五分の価値は

snowdrop

答えのある問題なら悩む必要はありません

「まだ俺が小さい頃のことなんだけど」


 朝の休み時間、隣の席に座る立石花に話しかけた。

 自分を飾り立てることには無頓着で、いつも一人で本ばかり読んでいる。何を考えているのかいまいちわからないが、他の奴らにはない価値観を持っている気がした。


「近所にスーパーマーケットがあって、毎月の月初めである一日に魚介類の特売日が行われていたんだ。その日は商品価格が記載されているラベルに『二割引』と印字されて、通常価格の二割引きで販売されていた」


 読みかけの本に赤いシートのしおりをはさんだ立石は、俺の方を向いてくれた。


「閉店一時間前にお菓子を買って帰ろうとしたとき、店内アナウンスが流れた。『ただいまから魚介類に関してのみ、レジにて表示価格の三割引きの閉店特別セールを開始します』って。ポケットには先程買ったポテトチップスのお釣り、ちょうど五百円硬貨が一枚入っていたんだ」


 あのときの情景が目に浮かんでくる。


「手のひらの硬貨を見ながら、父ちゃんの顔が浮かんで、ひらめいたんだ。刺し身の盛り合わせと一緒に飲むビールが美味いといってたから、通常価格千円の刺身の盛り合わせを買ってあげようって。特売日だから二割引いて、さらに特別セールの三割引だから五割引きになる、なんてお得なんだろう」


 立石は口を開くも、俺が話し続けるのをみて閉じた。


「鮮魚コーナーへ行って、通常価格千円の刺し身盛り合わせセットを見つけては持ってレジへ行き『これください』って、レジ打ちをしていた中年の店長に五百円と一緒に差し出したんだ」


「そしたら?」

 立石が聞いてくる。


「店長は盛り合わせセットのパックを手に取って、『あのね、五百円ではこの商品は買えないんだよ。それしか持ってないの?』といって商品を台の上に戻したんだ。俺は、思ってもいないことを言われたんだけど、『ポケットにはそれしかないです。父ちゃんの好物の刺し身盛り合せセットを買ってあげたいんです』正直に答えて、五百円硬貨を店長に突き出した」


 そのときの動作のマネをして、俺は立石に硬貨を突き出すような仕草をしてみせる。


「顔をしかめた店長は首をかしげるも、『親を思いやる優しい心は大切だ。よしっ、五百円玉でこの商品をお父ちゃんに持っていってあげなさい』って、レジを通してくれたんだ。算数が苦手だったけど、あのときの店長にいわれた、人を思いやる優しい心を大事にして生きてきたんだ」


 笑いながら照れ隠しして、俺は彼女の反応を待った。


「ふうん」

 特に表情を変えることなく読みかけの本を取り出した立石は、

「幼い頃の阿久津くんは、お父さんに怒られずすんだのね。そのスーパーは潰れたか、店長が変わったでしょうけど」

 しおりを挟んだページを開いて読みはじめた。


 俺は思わず、上下のまぶたをいっぱいに動かして見開き、

「立石っ」

 と、声を上げていた。


「なに?」

 目だけを俺に向ける彼女。


 俺は口を開けるも、うまく言い出せなかった。

 同じ話を、他の連中に話したことがある。

 大概、「算数の勉強が苦手だったんだね」とか「小さい子供だったから許されたんだろ」といった返事をしてくる。

 なのに彼女は、違った。


「……なんで、わかった?」

「わかったって?」

「父ちゃんに怒られなかったとか、店が潰れたとか」


 読みかけの本から視線を外し、彼女は俺に顔を向けてくれた。

「いま、話してくれたじゃないか」


 まるで俺の記憶を覗いたかのように、話をしていないことを言い当てやがった。


「俺は、そんなことまで話してないだろ」

「君の話には、幾つか気になるところがあったんだ」

「気になるところ?」


 どれからでもいいのだけれど、とつぶやいた彼女は読みかけの本に視線を向け、また俺を見た。


「必ずそうではないけれど、一般的にスーパーマーケットの営業時間は午前九時から午後十時。幼い阿久津くんは、午後九時前ごろにスーパーに一人で買い物に来ている。そんな時間に一人で買い物に行かせるなんて、君の親は何をしているのだろう。スーパー側も、夜遅くに幼い子が一人で買い物に来ていることを気にしなかったのだろうか」


 俺は黙って、立石の話を聞く。


「つぎに、君のポケットにはポテトチップスのお釣り五百円が入っていた。ということは、千円札を持って買い物に来て、五百円分のポテトチップスを購入したことになる。ポテトチップスばかり買い過ぎではないだろうか。やや高価なポテトチップスだったのかもしれない」

