいくつか持っているものだ。そしてこの猫見町のように猫が多い場所では、その場所を猫同士が譲り合って使う」

「そういうものなんですか?」


 言って杏子は、塀の上に寝そべるずんだを見た。新顔にもかかわらず、ずんだはお日様が当たって気持ちのいい日中は我が物顔でずっとこの塀の上で寝そべっている。やっている事はみたらしと同じなのだが、白い毛並みに緑色の瞳のずんだはみたらしより一回り大きいので存在感がある。


「そういうものだよ。ずんだはみたらしを追い出して、代わりにこの場所でゴロゴロしている。ならみたらしがどこへ行ったのか? 答えは簡単だよ」


 いつのまには花見は四個中二つまで団子を食べてしまっていた。三色団子はお団子の数が三個だが、他の団子は全て四つ串に刺さっている。つまりはあと半分だ。杏子は首をひねって考える。居場所を追い出されたらどこへ行くか。


「……別の居心地のいい場所?」

「正解」


 花見が美しく微笑みながら、器用に歯で挟んで三個目の団子を串から外した。しかし杏子としては納得がいかない。


「でもみたらしはほとんど一日中この塀の上にいましたよ。別の場所なんて……」

「例えば雨が降った日にはどこにいるだろう。この塀の上は天気のいい日に過ごすにはもってこいだけど、年がら年中快晴って訳にはいかないから」


 なるほど。花見の言葉に合点がいった。雨の日に塀の上で見かけた事はない。別の場所にいるはずだ。そしてそこまで考えた杏子は、ピンときた。


「あっ」

「思い当たる場所がある?」

「はい」


 杏子は頷いた。


「雨の日の学校帰り、みたらしが神社の床下にいたのを見た事があって」


 それを聞いた花見はにこりと笑って残った最後の団子を食べると立ち上がる。


「じゃあそこに行ってみようか」


+++


「あ、いた。いましたよ、花見さん」


 二人でやってきたのは杏子の団子屋から歩いて五分ほどの場所にある神社だ。鳥居をくぐれば社殿があり、その床下の隙間にみたらしがいた。こんなにいい天気の日なのに、みたらしは薄暗い床下でじっとしていて出てこようとしない。

 こちらの気配に気がついて顔を上げたみたらしは、杏子の顔を覚えていたのかニャアと鳴いた。

 距離を保ちつつしゃがみこんでみたらしを見つめ、杏子は考えた。


「この後、どうすればいいと思いますか?」

「どうも出来ないよ。連れて帰る訳にもいかないし、そもそも近づいたら逃げてしまうだろう」


 確かに、と杏子は思う。みたらしは顔なじみの猫だが、だからと言って触れた事は一度としてない。猫は警戒心が強いので、よほど人懐こい性格でない限り触らせてくれたりしないのだ。

 杏子はみたらしを見つめる。のんびりと塀の上でくつろいでいた時とは違い、なんだか元気がなさそうだ。追い出されたのが心にきているのだろう。杏子はみたらしから目線を外し、立っている花見を見上げた。


「……なんとかなりませんか?」

「そうだねぇ」


 花見は腰を落とし、杏子の横にしゃがむ。ふわりといい香りがした。例えて言うならばそれは、満開の桜の下を通ったような香りだ。柔らかな髪が風になびき花見の整った横顔がチラリと覗く。その顔は真剣にみたらしを見つめている。


「雨が降ったらきっとずんだはみたらしをここからも追い出す。そうなったらいよいよみたらしは他の場所に行ってしまうだろうね」

「そんな」


 何もしていないみたらしが追い出されてしまう。そんなのって酷すぎる。思いが顔に出ていたのか、花見は杏子に笑いかけた。


「みたらしもそれを望んではいないはず。だからきっと、チャンスはもう一度やってくるよ」

「チャンス、ですか?」

「うん。喧嘩に負けても、ボス猫に気に入られさえすれば同じ縄張り内にいる事が許されるんだ。ずんだがみたらしを気に入れば、みたらしはいつもの場所でまたくつろぐ事ができる」


 そんな事が。猫同士の関係も案外人間のように複雑みたいだ。杏子は頷いた。


「私、見守ります」


 