「たしかにあのとき買ったのは、高めのヤツで……」

「ではなぜ、夜遅くに一人でポテトチップスを買いに行ったのだろう。親に買い物を頼まれたのか。それとも君の晩ごはんがポテトチップスだったかもしれない」

「さすがに晩飯じゃないよ」


 俺の返答を聞いても驚きもせず、むしろ楽しそうに話を続ける。


「そして君は、父親に刺し身の盛り合わせセットを買おうと思いつく。ひょっとすると、父親のつまみを買いに来たのではないか。駄菓子をつまみにお酒を飲むこともある。つまみがないとき、君の父親はポテトチップスを食べながら飲んでいるのだ」


 図星だった。

 今もたまに、駄菓子をつまんで飲むこともある。


「家にポテトチップスがないことに気づいた幼い阿久津くんは、夜遅くに買いに出た。では、なぜ一人なのか。おそらくポテトチップスを食べてしまったのは君だ、阿久津くん」


 俺は思わず、口に手を当てた。


「昼間にでも食べてしまったので、父親が帰ってくる前に一人で買いにいった。ではなぜスーパーだったのかといえば、君の住む家の近くにコンビニはなく、そのスーパーしかなかったためと考える。ポテトチップスを買って帰ろうとしたときアナウンスを聞いて、『刺し身の盛り合わせと一緒に飲むビールが美味い』と言っていたことを思い出し、特売日で盛り合わせセットも買えると思い、君は購入することにしたのだ」

「まるで、見てきたように言うんだな」

「間違った?」

「いや、あってるよ」


 俺は彼女に拍手した。


「あのときの俺は、父ちゃんがつまみにしてるポテトチップスを食べてしまったんだ。このままでは怒られると思って、晩御飯を食べたあと、近所のスーパーに買いに走った。購入後、アナウンスを聞いて刺身の盛り合わせセットを買い、帰宅した俺は父ちゃんに話したんだ。立石のいうとおり怒られなかった。『素直に食べてしまったことを詫びるだけでよかったのに』と父ちゃんは言ってた」


 あの日の夜の情景が目に浮かんでくる。

 でも、それより気になることがあった。


「だが、どうしてスーパーが潰れたことを知ってるんだ。俺の近所のスーパーに来たことがあるのか?」


 立石は首を横に振る。

「そもそも君の家がどこにあるのか、私は知らない」


「だろうな」

 俺だって、彼女がどこに住んでいるのかさえ知らない。

「だったらなおさらだ。どうしてわかったんだ?」


 立石は、俺の質問に答えてくれた。

「はじめに疑問に思ったのは、『近所にあるスーパーマーケットで行っている毎月一日の魚介類の特売日』だ」

「そこか?」

「イオンやイトーヨーカドーなど独自で調達している店舗を別にし、多くは中央卸売市場を介して魚を仕入れている。中央卸売市場は水曜日休み。一日が水曜日の場合、仕入れができないため特売日にするのは難しい。できたとしても、多くは冷凍品が棚に並ぶだろう。もし特売日を行うなら、市場が休みになる前日火曜日に行うのがいいのではないだろうか」

「どうして?」

「なぜなら、翌日休みになる市場は魚を売り切りたいから、値段を下げてくる。安く大量に仕入れることで魚介類の特売日も開けるだろう」

「なるほど、そうかもしれない」


 店に商品が並ぶためには、市場で買わなければならない。漁港の隣にスーパーでもない限り、魚介類の特売日は簡単にできないのは確かだ。


「そもそも魚は産地や魚種、鮮度、船の燃料代をも加味しつつ、天候の影響を受けて入荷量はその日ごとで大きく変わる。前日の半分以下となるのがザラな状況で、セリ値の上下が発生する。雨で不漁となったとしても、需要側はほぼ一定。変わらない。その場合、高値でなければ競り落とせない。だからといって、魚は高く売れない」

「高く……売れない?」


 一瞬、立石の目が細くなる。

 俺は咄嗟に口を閉じた。


「君も知ってのとおり、魚は痛みやすく、売れ残ってしまうと商品価値がなくなり、廃棄せざる得なくなる。小売店の魚価格が大きく上下しないのは、仕入れ値である原価が高い日は利益率の低い値段を、原価の安い日は利益率の高い値段を付けて販売するから。値段は天然か養殖かでも大きく異なるし、円高か円安かで輸入ものの価格も変わる」

「確かに、物の値段は高くなってるよな」

「コロナ以前から起きていたインフレと脱炭素化政策による原油高が、コロナ禍の物流麻痺と現金給付により品不足を招いて、さらに価格を釣り上げたところにロシアのウクライナ侵攻が起きて、あらゆる物の高騰に拍車をかけている。君も知ってのとおり、プラスチック製品は原油から作られている。輸送費コストも考えると、これまでと同等程度の金額設定にするためには、以前より内容量は減っているに違いない」