 その晩、団子屋二階の自宅で杏子はいつもより夜更かしをしていた。林さんの話と花見さんの話を総合すると、きっとみたらしはもう一度、ずんだに会いに来るに違いない。その時どういう結末になるか、この目で確かめておきたかった。

 うつらうつらするのを我慢しつつ、じっとベッドで漫画を読んで時間を潰しながら外に聞き耳をたてる。時計とにらめっこしながら待っていると、その時が訪れた。

 外で低いうなり声が聞こえた。数は、二。

 杏子は窓をそっと開けて外を伺った。街灯に照らされて、二匹の猫が距離を開けて向かい合っているのが見える。

 間違いない。白い毛並みのずんだと、背中に茶色い模様のあるみたらしだ。

 二匹は一メートル程の距離を保ったまま唸り続けている。声も体も大きいずんだにみたらしは威圧されているようだが怯んではいなかった。

 大丈夫かな、頑張れと杏子は心の中でエールを送った。猫同士の喧嘩に下手に仲裁に入ってはいけないと、あのあと花見から聞かされていたのだ。

 二匹は見合ったまま動かず、声だけを出し続けていた。ニャアニャアという声はいつものリラックスした、甘えたようなものではなく、低く鋭い。みたらしは脚を踏ん張り、根性を見せている。

 やがて二匹の猫の声が徐々に小さくなっていった。威嚇し合う、警戒感をあらわにした様子が減っていき、ずんだは一歩みたらしに近づく。みたらしもずんだに近づいた。

 そして……二匹は互いに、匂いを確かめるように鼻を動かし始めた。

 

(あ……やった)


 二匹の間からは先ほどまでの殺伐とした空気は感じられない。きっともう大丈夫だと直感した杏子は安堵の息を漏らし、窓際からベッドへとへたり込んだ。


 その日の夜、威嚇し合う猫の声はもう聞こえてこなかった。


+++


「こんにちは、杏子ちゃん」

「こんにちは、花見さん。いつもので良いですか?」

「うん」


 やって来た花見にいつものお団子を渡すと、それを持って長椅子へと腰を下ろす。色鮮やかな三色団子を頬張る花見の視線は、目の前の塀へと注がれていた。


「ずんだとみたらし、仲良くなったみたいだね」

「はい」


 杏子は頷き、花見と同じ方角を見た。そこには同じ塀の上で、全く同じポーズでくつろぐ二匹の猫の姿が。細い塀の上に器用にバランスをとって寝そべり、片方の前足がだらりと垂れ下がっている。時折尻尾をパタパタと揺らしながら、気持ちよさそうに春の日差しを全身に浴びていた。

 縦に並んだ二匹の猫のそんな様子を見て、杏子は思わず自分の頬が緩むのを感じた。

 

「良かったね」

「はい」

 

 杏子は心底、頷く。馴染の顔があるというのはいい事だ。いつもの場所にみたらしがいるだけで、杏子の心は嬉しくなる。


「ありがとうございます、花見さん」

「僕は何もしていないよ。ただ、みたらしのいそうな場所を言い当てただけだ」

「それだけでも私は嬉しかったんです」


 あのままいなくなったらどうしよう、もう二度と戻って来ないのではないか。そんな不安な気持ちを察して、一緒に探してくれたというのは杏子にとってとても大きな出来事だ。


「花見さん、猫の気持ちがわかるんですね」

「まあ、この町に長く住んでいれば嫌でもね」


 にこりと優しく微笑むと、花見は空になった三色団子の串をくるりと回した。

 あれ、と杏子は首を傾げる。


(そういえば花見さんの家って……どこなんだろう)


 ふらりと店にやって来て団子を食べて雑談をして、またどこかに消えてしまう、まるで猫のように気ままな青年。考えてみると店以外の場所で花見を見かけたことが杏子にはなかった。それほど大きい町ではないのに、一体なぜだろう。

 首を傾げる杏子を知ってか知らずか、花見はあんず団子も食べ終えるとゆっくりと立ち上がった。


「さて、ご馳走様。また来るよ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 花見から団子の串と容器を受け取ると杏子はお辞儀をして見送る。春の暖かな日差しの中、さっと風が吹いて桜の花が舞い落ちる。

 向かいの塀で、ずんだとみたらしが目を開くとわずかに頭を持ち上げて花見を見た。その横を悠々と歩き去っていき、やがて花見の姿は見えなくなった。

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