「上げ底だね。パック商品の裏側見ると、平らじゃなくて中央部分が凹んでて内容量が減っている商品が目につくからな」

「おまけに、スーパーで行われている刺し身やカットフルーツなどの盛り合わせは、使い回しの温床だから」


 何気ない彼女の言葉に、俺は思わず顔を突き出した。

「使い……回し?」


「三種類以上盛り合わせれば、産地など記載する必要がなくなるという法律のルールに加えて、『盛り合わせ』にすると売れ行きがよくなるらしい。午前中にさくで売られていたまぐろやサーモンなどは、午後にカットされて一点盛りの刺し身で販売、売れ残りそうなら他の売れ残り刺し身と盛り合わせにする。さらにちらし寿司に入れることもあるらしいよ」

「小さく切っていくわけだ」

「夕方以降買いに来るお客は独身OLやサラリーマンが多く、すこしずつ食べられる盛り合わせが人気。だから、二割引の価格に三割引きで販売されるなら、お得かもしれない」

「だよな、お得だよな」

「それでも引っかかる。そもそも、商品価格が記載されているラベルに『二割引』と印字して販売してたのはどうなんだろう」

「どうとは?」

「定価の値段が並列して表示されてたのかな。幼い阿久津くんが、二割引きからさらに三割引いて半額になると誤ったのだから、価格のラベルには税込価格千円と『二割引』が記載されていたはず」


 俺は、当時の記憶を引っ張り出してみる。

「たしか……千円と書いてあって、表示から二割引ともかいてあったか。うん」

「幼いといっても、割合を勉強するのは小学四年生なので、阿久津くんは十歳だったと思う。君の算数の成績はともかく、もし二割引の金額八百円が記載されていたなら間違わなかっただろう。つまり、お客が間違うような金額表示をした店側に問題があるのではないか」


 いわれてみると、彼女のいうとおり。

 はじめから二割引の値段が書かれていれば、俺も間違えなかったはず。八百円の三割引きだろ、えっと……いくらだ?


「一番気になるのは、店長だ」


 頭の中で計算する俺をよそに、立石はしゃべり続ける。


「店長がレジ打ちしている。基本はパートやアルバイトが中心になって行う。もちろん忙しくなれば、店長でもレジに入らなければ、良い職場は作れない。店長は店の責任者であり、従業員に指示を出す立場。忙しい時だけサポートし、本来やるべき指揮官としての業務に集中するのがあるべき姿。はたして、これを理解している店長だったのか」

「俺に聞かれても、わかんないよ」

「魚介類の特売日としながら、割引は二割」

「アイスクリームは半額の日があるからお得感がある。二割だと、もうひと声っていいたくなるのが消費者としての本音だな」

「しかも、閉店一時間前になって三割引きにするという店内アナウンスをしている。通常、夕方になると数十円の値引きシールを貼る。消費税増税と物価高から、値引きを目当てに夕方以降に買い物する客は増えた。店側としては値引き商品ばかり目当てに購入されれば、売上につながりにくい」

「値段が安いと、買う側はうれしいけど売る側は儲からないからな」

「だから、値引きする時間が遅くなるのもわかる。わかるのだけれども、閉店一時間前に一体どれだけのお客が店内に残っているだろう。店内にいるからといって、三割引き商品を必ず購入してくれるわけでもない。なので、もう少し客が残っているタイミングでアナウンスを流さないと売れ残ってしまう。だからそのスーパーの店長は、レジに入って現実逃避をしてたのではと思ったんだ」

「現実……逃避?」 

「できない言い訳や怒られることに恐れを抱いて誤魔化し、本来やらなければならないとわかっていながら後回しにして逃げる、臆病者が取る行動のことだよ」

「そんな説明されなくても、意味はわかってるよ」


 誰しも一つや二つ、覚えがある。

 宿題をしなければいけないとわかっていながらゲームで時間を無駄にしてしまったり、一生懸命頑張ってますよとアピールしながら新しいことに挑戦せず同じことをぐるぐるくり返したり。


「その店長は、アルバイトやパートの仕事をサポートすることで、彼らに『がんばっている店長』と思ってもらえるかもしれない。だけど、店長の部下である社員は見抜いていたに違いない。『簡単な仕事ばかりして指揮官の仕事を何もしない人だ』とね。上司は全体を見渡して指示を出すのが大事だから。それができないとクビになるか、店が潰れると思ったんだ」


 立石の言葉を聞いて、ようやく理解した。

 現実逃避をしていたから店内を見渡すことができず、アナウンスをするタイミングを逃したといいたいのだ。


「六十円足らなくても売れずに残ってしまうよりマシだと思った店長のおかげで、君は刺し身の盛り合わせセットが買えたのかもしれない」

「そんなの……お前の想像だろ」

 俺の昔の思い出を、ぞんざいに扱われたくなかった。


「私の想像だ。だから気にしなくていい。そのかわりお願いだ。昔話を語って現実逃避してないでくれ。本来やらねばならないことに取り掛かった方が君のためだ」


 次の時間は英単語の小テストがあるから、と立石は手元の単語帳に視線を落とした。



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